思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

眠りにつく前に

疲れが来ている。踏ん張りどころという表現は、これからもっと頑張ることを考えると相応しくないかもしれないが、一旦少し踏ん張って頑張るところに来ているような気がする。眠いが、寝る前にもっと色々とやらなければ、と思う。これを書くことも、今きっと自分に必要だと思って書いている。

日々を生きるのに精一杯というか、なんとかこなしていくのに必死。新しい環境に身を置いて、そこへの適応というか、あまり知らない人たちとのコミュニケーションにすごく気を使っているのかもしれない。知らず知らずのうちにその疲れが蓄積しているのかな。それでもなんとかやってはいけているんじゃないかなって思っていて、これはきっと遠回りした分の経験がちゃんと生きているのだろう。

日々を振り返ると、もっとしっかりやりたいのに、できていないことがすごく多い。復習の時間も、予習の時間も、インプットもアウトプットも全てが足りていない。授業の内容だけでなく、自分でする勉強も、研究のための調べ物も、何から何まで足りていない。もっと何かを犠牲にして、時間を割いていかないと、本当にあっという間に時間は過ぎて、それで終わってしまう。

実際にはそんなことはないのだけれど、働いていた時よりも時間の捻出が難しいような、そんな錯覚に陥っている。多分、退職してからの時間の怠惰さに慣れてしまって、体が活動的じゃなくなってしまっているんだ。あとはやっぱり他の趣味、楽しみに流されてしまっている。良くないね。

 

たくさんのことを日々学んでいるけれど、それをもっと定着させないといけないし、それよりももっと学ばないといけない。あまりにも学びが足りていない。本当にすごくすごく痛感しているところ。貪欲さが足りていないし、良くも悪くも前からの生活スタイルのまま暮らしてしまっている。もっと学びに舵を切らないといけない。

あまり焦りすぎるのも、根を詰めすぎるのも良くないってわかってはいるつもり。多分心と体がセーブをかけて、平穏に暮らせるようなバランスが今なのだとも思う。でも、もっと、もっと、もっと。

そうですね、多分焦りすぎてもいる。ただ客観的に見ても、もっとやらなければいけないはずだ。もっと。

 

もう少しやることを明確にしないといけないかも。勉強をもっとしなければいけない、ではなく、この日のこの時間はこれをどれくらいやる、みたいなことをちゃんと形にしていかないといけない。毎日やることを具体的に考えてやらないと、ずるずると行ってしまうような不安がどんどんとやってきて、今みたいな不安定さにつながってしまう。頑張るっていうだけじゃダメなんだよ。

あとは目的意識を見失わないでいること。なんのために今私は学んでいるのか、ちゃんと忘れないように。学費を自分で払っているのだから、本当に貪欲にならないとね。少し醒めた目をする癖を、もう振り払っていきたいなと思う。

 

(追記):

別に書き足すようなことでもないけれど、なんとなく。

「生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」は、今学んでいるところと少しリンクするものがあって、ただ聴いていただけの頃よりも少しくっきりとしてきたなというか。こうやって少しずつ、音楽は自分の中の色々な物語と結びついて彩りを与えてくれる。


 

雑記

いつも以上にとりとめがないです。夢のようなもの。

 

環境の変化に伴い、体がひどく疲れている。疲れているから免疫が落ちたのか、左目だけがずっとしょぼしょぼするし、とめどなく溢れる涙で左瞼が腫れた。眼科に行って薬をもらって少しは落ち着いたけれど、でもまだしょぼしょぼしている。もうこの状態が一週間続いていて、しんどくてうんざりする。アデノウイルスは一応陰性だったし、花粉症なのかなと思ったが、それにしては右目がなんともないのは不思議で、だから偽陰性の方が可能性が高そうだ。嫌なことだ。

 

最近のことを振り返っても、なんだか心がふわふわしていて、あまり覚えていないことが多い。あれ、今日何してたんだっけ、みたいなことも。疲れているな。色々とやらなきゃいけないことも多い。少しずつ着実にこなしていくしかない。

 

森見登美彦の「シャーロック・ホームズの凱旋」を読んだ。面白くて夢中になり、1日で読み終えてしまった。森見作品は昔から好きでよく読んでいたけれど、その空気もありつつ、ちゃんとミステリとしての面白さもあり、すごく好きな作品だった。「【新釈】走れメロス」のように名作の舞台を京都に作り替えていて、その結果ヴィクトリア朝京都なんてのが登場する。シャーロック・ホームズをただなぞるだけでもなく、森見エッセンスであるところの不毛さとかぐるぐるしてる感じとかが良かったですね。なんだか久しぶりに小説を一からちゃんと読めたような気がする。

 

音楽はちょっと新しい風を取り込みたくない気持ちが強いのか、お馴染みの曲ばかりをずっと聴いている。多分、環境が変わった分、音楽は変わらないものにしておきたいというか。じゃないと自我の同一性が保ちにくいと、もしかしたら新しいものを体が拒否しているのかも。

だから、もう少し前から聴き始めていた音楽について。

関ジャムで紹介されているのを観てから、TOMOOをよく聴いている。


「Super Ball」、確かにすごくいい。かっこいいっすね。 

 

綺麗な歌声がすごく生かされているなと思う曲。なんかいい。

 

あとはLaura day romanceを聴いていることが多く、最近は特にこれ。この気だるさが今の気分になんだか合う。

 

 

あとなんでしょうね。そうだ、この間北山修さんの講演会に行った話。

適当に入ったうどん屋に貼ってあったポスターでその講演会を知り、それで称讃寺に行って聴いてきた。人が多くてびっくりしたな。あとサインもらっちゃった。

 

色々聴いて、すごく勉強になった部分もあれば、まあ著書で読んで知ってたなっていうこともあったりって感じではあったけれど、すごく良かった。

その中で、最後の質疑応答での言葉が印象に残っている。

「音楽や小説などの文化を楽しめない人はどうすればいいか」という質問に対して、

「文化が発生する現場は、まずは二人の間で共有されて共に楽しめるというのが、やがてたまたま第三者にも受け入れられたら、これが文化として広がりを持っていく。文化を楽しめないというのはそれが第三者のために作られたものだから、そこに入り込めないってことで、まず誰かにわかってもらうしかない。カウンセラーはたった一人の人に出会って、たった一人の人のための言葉を紡ぎ出していく。二者言語が始まりで、そこがカウンセラーの仕事なんだ」っていうようなことを回答していた。

 

五島で免許合宿に行っていた時、そこで友達と話す中で私も同じようなことを考えていた。

歌とか小説とか映画とかドラマとか、そういう文化で救われる人たちはたくさんいる。泣ける、とか感動する、とかの体験によって。カウンセラーが救うよりもたくさんの人たちをそれら文化は救うわけで、じゃあカウンセラーの役割ってなんだろうっていうことをその友達と話していた。

そこで私が考えていたのは、そういった文化で救われないくらいに沈み込んだ人たちを、文化で救われるくらいの水準にまで和らげていくことがカウンセラーの役割なんじゃないかってことだった。カウンセラーはいつまでも一人の人のカウンセリングを続けるわけにはいかなくて、だから終わりをちゃんと設定するわけだけど、その終わりはそういう場所なんじゃないかって。自分である程度問題に対処できるようになるーーそれは文化を使うことも含めーーところが終着点だとするのであれば、それは北山修さんのいうところの、二者言語の段階を引き受けることと同じような気がしている。だからここを私はすごく大事にしていきたいなと思った。

 

あの素晴しい愛をもう一度、本当に好き。

前夜

いよいよ明日から新しい環境に身を置くことになる。

今はワクワクよりも不安の方が強くて、だからなんだかソワソワしている。この気分にはLaura day romancdeの音楽がピッタリ合う。

 

空白期間での目標はほとんど達成できなかった。取り組んですらいないことが多くて、自分が嫌になる。痩せようと思っていたのに現状維持どころか普通に増えてしまっているし、勉強もほとんどせず、研究計画の練り直しとか精査とかあるいは違うテーマについての情報収集とか、そんなことも全然できていない。そういうことをやる時間にしようと年始には思っていたのに、私は思っていたよりも(いや、こうであることを私は知っていたのかもしれないが)怠惰で、何一つ成し遂げられなかった。

出来なかったことだけに目を向けるのは良くない癖でもあり、一応出来たことにも目を向けておくと、運転免許を取ることが出来たり、旅をしたり、ライブにも沢山行ったり、引越しを無事に終えられたり、人生をちゃんと楽しめた期間ではあった。この期間のだらけた自分が無駄だったとは思っていなくて、ちゃんとどこかで意味が生まれてくると思っている。

だけどそれはそれとして、成すべきことはもっとちゃんとあったはずなのに、目を逸らして目の前の快楽に身を委ねただけの動物になってしまったんじゃないかと自分を責める言葉は私の中に確実にあって、それに対して開き直れないのはきっと後ろめたさとかそういうもので。だからすごく不安なんだと思う。この期間の自分の過ごし方が正しかったと胸を張って言うことは出来ない。こんなんじゃこれからの勉強についていくことは出来ないってわかっていたはずなのに、なんで勉強しなかったんだろうって後悔ばかりが残っている。でも、もう過去は変えられない。しょうがない、これが私なんだ。でもこれからはちゃんとやる。

 

怠惰でどうしようもなく中途半端な私は今日まで。明日からは切り替えて真摯に、愚直に、怠けず、必死に、素直に、背伸びせずに等身大の私で頑張っていきます。

 

追記:

新しい土地での生活には徐々に慣れてきました。京都での生活を思い出す時間は少なくなり、なんだかんだ暮らしていけるこの街に馴染みつつあるかなと思っています。まだ知り合いは全然いなくて、だからまだ一人ではあるけれど、一人でいることにはもう慣れているので。好きな風景だったり、好きな場所だったりも少しずつ増えてきたかな。だからきっと、大丈夫。

春を訪ねて③(阿蘇)

続きです。

3日目(3/27)

4時ごろに目が覚める。日の出を見に行くため、早起きするつもりで目覚ましをかけていた。が、疲れと眠気が勝ち、気づいたら8時だった。まあいいか、旅はそういうものだ。それに、今回の旅はどちらかといえば無理をせずのんびりするのがテーマだった。

しかし何もせずゴロゴロとしているのは味気ないので、散歩がてら田子山に登ることにした。

ホテルすぐそばには桜が咲いていた。綺麗。

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ホテルからは登山口まで20分ほど、そこから展望台までは20分。

広がる景色は最高で、来た甲斐があった。そらふねの桟橋という映えスポットがあり、誰かいるかなと思ったら私以外には誰もいなかった。日の出をここから見たら綺麗だったのだろうな。雲海が見られたりもするらしいので、逃した魚が少し惜しく感じられる。

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桟橋から少し歩くとカフェがあり、このロケーションで飲むコーヒーは美味いんだろうなと思う。でもまだやっていなかった。

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山の上の方でも花が咲いていて、当たり前といえば当たり前なんだろうけれど、でもなんだか意外で嬉しくなる。山の上でもちゃんと春はやってきているんだ。

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下山では登りと違う道(車の通れる道、ただし現在はタクシー専用らしい)を選んだのだけれど、前日までの雨がアスファルトの上を流れていて、もはや小さな川になっていた。当然靴の中にも染み込んでくる。参ったな、なんて思いつつ心のどこかにはウキウキとしている私がいた。こうでなくっちゃね。

下山した後も少し散歩をする。小川の流れる公園が綺麗で、ふと足を止める。小学校卒業記念植樹の札が立っていて、なんだかほっこりする。平成30年卒業の子が植えた木が並んでいて、立派に花が咲いていた。その子はちょうど今年高校卒業で、もしかしたら地元を離れるのかもしれないけれど、確かにそこにいたことが木として、故郷の美しい景色の一員として残るというのはなんだかすごく幸せというか、喜びになるような気がした。卒業記念植樹、すごくいい取り組みだと思う。飛び立った彼らがいつか帰りたくなった時に残っているといいな。

あそ・ビバという公園(ネーミングは若干滑っている気もするが、まあこれくらいでいいのかもしれない)にも桜が咲いていて、春だった。

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バスで阿蘇駅へ向かい、そこから豊肥本線で立野へ。立野直前ではスイッチバックがあり、その標高差を実感することになる。

立野で南阿蘇鉄道に乗り換える。トロッコ列車である。これに乗るために阿蘇まで来たし、これを晴れてる日に乗るために計画を立てていたのだ。
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南阿蘇鉄道熊本地震で被災し、不通が続いていたが、2023年に全線で運転を再開した。だからこそ今乗りたかった。

ロッコが走り出す。立野を出ると、すぐにクライマックスというべき第一白川橋梁に差し掛かる。

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すごい景色。流石に怖かった。スマホを持つ手が震えたが、震える方がだいぶ危ない。

そのあとはトンネルを抜け、ひたすら平原を走る。トロッコ最大の見せ場が終わったあと、ともすればやや退屈というか、だれてしまうと思うのだけれど、そこはガイドのお兄さんが飽きさせずに楽しませてくれている。ガイドの腕だけではなく、細かいお楽しみポイントを各駅に用意していたりして、会社全体あるいは地域全体を通して、なんとかして楽しんでもらおう、お客さんを引き止めようという必死さがひしひしと伝わってきて、なんだかその姿がすごく輝いて見えた。それはやはり震災があって不通になっていた時間が長かったこと、当然ながら復旧はすごく大変だっただろうこと、そして再開した今再び列車が走らなくなるようなことには絶対にできないという決意みたいなもの。色々なものを背負い、必死に頑張っている人たちの姿はかっこいいんです。

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これはその一例、犬の着ぐるみが駅で本を読んでいた。この犬は他の駅でも姿を現していた。

 

車窓には春の景色が広がっていて、風を受けてとても気持ちの良い時間でした。f:id:GoodNightAngel:20240331234832j:image
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ロッコは50分ほどで終点高森駅に着く。この後のことは何も決めていなかった。とりあえずレンタサイクルを借り(4時間で1500円、電動自転車)、Googleマップ先生の評価が高かったご飯屋さんへと向かう。阿蘇の山々と春の景色を眺めながらのサイクリングは最高で、もうこれだけで阿蘇まで来た甲斐があった。

高森田楽村というところで、赤牛の焼き肉を食べる。囲炉裏の炭火で食べるあか牛は絶品でしたね。高菜めしもだご汁も美味しくて、とても良かったです。

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食べたあとは少しフラフラと春を探す。月廻り公園からは阿蘇の山々が一望でき、とても最高なロケーションだった。なぜかヤギが飼われていた。

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高森千本桜へと向かう。まだ見頃にはもう少しらしく、上の方はまだ咲いていないとのことだったが、麓だけでも十分綺麗だった。

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高森湧水公園では湧水を汲んで水をいただいた。美味しいような気がするが、だいたい私はあまり水の味がわからない人間で、情報に踊らされているだけのような気もする。湧水公園は、高森から高千穂まで線路を繋ぐために掘っていたトンネルであり、工事中に水脈にぶち当たってしまったために工事が中止され公園として残してある、という場所。流れている水はとても綺麗だ。トンネル内はイルミネーションが施されていて、これもまた綺麗。

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自転車を飛ばして高森から一駅戻った見晴台駅に向かう。こちらは上白石萌歌さんが午後の紅茶のCMで来ていた場所で、聖地巡礼で訪れる人が結構いた。私はガイドさんの話で初めて知り、せっかくならと訪れることにした。

駅には午後の紅茶しかない自販機があった。せっかくなので一本買ってみると、中には濁りがあって、大丈夫かなと少し心配になる。多分長いことこの自販機の中にあった一本だったんだろう。でも賞味期限は切れていないし、まあ大丈夫か。

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高森駅へ戻り、帰りの列車を待つ。待合室には漫画家のサインがずらっと並んでいて、復興への想いとかが伝わってくる。もう8年も前で、そんなことがあったことを少し忘れてしまうような時間だけれど、確かな傷跡があったことを南阿蘇鉄道は教えてくれる。南阿蘇、いいところだったな。遠くない将来にまたここへくるんだろうな。

 

あとは帰るだけなのだけれど、帰るのがすごく大変。立野駅から豊肥本線で熊本へ出て、鹿児島本線をひたすら北上し、小倉へ。

熊本では乗り換えの30分で馬肉を食べた。美味しかった。

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博多ではこれまた乗り換えの20分ほどでラーメンを。何やってるんでしょうね。

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水巻というところで一旦降り、駅前にある水巻温泉で汗を流し、小倉駅のネカフェに着いたのは日付の変わる頃。流石に疲れた。

 

4日目(3/28)

分けるほどではなかったので軽く書いておきます。この日は別に帰るだけなので。

6時に起きて、小倉からひたすら東へと向かう。だいたい寝てたので特に書くことはない。

広島で途中下車し、マツダスタジアムへ。プロ野球開幕前日でもあり、せっかくなのでユニフォームを購入した。田村くん頑張って欲しいっすね。

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駅へ戻り、むさしのおむすびと揚げもみじを買う。いつもの、という感じだけれど、まあそれでいい。またひたすら東へと進み、尾道へ。

尾道ではおやつとやまねこに行って、尾道プリンを買った。並んでいてその人気を実感する。美味しかったですね。

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尾道に降り立った目的はこれだけだったので、また東へ。今度は倉敷で降り、とんかつの名店かっぱへ。夜の開店は17時で、16時40分ごろに着いたらすでにたくさん並んでいた。結局18時前に入ったのだけれど、中で料理を待っている頃にもう終わりの声が聞こえてきて、人気ぶりに怖くなる。美味しかったです。

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あとはなんとか帰り、終わりです。

 

今回の旅はのんびりしようという目的だったのに、結局慌ただしくなってしまって、それが反省点。でも別府と阿蘇はそれぞれ本当に良かった。また行きたいですね。今度は本当にのんびり、なんなら一週間滞在するくらいの勢いでいたいけれど、そんな余裕はあるのかな。

春を訪ねて②(別府)

続きです。

 

2日目(3/25)

目が覚めて天気を確認すると、やはり雨だった。まあしょうがないかと思いつつ、少し雨が弱まるのを待ってから宿を出て、別府駅からバスで血の池地獄へと向かう。今回の旅の目的は3日目の阿蘇で、だから2日目はまあ別府で地獄めぐりと温泉でのんびりすればいいや、くらいのテンションだった。

別府地獄めぐり公式サイト(別府地獄組合)

 

血の池地獄は名前の通り赤色の池だった。温泉が噴き出して溜まっているのを池と表現していいのかはよくわからないが、綺麗だった。

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血の池地獄のあとは近くにある龍巻地獄へ。こちらは間欠泉で、30〜40分おきに6〜10分ほど噴出するそう。私が着いたときはちょうど噴出が終わったタイミングだったのか、結局30分ほど待つことに。噴出は結構な迫力があり、またこのとき少し晴れ間が覗いたのもあって虹もかかって美しかった。

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残り5つの地獄はここから少し離れた鉄輪温泉(かんなわと読む。変換で出てこないので不便である)にあり(というよりはこの血の池地獄と龍巻地獄が外れにある)、バスで向かう。

海地獄は血の池とは真逆で、青色の池だった。なんでこんなに鮮やかに色の違う温泉ができるのだろうか、不思議である。

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桜も咲いていた。

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鬼石坊主地獄は泥がぽこぽこ沸いている様が坊主の頭っぽいことからの名前らしいが、違うものに見えてしまってとてもアレだった。

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かまど地獄は結構いろいろな種類の地獄が集まっていて、観光地としての努力も伝わってくる場所だった。温泉も飲めたし。美味しかったな。

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このあたりで風と雨が強くなり、持っていた折り畳み傘が壊れてしまった。もうどうしようもない。

 

鬼山地獄は他の地獄のような温泉の池としては特段見るものはないように思えた。だから写真も撮っていない。ここにはワニがたくさん飼われていて、それを眺める場所になっている。まあワニがたくさんいる場所も地獄と言えば地獄なので、それはそれで正しいのかもしれない。もっとも私は壊れた傘で雨風と戦うのに必死で、あまり覚えていない。

 

白池地獄は本来はもっと白いらしいが、なんらかの作用によって緑がかってしまっている。何のせいなのかも説明が書いてあったが、忘れてしまった。

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とにかくこれで地獄めぐりは全て終わりで、あとは温泉に入るだけ。ここ鉄輪温泉にも沢山あるし、ちょっと行けば明礬温泉があったりもする。別府には八つの温泉郷があり、合わせて別府八湯と呼ばれているくらい、いろいろな温泉がある。選べない。もっと長いこといられる旅程にすれば良かったなと後悔しつつ、ともあれどこかしらかを選ぶことになる。

風が強くなってきて、あまり遠くに行く気も起きなかったので、鉄輪にある鉱泥温泉に入ることにした。

歴史|天然 坊主地獄【公式】

ここは午前中しかやっていないのだが、湧き出てくる熱泥(鉱泥)に浸かるという、一風変わった温泉で、面白そう。入浴料を払い、おばちゃんに入浴方法を教わる。ひとまず汗を流して普通の温泉に浸かる。あったまったら鉱泥の温泉に入る。熱いと聞いていたが、この日はそこまでではなかった。鉱泥の効能が強すぎるからか、長く入ると湯当たりを起こしてしまうそうなので、1、2分(体が温まったら)で出て一旦体を冷まし、再度入ってを3回ほど繰り返す。計5〜7分ほどの入浴がおすすめらしい。ただ、その塩梅は私にはよくわからなくて、身体の声を聞けていないことを実感する。もう少し長く入れたような、それでいて湯当たりしてしまったような、不思議な感覚だった。

 

鉱泥温泉をでたあと、もう一度鉄輪温泉郷に戻り、今度は鉄輪むし湯に入る。蒸し風呂はサウナのようなもので、これが心地よい。8分ほど入ったところで2分延長しますかと尋ねられるのだけれど、当然のように延長し10分の入浴を終えた。いや、気持ちいいっすね。風呂を出たあと、温泉で作られたゆで卵を食べる。これがこの日最初の食事である。

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むし湯を出たあと、もう一つ温泉に入ろうかなとも思っていたが、もういいかという気になって、別府まで戻るべくぶらぶらと歩く。バスでそのまま帰ってもよかったが、飯も食いたいし景色のいい眺めも見たかったので。

湯けむり展望台が近く(とはいっても歩くと20分くらいか)にあるということで、そちらに向かう。が、向かう途中の坂道から遠くに海が見えた。

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この景色を見たときはまだ晴れていたが、少しするとどんどん曇ってきて、それでもう諦めて引き返すことに。

別府大学駅へと歩いていると、大分香りの博物館なるものがあり、興味本位で入ってみることにした。外からは入館料がわからず、500円未満なら入るかなぁと思って中に入ったら500円だったので迷ったが、まあいいか入っちまえ。

大分香りの博物館

別府大学が関わっていることもあり結構本格的な展示がされていて、香水の歴史だったり科学的なことだったりが学べて大変面白かった。香水作りみたいな体験もできるようで、行く価値はあると思う。ただここでの最大の収穫は、私は香水が苦手だと分かったこと、だった。

 

別府大学駅から別府駅へ戻り、昼ごはんを探す。駅前にあるとり天を食べられる店(豊後茶屋)は長蛇の列で、それならばと街に繰り出しトキハに入っている「東洋軒」でとり天を。美味しかったです。

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別府は全体的に好きな場所だった。また来たいし、なんならちょっと住みたいかもしれない。そんなこと言っても実際に住むことはまあなかなかないのだけれど。でもこれだけ温泉が楽しめる街に住むのは贅沢なことなのだと思う。

 

15時ごろ、別府から列車を乗り継ぎ、阿蘇へ。途中大分で降りて、「ポッポおじさんの大分からあげ」でとり天を買った。そういえば6、7年前に大分を通ったときも確かここでとり天を買っていた。狙ったわけでもなく、なんだか不思議な気持ちになった。

18時ごろ宮地駅で降り、バスで阿蘇内牧温泉へと向かう。本当は阿蘇駅からバスで行くつもりだったが、ネットで見た古い(2年前)時刻表にはあったバスが、去年のダイヤ改正で減便されていて乗れないことに気づき、慌てて宮地駅で降りたのだった(宮地駅からのバスはまだあった)。Googleマップ先生には頭があがらない。本当に助かった。

 

宮地駅から乗ったバスは、宮地駅から阿蘇内牧温泉までの20分ほど、乗客は私一人だけだった。そらだいたいの観光客は車だよな、とか、そら減便されるわな、とか色々なことを考えていた。

内牧温泉では五岳ホテルというところに泊まる。大変快適だったし、温泉も気持ちよかったが、5階建てなのに1、2、3、5、6階と表記していて、そういうところでは昭和を感じるホテルだった。4階は事務室とかにしているのかなと思いきや、外から見てもただの5階建てなので本当にないんだと思う。法律的に大丈夫なんだろうか。

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晩飯はあか牛を食べたい気持ちはありつつ、まあいいかと思ってお好み焼きを。美味しかったです。

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続きます。