思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

真っ直ぐ

私は真っ直ぐに憧れている。

自分にないものだからかもしれない。

そんなことを意識しだしたのはつい最近のこと。だけど、ずっと前から、その憧れは持っていたもののような気がする。

 


 

思い返してみると、好きで何度も読み返したりする小説や漫画はなんだかどれも真っ直ぐな人が主人公だった。それも不器用にもがいている人たちが多かった。

『バッテリー』の巧、『風が強く吹いている』の走、『一瞬の風になれ』の信二や連。『スラムダンク』の桜木花道、『MAJOR』の吾郎。不器用なまでにみんな真っ直ぐ。スポーツ系は特にそういう人が描かれがちだからかもしれないけど。

舟を編む』の馬締さんも。『夜のピクニック』はみんな真っ直ぐだった。森見作品や万城目作品も、みんな阿呆を真っ過ぐにやっていたし、みんな想いが真っ直ぐだった。そういう空気感がすごく好きだったから夢中で読んでいたのかもしれない。

図書館戦争』とかの有川浩作品も昔はとても好きだった(今はあまり読み返そうという気にはならないけれど。大人になってしまった)。みんな真っ直ぐだった気がしている。

東野圭吾とかも昔は読んでいた。その中では『容疑者Xの献身』が一番好きだったのは、そういうところからなのかもしれない。最近はもう人が死ぬ話を読みたいと思えないので、手を伸ばす気にはならないけれど。

 

逆にドロドロした感じの小説を好きだった記憶があまりない。なんかあったっけな。思い出せない。ミステリーとかを読んでいた時期はあったけど、今でも好きなものは全然ないような気がする。

 

重松清をたくさん読んでいた時期があった。今は重たく感じる気がして読んでいない。あれもなんだかどうしようもなく真っ直ぐで、真っ直ぐだから苦しんでいるような人たちを優しく描いていたようなイメージがある。読んでいない今思い描いているだけだから、都合良いイメージかもしれないけれど。今度久しぶりに読んでみようかな。

 


 

真っ直ぐな人が好きだ。純真さだったり、素直さだったり、どこまでも白い人。心がとても綺麗で、優しくて、自分に嘘がなくて、透き通っていて。

そういう人に私はなりたかった。そういう人でいたかった。だけど私は真っ直ぐを失ってしまった。

 

人は皆、幼い頃は持っていたその真っ直ぐを、大人になるにつれだんだん失っていってしまうものだと思う。大人になるとは失うことで、しょうがないことで、失うから得るものがあって、それが人間というものだって納得しようとしていた。だけど納得はできなくて、真っ直ぐでいたいという思いは強かった。

ずっと自分を真っ直ぐだと信じていたけれど、自分の中に汚い部分が確かに存在しているのを無視できなくなって、自分を綺麗な存在だとは思えなくなってしまった。いつ失ったのかは今となってはわからない。とうの昔に失っていたのかもしれない。

自分には好きな面と嫌な面があることを受け入れ、その統合が自分であるという認識を持つことは心にとってすごく大切なことだというのもわかっている。清濁併せ呑むことの大切さもわかっている。綺麗なだけでは生きていくのはとても大変だってこともわかっている。それこそ様々な主人公たちが示してくれているように。

だから私は真っ直ぐを失ったのかな。生きていくために、かもしれない。

 

それでも、真っ直ぐなままで生きていたかったな、という思いはずっと残り続けている。

だから、真っ直ぐなままに生きようとする人たちの物語を読んでしまうのかもしれない。最後には救いが待っていることが多いから。真っ直ぐに生きようとして生きられた、奇跡のような救いが。その過程で真っ直ぐが故に不器用に苦しみ傷つきもがく姿に、自分を投影し、失わずにいられた世界を見ようと思っているのかもしれない。自分を救いたいのだろう。

 

だけど、物語はあくまでフィクションで。現実にはそういう奇跡はそんなに起こるものではないから、私は今日も諦めを抱きながら生きている。諦めきれない想いと共に。

 

だから、本当に真っ直ぐな人に出会った時、勝手ながら思ってしまう。

「どうか、この真っ直ぐさを失わず、嘘がないまま、素敵なままでいてほしい」って。

どうか夢を見させてほしい。現実世界で真っ直ぐなまま生きられるって夢を。

真っ直ぐなままで生きていられる世の中であってほしいな、そんな想いを抱く。

勝手だね。わかってる。人は変わる。そして大人になる。それは悪いことではない。むしろ、真っ直ぐなままでいると傷つくことが多いのだから、変わってしまった方が多分幸せだ。こんなことを願うなんて、「傷ついてくれ」と言ってるようなもので、それを己の救いのためだけに願うなんて本当に勝手だ。自分で背負えばいいのに、自分が背負えなくなったからって他人に背負わせてしまっている。醜い心だね。私の汚い部分だ。わかっていてもなお願ってしまうのだから罪深い。

 

 

未来がどうなるかはわからないけれど、今まで見てきた姿がずっと真っ直ぐで眩しくて素敵だったことはこれからも変わらないことで、そこにただ感謝の気持ちがあって。そして背負わせてしまっていたかもしれない罪悪感とを抱く。だから、懺悔の気持ちも込みで。

変わったっていい。もし真っ直ぐなままで幸せでいられるならそれが一番だけど、そうじゃなくたって幸せであったならそれでいい。ただ幸せでいてほしい。健康でいてほしい。そういうことなんです。

 

どうか幸せで。