思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

僕が僕であるために

自分が自分であることを失わずに生きられたら、あとはなんでもいいよ。

 

そんなことを思っている。

 

それだけ。それだけなんだけど、そんなに簡単でもないと感じている。

忙しなくすぎていく日々に追われ、いつしか見失ってしまうことなんて多分よくあることで、見失ってしまったことに気づかないまま過ぎていくとそのうち何もかもわからなくなってしまう。そんな気がする。

 

定期的に、意識的に、自分に戻る時間、「ああこれが自分なんだ」と再確認できるような時間を持つようにしたい。

なんだっていいんだけどね。

 

魂の回復とでもいうような時間があった方がいい。

私にとって、その一つは夕陽を見ることだ。

夕陽を眺めていると、なんだか自分が自分でいられるような気がして、ホッとする。落ち着く。満たされていくような心持ちになる。今日が終わることの安心感みたいなものももしかしたらあるのかもしれない。

 

今日の帰り道に見た夕陽が綺麗で、思わず寄り道して写真を撮っていた。夢中で追いかけていた。

夕陽を見ていたいから私は生きている、と思うくらい、生を実感する時間だった。

 

写真フォルダを見返すと、その前に夕陽を撮っていたのは5月28日。さらにその前が3月26日。2ヶ月の間隔が空いている。その間夕陽がなかったわけでもないし、見ていなかったわけでもないのだろうけど、なぜか2ヶ月空いている。

心の余裕がなくて夕陽に心を向けていなかったのかな。それとも、夕陽に救われずとも生きていけるような状態だったのかな。どっちだろうね。どっちもかな。見逃していたんだとしたらなんだか悲しいな。

 

毎日のように見続けると飽きてしまうし、かといって2ヶ月空けるのは味気ないし魂にも良くない。週1くらいで見ていられたらちょうどいいんだろうな。

綺麗なものに出会ったときにちゃんと感動できるような人間でいられたら、きっと私は私でいられる。その自分を見失わずにいたい。

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何の変哲もない風景かもしれない。だけど、これを見て動く心をちゃんと守ってあげたい。