ZARDの歌詞は不思議だ。
透き通った坂井泉水さんの歌声が僕は好きで、ZARDはほぼ全曲持ってるくらいに好き。
そして歌詞(ほぼ全て坂井さん作詞)も心に響く。「負けないで」に励まされた人はきっと多いし僕もその1人だ。他にも「あの微笑みを忘れないで」とか。
だけど、ずっと何か違和感があった。歌詞は響くのに、一曲の中で物語がぼやけている。具体的な物語を描いてるようでいて曖昧で抽象的で、よくわからなくなってくる。フレーズは響いてくるんだけど、一曲通してのメッセージみたいなものが曖昧だ。
「負けないで」も応援歌として知られているけど、一番の歌詞とか曖昧だし、応援歌なのかどうかもわからなくなってくる。実際先日BSプレミアムで放送されたZARD特番では、あれは恋愛ソングだったけど応援歌にもなるように”負けないで”というフレーズを使ったというようなことが明かされていた。
この辺が中島みゆきや浜田省吾とかのシンガーソングライターと違うところで、彼らは彼らの人生を物語として歌に乗せて歌っているような感じがする。だから彼らの歌は物語として伝わるし輪郭がはっきりしているんだろうか。
一方でZARDはそこがあやふやだ。でもそれがいいのだろうなとも思う。物語とかメッセージとかそういった諸々は置いてきて、耳触りの良い声で言葉を紡いでいく。心地よさを追い求めていく世界に近い。意味の世界は二の次、もちろんある程度は意味をつないでいるけれども。
坂井さんは日々の中で思いついたたくさんの言葉をメモに書き残していって、その中から言葉を紡いでいくことが多かったみたいだ。シンガーソングライターとは違って作曲はほとんどしていないから、人の作った曲にメロディーに言葉を乗せていく作業になるわけで、自分の人生を乗せるのは難しいのかもしれない。曲に合う言葉をメモから探していくという作業になったのだろう。
だから物語が少し曖昧になっているのかな。
こんな感じのことをずっと考えていて不思議だったんだけど、この前のZARD特番で大黒摩季さんがこんな興味深い証言をしていた。
大黒摩季さんが言っていたのは、坂井さん曰く
「メロディーが言葉をくれる」「メロディーを何回も聞いたら言葉が聞こえてくる、聞こえてくるのが何ヶ所か出てきたのをストーリーで紡いでいく。」
ということらしい。
これを聞いてモヤモヤが晴れて腑に落ちた気がした。
メロディーが言葉を教えてくれるってことは、その曲にぴったりと合う言葉を見つけられたということでもある。だからこそ心地よく歌声が通り抜けていく。
それに聞こえてきた言葉たちをストーリーに後付けでしていくのだから、物語はあやふやになりがちだろう。最初から物語を作って歌っていくより大変だろうなと思う。
そしてストーリーとして成立させてるのは言葉の紡ぎ方がとても上手かったからなんだろうな。きっとそれは言葉と日々向き合ってきたからで、それが言葉の選び方、捉え方にもあらわれてるんだ。
というわけで結論としては、ストーリーよりも言葉の響きやメロディーに乗せていくことを重視していたんだなあということでした。
その選び方や紡ぎ方が天才的だということも。
やっぱりもう少し見ていたかったな…