思い出の向こう側

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故郷

故郷。

 

僕は東京の郊外、小平市で生まれ、育った。

 

小平は、市が”都会から一番近いプチ田舎”を標榜しているくらいの田舎。

なんなら市は”プチ田舎”を商標登録しているらしい。謎。

 

だけど、本当の田舎というわけでもない。山があるわけでもないし、川もない。玉川上水という上水があったり、緑道があったりして緑は一応それなりにあるし長閑、それだけだ。

僕が住んでいた頃はまだ畑がそれなりに多かったけれど、今ではもう大部分が住宅地になってしまった。

 

市内に駅は七つあるけれど、どれも駅前はそんなに栄えていない。大抵は隣の市にある武蔵小金井国分寺の駅に出てしまう。

唯一のJR駅である新小平駅(他の駅は全て西武鉄道)ですら、そこを発着するバスは1時間に1〜2本あるかどうか、というレベルで不便だし。

 

そんなありふれた、特に何もない郊外の街が僕の故郷。

ありふれた、と言ったが、私は小平の他には京都にしか住んだことがない。だから、ありふれた街、という認識が正しいかは正直わからない。

 

ただ、何もないと感じてしまう。

今日もアド街で小平を特集していたけれど、まあ何もないよなという感じだった。田舎感しかアピールできる所ないんだよな。

 

そのせいか、僕の中では小平が故郷という感覚が少し薄い。住みやすくて好きな街ではあるけれど、特別好きかというとそこまでの思い入れは持てない。そもそも小平の中でも端っこの方に住んでいたから、あまり知らないところも多いし。

 

あとは中学からは都心のほうに通学していたのも、その理由かもしれない。どちらかといえば中高のあった街の方が、馴染み深い店が多いし。青春時代の日々を過ごした街だもんな。

 

 

そういう意味では、中学以降の僕にとって小平はベッドタウンでしかなかった、と言えるかもしれない。ただただ家がある場所。

僕にとっての故郷は、小平という街ではなくて、実家と家族とでしか成り立っていないような感覚がある。

小学校の同級生とも卒業以来殆ど会っていない。一人だけ年賀状のやり取りをしているけれど、その子とももう12年会っていない。

それは自分の問題でもあるんだけれど、やっぱり僕は小平という街と、そこに住む人々との繋がりが薄いんだなぁと思う。

普通故郷といえば、懐かしい顔ぶれみたいなものも構成要素になりそうだけど、そんなものと縁遠い人生だ。

 

 

そして、18で小平を離れ、一人で京都に移り住んだ。

 

1年目は特にホームシックを感じることも多かった。今でもたまに感じたりする。

だけどそれはあくまで実家や家族が恋しいというものであって、小平という街が恋しい、あの街に帰りたいというものではなかった。

 

京都に住んでからも実家には年に10回近く帰ったりもしていたから、小平の街に懐かしさを感じるほどの間隔を空けていなかった。そのせいか帰ったところで特に感慨深い思いになることもない。せいぜい数ヶ月ぶりなんだし。

 

だけど、街は少しずつ変わっていく。畑が消え、スーパーが出来て、住宅は増え、道も変わったりした。時々行っていたラーメン屋が閉まったりした。他にも大好きだった店が消えた。いつのまにか、少しずつ思い出の街が消えていく。

 

 

そんなこんなの積み重ねで、僕は小平に対して故郷として特別に思う気持ちを持てないでいる。

郷愁、ノスタルジー。そんなものを抱けない。だって何もないありふれた街だし。

 

故郷がある人が羨ましい。憧れ、嫉妬。

だから僕は旅をするのかもしれない。故郷を探して、どこか遠くへと。

中島みゆきの「時代」や「旅人のうた」で歌われている、故郷を求めて彷徨う旅人のように。

 

 

 

大学時代を過ごした京都の街は好きだ。第二の故郷、と言ってもいい。

だけどあくまでここは学生時代の街であって、故郷とも少し違うような気がしていた。これはなんとなくでしかない。そして今も現在進行形で住んでいるから思うことかもしれない。離れたらきっと恋しくて帰りたくなるんだろうな。そう考えると、既にもう故郷なのかもしれない。離れたら、だろうけど。

 

 

就活をしていた時、広島の企業をいくつも受けた。それは広島を故郷にしたいと思ったからだ。広島じゃなくても、瀬戸内地方で就職したかった。故郷としての憧れだった。

だけど瀬戸内で受けた企業からは声がかからず、結局京都で就職することになった。そういう縁なんだろうな、と受け入れた。

 

 

 京都を一度離れてみたかったけれど、それは叶わなかった。だから僕には今はまだ故郷がない。

 

だけど、もしかしたら、何年か経ったら、またどこかへ行く機会があるかもしれない。

 

その時はまた、新たな故郷に出会えたらいいな。そしてその時には京都を故郷と思えるようになるのかな。

小平を本当に故郷と思える日は来るのかな。来たらいいな。

 

 故郷を探す旅、まだまだ続きます。死ぬまで、きっと。

 

 

 考えてみればもう小平を離れて6年半が経つわけで、それだけ自分の中で小平の濃度が薄くなったんだろうな、ということも思った。小平が悪いわけではなくて、時間のせいなのかもしれないね。

また小平に住めば濃度も変わるかもしれないけれど、いつになるのかな。ちょっとだけ、就職で小平に帰らないことに寂しさを感じたりもしている。難しいね。