思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

Love is Gone

今回は、ある1人の、私にとってとても大切な人について書きます。

とはいっても別に恋人とかではない。アイドルだった人。そして私にとってはアイドル以上の存在だった人。

正直、これを書いていいのかには迷いがある。書いている今も迷っている。今はもう一般人であるその人について名前を出して書くこと、その人に対する私の様々な感情を書いてしまうこと、そしてそれを公開してしまうこと。迷惑かもしれない。いいんだろうか。でも書かないと前に進めない気がするので、迷いながらも書きます。もしかしたらそのうち非公開にするかもしれないけど。

 

その人の名は、中元日芽香

 


まず、彼女について簡単に経歴を書いておく。

1996年4月13日生まれで、広島県出身。Perfumeとかを排出したアクターズスクール広島(ASH)に小学生の頃から通っていた。3人姉妹の真ん中で、妹はBABYMETALのSUMETAL。

2011年、中学3年生の時に一期生として乃木坂46に加入。

「ひめたん」という愛称で親しまれ、「ひめたんびーむ」という必殺技を持つなど、可愛い系のザ・アイドルだった。特に声が可愛くて、ラジオのアシスタントを務めたりもしていた(中学時代は放送部だった)。

人気はそこそこにあったけれど、なかなか選抜(シングルの表題曲を歌うメンバー。グループの中で半分くらいで、大雑把にいえば人気順に選ばれる)に入ることができず、アンダー(選抜から外れたメンバー)の象徴的なメンバーでもあった。

選抜入りしたのは7th、15th、16thのシングルの時。在籍していたのは1st〜18thなので、3/18が選抜で15/18がアンダーだったということになる。

アンダーの中ではトップクラスの人気でもあったので、アンダーが歌うアンダー曲のセンターを11th、13th、14th、18th(13thと18thではダブルセンターのうちの1人)で務めていた。

2017年1月、17thシングルのタイミングで休業。体調不良が続いていたからだった。

2017年3月、休業から復帰。

2017年8月、卒業を発表。その年の11月に卒業し、芸能界から去った。その時21歳。

 

そして2018年11月、心理カウンセラーとして活動を開始。事務所にも所属しており、厳密には一般人ではない……?のかな。早稲田大学で勉強しながら、オンラインでカウンセリングを行っている。大学はもう卒業したかもしれないけれど。

2021年6月、自伝的な著書『ありがとう、わたし』を出版。乃木坂在籍中に適応障害を患っていたこと、それが休業や卒業の理由でもあったことを明かしている。

 

私にとって、彼女はいわゆる”推し”だった。


簡単に、と言ったけれど結局色々書いてしまった。この後書いていく時に多分必要だろうな、という情報を入れておくとこれくらいにはなってしまうんです。省けない。

 

そしてここから書くのは、私の物語。

 

2014年春。

私は大学に入学した。学部は薬学部。

薬学部に入ったのは、誰かのためになりたいけれど血が苦手なので医学部は嫌、という消去法でだった。化学が好きだったからでもある。

しかし入った薬学部にはあまり馴染めず、薬学の面白さもあまり感じられずにいた。

そんな春に、私は乃木坂を好きになった。

その当時の推しは、橋本奈々未桜井玲香だった。ひめたんは推しではなかったけれど、ちょっと気になる存在ではあった。

 

7月。生まれて初めて握手会に行った。

握手会には抵抗があった。あまりいいイメージで語られることもなかったし、一線を踏み越えてしまうようなイメージがあった。あとは何より初めての経験だから怖かった。

だから当日の朝まで行くかどうかをずっと悩んでいた。なんなら玄関で靴を履いてからも10分くらいは悩んで家を出れなかった。だけど、行かずに批判的な態度を取るのはよくないだろう、一回くらいは行ってみるべきだという心の声が勝って、家を出た。

緊張していた。そもそもメンバーを前にして頭が真っ白になる可能性が高い。会話が成り立つか、事故らないかと不安でいっぱいだった。

この時の握手会は予約なしでも行けるもので、私は一枚しか握手券を持っていなかったので橋本奈々未レーンに行ってそれで終わり、と考えていた。

だけど、会場に着いてみると橋本奈々未レーンの前に「声が出せません」の張り紙があった。声が出せない状態で初握手会はなんか冴えないなぁと思って、違うレーンに行くことにした。次の候補は桜井玲香で、2人ペアのレーンだった。ペアがひめたんだった。推しは桜井玲香だけど、ひめたんもまあまあ好きだし、会話に困ったらひめたんびーむを打って貰えばいいから楽だし、このレーンにしようと決めた。

ペアレーンの場合、2人と同時に握手するわけではなく、手前にいたメンバーと握手をまずして、時間が来たら次のメンバーと握手をする。そしてこのレーンで手前にいたのがひめたんだった。つまり初めての握手が、ひめたんだった。

可愛かった。多分頭が真っ白になっていた。びーむを打って貰ったのだけは覚えている。正直次の桜井玲香との握手はほぼ覚えていなかった。

恋である。

 

そこからはひめたん推しとなり、ライブに行ったり、覚えてもらえるほどではないけれど握手会にそこそこ行ったり、グッズを集めたりして、アイドルオタクを楽しんでいた。

 


彼女の何に惹かれたのか。

まず単純に可愛い。顔もだし、声が可愛かった。歌声も力強くてすごく好きだった。頭もそこそこいいし、頑張り屋で真面目でしっかりしていて、応援したくなるようなところがあった。えくぼがチャームポイントと言うほど笑顔が似合う子で、笑い声もとても可愛かった。

だけど一番は多分、どこか私に似ているものがあったからだと思う。

彼女はずっと、選抜とアンダーの狭間でもがいていた。彼女が選抜入りしていたのは、2013年の7th「バレッタ」、そして2016年の15th「裸足でSummer」、16th「サヨナラの意味」。

私が好きになった2014年からしばらくはずっとアンダーだった。選抜発表後、選抜に入れなかったことへの想いが詰まったモバメやブログを読んで、毎回胸が締め付けられていた。

頑張っているのに。選ばれても全然不思議じゃないどころか、むしろ選ばれない方が不思議なくらい人気はあったのに。アンダーのセンターとして頑張って、ちゃんとアンダーライブも成功させて、これ以上何を頑張れというのだろうか。

不遇と言ってもいいそんな境遇に、どこか自分を重ね合わせていた。その当時の私は、大学将棋の団体戦でレギュラーにはなれないし出番もあまりないというような状況だった。

大学将棋は7人の団体戦で、14人がメンバー登録(野球で言うベンチ入りのようなもの)される。レギュラーが大体5〜6人、ちょこちょこ出番がある人が3〜4人くらいで、あとはあまり出番がないことが多い。私は8〜11番手くらいにいることが多かったと思う。そして出番はあまりなかった。

選抜をレギュラーと捉えるのであれば、私はアンダーで、境遇が似ていた。彼女は頑張っていて、私はあまり頑張れていなかったという違いはあるけれど。

 


2016年春。

私は薬学部から総合人間学部へと転学部をした。

薬学に馴染めず、楽しいと思えなかったこと、元々興味もあった心理学を一般教養で学んだら面白くて、心理学をやりたいと思ったことが理由だった。まあ一番は成績が悪く留年が決まってしまったからだったけど。カウンセラー(臨床心理士)になりたい、と少し漠然ではあるけれど夢を見ていた。

 

心理学を志すことにしたきっかけの一つはひめたんだった。

元々私は「誰かを救うために」と薬学を志した。だけど、その「誰か」を具体的に思い浮かべていたわけではなかった。だからこそ入学してから薬学へのモチベーションが低下し、辞めることになってしまったとも言えるだろう。

でもこの頃、「誰かを救いたい」の「誰か」は確実に、私の中で具体的に存在していた。それがひめたんだった。

選抜発表のたびに悩み苦しみ、傷つき、立ち直ることも簡単にはできずにいた姿をずっと見ていた。頑張りが報われないことのつらさがこちらにも伝わってきていた。

そんなひめたんを助けたかった。力になりたかった。笑顔を見ていたかった。

その想いがあったからこそ、私は心理学を学び、カウンセラーになりたいと思ったのだろう。別に彼女を実際にカウンセラーとして救いたいと強く思っていたわけではない。きっかけというか、原動力というか、そんな感じだった。

とはいえ、彼女の存在だけで心理学をやりたいと思ったわけじゃないんですけどね。そもそも心理学に興味があって一般教養で学んでても面白かったとか、叔母が心理学をやっていたからとか、そっちの方が強いかもしれない。まあでも大きな理由だったのは確かで、モチベーションとしては一番大きかったと思う。

 

そして2017年。

彼女は休業し、復帰し、そして卒業していった。

卒業を知ってから卒業までの間、すごく精神と感情が揺さぶられていた。

このブログでも、振り返って「悲しみや苦しみ、喜び、葛藤、やり切れなさ、様々な感情に引き裂かれ疲れ切った2017年。」なんて書いていた。

色々な想いがあった。今はもうその時の感情を全て持っているわけじゃないのであまりちゃんと書けないな。

九州でのアンダーライブ千秋楽(宮崎)の最後のMCで、卒業について、「ずっと通院していた。けれど全然治らなかった」と語っていた(当時は知る由もないが、彼女は後に著書の中で適応障害だった、と明かしている)。

その闘病は私が乃木坂を好きになる前から続いていた。つまり私がひめたんと出会って好きでいた期間、彼女はずっと闘っていたのだ。

それを聞かされてなお、卒業しないでなんて言えるわけがなかった。

 

 

アイドルのひめたんをこれからもずっと見ていたかった。夢を見ていたかった。選抜に定着して、いつか選抜のセンターで、とか、姉妹共演をいつか、とかもそうだけれど、それ以上にいつまでも見ていたかったという気持ちの方が強かったかな。アイドルひめたんがとても好きで、私にとっては一番のアイドルだったから。

だけど、本人の健康と幸せを考えたら、もう卒業して楽になった方がいい。その方がきっと幸せなんだ。もう十分頑張ったよ。これ以上傷つく必要なんてないんだ。

 

だから、私は言葉を飲み込んだ。

 

そして彼女は乃木坂を去った。

 

 

2018年。

私はほとんど鬱のような状態にあった。

その頃のことは以前書いていたので割愛します。

ずっと卒業を引きずっていた。対象喪失と呼ばれる状態にあったのだと思う。私は幸運なことに、物心ついてからは身近な人を失わずに済んでいた。だからこそこの時の喪失は初めてに近いくらいのものだった。そして私は彼女に自分を重ね合わせすぎていた。ある意味、私は自分の分身のようなものとして彼女を見ていたのかもしれない。だからその彼女が志なかばで去ってしまった(去らずにはいられなかった)ことは、自分自身の挫折にも思えた。

対象を自我に同一化していた結果、対象喪失が自我喪失になってしまったーーそんな見方をこの頃していた。

 

以前のブログに書き加えておくとしたら、鬱っぽくなっていたのは彼女の卒業だけではなく、2017年末の将棋の団体戦王座戦)も理由だったと思う。ダブルパンチを喰らったという感じかな。王座戦については大学将棋部のブログに書いていたので改めて書くことはしないけれど、なんというか、何も報われず、何も勝負できずに燃え尽きた感じだった。

 


 

卒業発表してから、私はひめたんと握手することができなかった。卒業発表後も何回か握手会自体はあったけど、新規で予約は受け付けていなくて、休業期間の握手券の振り替えで握手できるのみだった。その振り替えを私は休業明け〜卒業発表までの間で使い切ってしまっていた。

だから本人に直接、卒業おめでとう、とか、寂しい、とか、そう言った言葉や感情を伝える機会がなかった。それがずっと心に残っていた。一回でも直接言葉を交わせていたならここまで引きずることもなかったのかなって。でも多分一緒かな。

手紙は一回だけ書いた。自分の気持ちの整理というか、伝えたいことをまとめる意味では良かったけれど、リアクションが返ってくるわけでもないし、伝わったかどうかもわからない。直接言葉を交わすことの代わりにはならなかった。

 


 

2018年夏。鬱っぽさは治らず、結局休学することになった。そこまではカウンセラーになろうと勉強をしたり、一応卒論も頑張るかぁという感じでやっていたけれど、いまいち進まなかった。精神状態が悪かったからかな。これはちゃんと休まなきゃまずいと思ったからの休学だった。

休学して勉強からは距離を置いたけれど、別にすぐに良くなるものでもなく、ずっとしんどかった。

 

そんなこんなで休んでいた11月。

彼女が活動を再開した。芸能活動ではなく、心理カウンセラーとしてだった。

 

もっともその前から、そういう道に進んでいたことは知っていた。

(まだ在籍中の休業明けぐらいのタイミングで、なんかの雑誌のインタビューで「最近心理学に興味があるんです」って言っていた。実際に進むかはともかく、もしそうなったら同じ道を歩いていけるので嬉しいな、って思っていた。あとやっぱり私と彼女はどこか似てるんだなぁと思ったりもしていたね。)

9月ごろだったか、どこかの心理カウンセラー養成講座みたいなものを卒業し、そこで講演をやるという情報が流れてきた。

心理の道を歩いているのを知って嬉しかったと同時に、少しもやっとした気持ちもあった。個人的には、カウンセラーは大学→大学院→臨床心理士or公認心理士取得、みたいな流れでなる(べき)ものだと思っているので、その手順を踏まずになるのはなんか違うんじゃない?って。その講座をやっている団体がちょっと怪しげだったからでもある。講演には行こうと思えば行けたんだろうけど、行かなかった。

 

そして11月になって、カウンセラーとして活動していくことを発表した。同時に、早稲田大学に在籍中であること、オンラインのカウンセリングサロンを開き、そこでカウンセリングをやっていくことなども発表された。

この知らせは素直に嬉しかった。ちゃんと心理学を学んでいるのかな…って不安だったから、大学に行っていることを知ってホッとしたのが一番。活動再開してブログとかも始まったから近況とかを知ることができるようになったのも嬉しかった。

 

同じ道を歩いていけることの喜びから、私も勉強を頑張らなきゃな、という気持ちになったのだけれど、鬱っぽさは治まっていなくて。少しずつ少しずつ頑張っていったという感じだった。

 

けれど、結局私はカウンセラーになることを諦めた。大学院を受けることすらしなかった。

どうにも勉強に身が入らなかった。卒論と同時並行で院試勉強をやる気力が全然なかったのだけれど、精神的にまだ回復していなくて、頑張るのが無理だったのだろう。

でもそれだけじゃない気がした。

モチベーション、つまり「なんのためにカウンセラーを目指すのだろう」というところが揺らいでいたのが大きかった気がする。

 

私がカウンセラーになりたかったのは、彼女を救いたかったからだった。ところが彼女は救う側に回ってしまった。同じ道を歩いていけることの喜びよりも、救いたかった対象を失ってしまった空虚さの方が勝った。頑張る理由は行き場を失った。

薬学を志していた時から「誰かのためになりたい」という「誰か」が具体的に存在していなかった私にとって、その「誰か」に当てはまる唯一の人が彼女だった。それだけがモチベーションだったと言ってもいい。

別に彼女が救う側の人間になったからと言って、彼女はもう救われる必要がないのかと言うと、もちろんそんなことはない。だから論理的に言えば、それでモチベを失ってしまうのはおかしいことではある。

でも無理だった。

この頃もまだ私は彼女に自分を重ね合わせていた。自分の分身のような存在であった彼女が、私の夢見ていた未来であるカウンセラーになったことによって、私の夢は充足されてしまったのかもしれない。叶えたかったものが、勝手に叶えられてしまった感覚というか。こういう言い方はあまり良くないけれど、ある意味奪われたような感覚だったかもしれない。救いたかったものはもう救われていて、なりたかった未来はもう1人の自分がもう叶えていて。残されたのは何も持たない私だけだった。本当は救うべきは自分自身だったのだろうけれど、それに気づかないままだったな。

 

カウンセラーになることを諦めたのは別にそれだけが理由ではなかった。

第一に、向いていない気がした。私はどこか繊細で、人の心の痛みを自分ごととして受け取ってしまう癖があるように思う。共倒れというか、自分の心までやられてしまうタイプの人間だなと思っていた。もう少し鈍感なくらいが向いているような気がしていた。

第二に、あまり報われることの多くない仕事だなと思ってしまった。責められることはあれど褒められる・喜ばれることはあまりない仕事でもある。しんどいだろうな。

こんな感じで諦める理由はいくつもあった。だけど、そのどれもが、自分が諦めることを納得させるために作り出したものなのかもしれないと思う。結局のところ、逃げてしまった、という一言で終わる。逃げずに続ける覚悟はなかった。それはモチベを失ったからでもあるだろうけど。

 

そして私は諦め、就活をし、なんの関係もない仕事をしている。

だけど、やっぱりどこかで未練というか、心残りがある。大学院を受けすらしなかったことへの後悔とか。挑戦すらしなかった。

あの当時を振り返ってみても、あれ以上に頑張ることができたとは思えないから、その判断が間違っていたとは思わない。実際無理だったと思う。でもね……。

 


彼女について書いていたはずなのに、話が逸れてしまった。

気を取り直してここからは彼女への想いについて書きます。

 

卒業してから今に至るまで、彼女に対しては色々な想いがあった。

 

ずっと元気で健康で、幸せでいてほしいということ。

笑顔が素敵な人だったから、笑顔でいられたらいいな。心安らかでいてほしい。

そしてそれが誰かの笑顔につながっていたらいいな。夢が叶っていたらいいな。信じる道を歩いていけていたらいいな。彼女は今の仕事が天職だと言っていた。だとしたら幸せなことだ。

愛されていた人だったから心配はあまりしていないけれど、願うのであればそういうことを願う。

 

アイドルでいてほしかったなっていう気持ち。

アイドルとしてもっと夢を見させてほしかった。選抜に定着していつかはセンターに、とか、そういうことも勿論だけれど、それだけじゃなくて、どこへでも連れて行ってもらえるような気がしていた。いつまでも、なんてことが無理なのはわかっていても、いつまでもアイドルでいてほしかったな。ずっと見ていたかった。私にとってはそれだけアイドルだった。

彼女には唯一のソロ曲、「自分のこと」がある。卒業後に発表され、卒業後に発売されたアルバムに収録されたから、ついぞとして本人がステージで歌うことがなかった。オリジナルメンバーでの歌唱がMV等の映像でも残らず、ライブで披露されることもなかった。このような曲は乃木坂では二曲しかない(もう一曲も彼女が参加したユニット曲)。そしてこの曲が私はとても好きだ。彼女の歌声がとても響く。最後にライブで歌ってほしかったな。ずっと歌い続けてほしかった。でも無理だったんだろうな。

無理だとわかっていたからこそ、叶わないと知っているからこそ、ifを考えてしまう。卒業は前向きだと言っていたね。でもどこか、諦めざるを得なかった、という感じがしてしまっていた。まだ続けたかったんじゃないかって勝手に思っていた。

彼女が乃木坂で紡いできた物語が、完結ではなく打ち切りで終わってしまったかのような読後感というか。ずっとそんな気持ちでいた。

 

この3月。きいちゃんの卒業コンサートがあった。きいちゃんと彼女の関係性はちゃんと語ると長くなるので省略するが、一言で言うなら彼女と同じ物語をずっと隣で歩いていた人だった。彼女と同い年で、同じようにアンダーと選抜の狭間でもがいていて、休業したりもして。きいちゃんは、彼女があの時卒業しなかったifを歩き続けているようでもあった。

そのきいちゃんの卒業コンサートで、彼女ときいちゃんが紡いできた物語が終わったような気がした。あの時打ち切りになっていた物語が、4年の時を経てようやく完結したというか。

この物語を続けてくれて、そして終わらせてくれたきいちゃんには感謝しかない。

私がずっと抱えていた、アイドルでまだいてほしかったという思いは昇華された。なので今はもうこの気持ちはない。

彼女はそのライブを受け、ブログでこう記している。

”私が忘れ物したまま途中下車した分もしっかり回収して、彼女が終着駅まで持っていってくれたような気がしました。退いてからも心の片隅で引っかかるものがあって、何だろうと思っていましたがきっと未練だったのでしょうね。でもやっと自然に手放せた気がします。”

 

嫉妬のようなもの。

彼女は今、私が諦めた道を歩いている。その姿は眩しい。

今の彼女の歩く道は私が歩きたかった道で、歩きたかった未来だ。その歩みを素直に応援できると言ったら嘘になる。彼女が歩いているのを見るたびに胸の奥がチクリと痛む。チクリ?もっとかな。今の彼女を見るとき、痛みと苦味は常に存在する。

勝手に諦めたくせに。自分の弱さ故に逃げたくせに。努力もしなかったくせに。それを赤の他人のせいにして、勝手に羨んで嫉妬するなんて、人間としていかがなものかと思う。でも、いや、だからこそかな、心は痛む。

彼女が心理カウンセラーとして活動しているのを見ていると、素直に応援できていない今の自分の未熟さ、身勝手さみたいなものを毎回突きつけられる気がしてしまう。

 

今、彼女はポッドキャストで毎週『中元日芽香の「な」』というラジオを配信している。去年の10月からで、もう31回になる。アイドルとしてではなく、心理カウンセラーとしてのラジオ。ラジオが始まるのを知った時、嬉しかったのを覚えている。ラジオでの彼女もずっと好きだったから。

ポッドキャストだからいつでも聴ける。だけど、私はそのラジオを一度も聴いていない。聴けないんだ。痛むから。

 


 

そういう複雑な気持ちをずっと抱えてきた。アイドルを続けてほしかったという未練と、救いたかった人が救う側に回ったことによる行き場のなくなった想いと、今の道を歩いていることへの嫉妬。歩かないでくれと思ったこともあった気がする。

でも好きなことには変わりがなかったから、心の底から幸せを願ってもいた。それは彼女の今の歩みを応援することでもある。

 

相反する想い。引き裂かれそうだった。

だから私は彼女から遠く離れたいと願った。全てを忘れてしまいたいとも思った。

でも簡単には離れられない。好きだったから。今だって好きだから。思い出を大事にしまっておきたい気持ちは当然ながらあって、夢を見せてもらっていたあの頃を否定することも当然できなくて。

どうすることもできず、ただただ苦しかった。

どちらかといえば離れたい気持ちの方が大きかったのかな。だから私は心理の道を進むことを諦めたのだと思う。同じ道を歩く限り、離れられないような気がしたから、違う道を選ぼうとした。

でも、今もまだ迷い続けている。どうすればいいんだろうね。

 

なんか話が堂々巡りになってきた。もうまとまる気もしないのでそろそろ終わりにしよう。

 

どうか幸せで。

 

(追記):

先日、彼女のオンラインカウンセリングに申し込み、カウンセリングを受けてきた。

開設から3年半ほどが経った今ようやく踏み切れたのは、多分きいちゃんの卒コンで物語が終わったからだと思う。その物語の終わりを確かなものにすべく、思い残しがないように、最後に話したかったのかな。

5年ぶりくらいに言葉を交わした。彼女はちゃんとカウンセラーだった。

相談内容は秘密にしておきます。このブログで書いたようなこともちょっと話した。救いたい対象が救う側に回ったことによる苦しみについても、本当は当事者に相談するようなことじゃないんだろうけど、話したりした。

多分、身勝手だけど私の想いというか怨念のようなものを背負ってほしかったんだと思う。あなたがいたことで救われもしたけど、苦しんだりもしたんだよって。そういう人が居たんだよって。ああ身勝手。わかってる。でも伝えずにはいられなかった。許してほしい。

復讐のようなものだなと思っている。愛憎の憎の部分を、誰にもぶつけることもできず、ずっと抱えてきた。それを昇華したかった。勝手に嫉妬したりしてそれを当事者にぶつけるなんて人間として良くないことだ。彼女がカウンセラーであること、その仕事に甘えてしまった。私は一つ罪を背負った。一つ背負ってもらって、一つ背負う。これで良かったんだと思う自分がいる。

 

そして最後には、今まで伝えられていなかった言葉を伝えられた。これでようやく私の物語を終えることができたんだと思う。

 

推していて幸せでした。ありがとうございました。どうか幸せで。