思い出の向こう側

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心を開いて

”心を閉ざす”と言うとき、一般的には他者に対して自分を開示しない、という意味合いで使われる。他者に対して心を開かない、他者に心を許さない……というような。心に鍵をかけ、他人には踏み入らせないというイメージ。

自閉症って言葉の意味合いとも近いものがある。自分の中に閉じこもってしまう雰囲気ですね。

 

だけど、ちょっと違う感覚で”心を閉ざす”と使いたくなる時が私にはある。

他者に心を開かないとかじゃなく、自分自身に心を開かない状態。ここ最近は特によくそういう状態に陥るのだけれど、自分の心の内部に深く潜れず、今の自分の心が掴めなくなる。心を亡くすと書いて忙しいと書く、そんなイメージでいいと思う。要は忙しくて自分の心と向き合う余裕がないってことだろうか。

その感覚に他者との関わりは関係ないから、一見すると心を開いて他者と打ち解けているような時でも、私の中では心が閉じていることもある。

 

”閉ざす”というと違うかもしれないな。”閉ざされている”側だ。”閉じられてしまっている”というくらいかもしれない。

心を開いたり閉じたりする権限が私にないような気がしてしまう。自分の心がわからなくなる。今は何だかずっと心の外側に締め出されていて、中には入れないでいるような感覚でいる。

不思議だね。防衛機制のようなものかもしれない。心を守るために、自分自身ですら侵入を許さない。

 

これが労働による余裕のなさからくるのなら、本当はずっと心の内側で考え事をしていたい人間にとって、労働という環境は合わないなぁと感じてしまう。辛いな。だからといって働くことをやめるわけにはいかないのだけれど。とりあえずこの連休で少しだけ心の内側に入れたらいいな。