思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

遠い街のどこかで

あなたが去ってから2年半近くが経ちました。あの頃の思い出も薄らいでしまったけど、今もまだ忘れられないでいます。

あなたが去った時の胸の痛みは年月が癒し、もうだいぶ和らぎました。それでも鈍い痛みと、秋風のような寂しさはこの胸にずっと残っています。きっとこのまま抱えていくことでしょう。ずっと大好きな人だから。

 

 

あなたが今歩みだしているその道を選んだことを知ったのは去ってから一年ほどだったでしょうか、その時の私は正直なところ喜びと戸惑いとが半々でした。

 

何故ならその道は私がまさに今進もうとしていた道だったから。一緒に歩いて行けることは嬉しかった。

でも、なんとかあなたの喪失を受け入れて立ち直ろうともがいていた私にとって、それはその辛い日々がずっと続くことを意味しているようにも思えました。場所は違うし、すれ違うことも糸が交わることもないとしても、同じ道を歩いている以上はどうしてもあなたのことを忘れられない。そんな気がしていました。

 

 

私がその道を進もうとしていたのはあなたを助けたかった、あなたが苦しんでいるのを見ていたくなかった、力になりたかったというのが理由でした。助けるという言葉が傲慢なのはわかっています。私のエゴでしかないですが、周りにいる大好きな人たちが笑顔でいられず苦しんでいるのを見たくなかったのです。

その一番の対象があなたでした。あなたの笑顔を見ていたかった。

 

同じ道をあなたが進みだしたということ。それはあなたが人を救う側に回るということ。そのことによって私の中でその道を進む動機はほとんど失われてしまったのです。

 

冷静に考えればおかしな話です。だって、人を救う側の人も誰かの救いで生きているのだから。そうやって助けあいで世の中は回っていくのだから。あなたがこの道を歩きだしたことが、私がこの道を歩くその足を止めてしまう理由にはなりません。

 

でも、もうこの道を歩くことを私は諦めてしまった。ある意味逃げてしまった。

それをあなたのせいにしてしまう自分がいることは謝らなければいけませんね。自分の弱さが理由なのですから。

 

私は別の道で、誰かの笑顔のために生きようと思っています。その志はあなたと同じところにあるのだと思っていたいです。道は違えど同じ方向を向いて生きていると思えたら、きっと頑張れる。その心の支えとして、あなたを忘れずにずっと好きでいさせてください。

 

私が叶えたかった夢をきっとあなたは叶えてくれるでしょう。夢を押し付けるような形。勝手ですね。それはあの頃と同じかもしれません。

あの頃、私は自分の夢がなかった。あなたの夢が私の夢だった。今振り返れば同一化していたのでしょうね。勝手に自分の人生を重ね合わせてしまっていました。

今だって重ね合わせていないとは言えませんが。

 

私は私の夢を見ていかないといけませんね。だからもう置いていきます。あなたが夢を叶えていったとき、それが私が思い描いていたものと形が違ったとしても、きっと置いていった私のその夢が叶ったかのような、救われたような気持ちになるような気がしています。

 

もしあなたがまた違う道を歩んでも。その先でまた夢を叶えていってほしいなと願っています。あなたが頑張っていると思ったら私はきっと頑張れる。

 

 

あなたがこの先も元気で、健康で、そして笑顔の溢れる日々を送れますように。

その日々が、あなたの周りの誰かの笑顔につながっていますように。

願わくば夢が叶っていますように。ずっと幸せでいてくれたらいいな。

 

心から祈っています。遠い街のどこかにいるあなたに向けて。

 

誕生日おめでとうございます。

 

あなたの歌う『自分のこと』に救われていました。叶わないと知りつつ、あなたが歌う姿をまた見たいと思っています。

叶わない夢として、淡く胸に抱えておきます。

『大好きでした。出会えて幸せでした。そしてありがとうございました。』っていつかどこかで直接伝えたいな、そんな思いも一緒に。