思い出の向こう側

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野蒜駅

東日本大震災から10年が経った。もう少しで11年になる。

記憶は薄れていく。あれから流れた時間を思う時、その感覚は不明瞭だ。もう10年か、まだ10年か。10年という時間の長さがわからなくなる。ひと昔前のような、つい最近のような……。冷静に年を数えていけばそれは確かに10年なのだけれど、私の中で10年が経っているかというと、そんなことはない気がしてしまう。それだけ止まっていた時間が長かったのかもしれない。それとも、年を取っていくということは自分の中の時計が止まっていくことなのだろうか。

 

この年末年始、宮城県の野蒜を訪れた。

野蒜。東松島市にあり、津波による大きな被害を受けた場所である。

野蒜駅を通っていたJR仙石線は、海岸線近くを走っていたこともあって、もれなく津波の被害を受けた。特に野蒜駅周辺では、車両や線路が流されたりもしていた。一部区間を高台を通るルートに変更するなどし、仙石線は震災から4年後に全線運転再開をした。野蒜駅も、高台に移った。

役目を終えた旧野蒜駅は今、東松島市震災復興伝承館として、震災の記憶を語り継ぐ施設となっている。

 

震災から10年が経った2021年の3月11日、私はテレビを見ていた。震災特集をしていたある番組の中で、この旧野蒜駅が取り上げられた。

その時、私は思い出した。この旧野蒜駅を使ったことがあったことを。

 

それは2009年か、あるいは2010年だったか。記憶は曖昧だ。夏だったような気がする。私は中学生で、部活で東北を旅行していた。学生ということもあり、普通のホテルに泊まるほどのお金を使った旅行はできず、ユースホステルをよく利用していた。だいたい一泊3000円くらいだったような記憶がある。

そのユースホステルが、野蒜にあった。駅から海岸の方に歩いて10分くらいだっただろうか。あの時は確か夜に着いて始発で出るくらいのスケジュールだったから、海岸がどうだったかとかは全く覚えていない。ユースホステルがどうだったかも何も覚えていない。

書いていて、仙石線の車内でえんがわ寿司の駅弁を晩飯として食べたような記憶が蘇った。いや、仙石線ロングシートだったような気がするので、食べたのはユースホステルに着いてからだったか……(調べてみると、2wayシートという、ロングシートクロスシートを切り替えられる車両も使われていたようなので正直何もわからない)。

でもユースホステルでは牛タン弁当(紐を引っ張って温められるタイプのやつ)を食べたような気もする。晩飯に駅弁を二つ食ったのか、あるいは違う場所での記憶が混ざっているのかもしれない。ただ、仙台でえんがわ寿司を買って食べたこと、牛タン弁当を買ってどこかのユースホステルで食べたことそれぞれの記憶は間違いないものだと思う。

 

話を戻そう。

野蒜駅のホームで始発電車を待っている時の、あのベンチでの風景だけは覚えていた。そのことを、番組で思い出した。

 

それ以来、今度東北に行くことがあったら絶対に訪れようと心に決めていた。

この年末年始は福島の親戚の家で過ごすことが決まっていたので、それに合わせて訪れることができた。

 

12/29。仙石線に乗り、昼前に野蒜駅に。

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これは高台にできた新しい野蒜駅。海抜22メートルにあるらしい。ここから地下道(新しい線路の下をくぐるような形でできたトンネルのようなもの)を通って、旧野蒜駅のある海岸の方へ降りていく。

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地下道を抜けた先にある公園から旧野蒜駅(三角屋根の建物)とホームが見下ろせる。この公園も新駅からはだいぶ下の方にあるので、標高差が感じられる。奥に海が見える。

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これが覚えていたホーム。曲がった線路や駅名標、倒れかかった支柱…。物語るものが多い。

ベンチはおそらく手前側のものに座っていた。なんとなくだけれど、この駅舎から線路を渡ってホームへと進む風景や、このホームの入り口の坂道を覚えていた。記憶が蘇る。朝焼けを見ていたような気がするんだ。

残念ながらホームの中に立ち入ることはできないけれど、外からでも十分だった。

 

 

駅舎の中は東松島市震災復興伝承館となっていて、震災の被害の記録や、復興の記録などが展示されていた。胸にくる。言葉にならないものがある。上映されていたビデオで少し泣いたりもした。

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使われていた券売機。

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止まった時計。

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この高さまで……という衝撃。

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当時の野蒜駅の様子も残されていた。直視できなかった。

 

 

駅を離れ、海岸へと向かった。

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野蒜海岸。以前来た時は海岸まで来なかったから、初訪問になる。

空も海も、砂浜に積もった雪も、どこまでも優しい色をしていた。とても綺麗だった。綺麗なだけに、どこか心に埋められないものを感じた。

 

そしてユースホステルのあった場所へと向かった。伝承館の人に尋ねたところ、津波で流され、もう何も残っていないんじゃないか、とのことだった。何かがあったとて、何も覚えていない自分が見つけられるはずもないけれど。

地図を頼りに、あったであろう場所を見つけた。f:id:GoodNightAngel:20220123231019j:image

何もわからなかった。