思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

弱さ

自分の中で今渦を巻いて気持ちを締め付けているものを吐き出しておきます。ほぼ書き殴りです。

 

最近自分の心の弱さを痛感することが多い。

自分を律することができない。頑張らなければいけないと分かっていても、頑張ることができない。すぐに他のことに逃げてしまうし、やらなくてもいい理由を探してしまう。

簡単に言えば、自分に甘い。甘すぎる。

別に最近に限ったことではなく、私はずっと前から自分への甘さを抱えていた。子供の頃から割と、自分で自分を律することができないでいたように思う。勉強に関しては割とできた方だったしそこそこ頑張ってはいたけど、あれは勉強が楽しかったからで、自分を律して勉強する習慣はあまりなかった。

実家にいた頃はまだ両親によって超自我的に抑制されていたけれど、1人で暮らすようになってからは抑えが効かなくなってきた。

多分、本来思春期までの間に作られる自分の中の超自我が未発達のままなんだと思う。あるいは不十分な、歪なものとして形成されていたから徐々に無理が出て壊れたのかもしれない。なんにせよ、今の私は自分を律することができずにいる。

未来のことを考えられず、刹那的な生き方をしているのも拍車をかけている。今この瞬間の喜び以上に大切なものなんてなくて、それが未来の自分に迷惑をかけそうでも知ったことではない、というような投げやりな態度。自分の未来に対して相当他人事だと思っている節があるから、平気で自分を傷つけてしまうのかもしれない。自分に対してどうでもいいなんて言葉がスッと出てくるあたり本当に終わってる。

 

それに、自分に甘くても生きていられることを知ってしまった。別にそれがどうということもなく日々は過ぎていって、普通に暮らしてしまえる。そして、自分に厳しくしすぎることによって壊れてしまう怖さのようなものも多分ある。私は一度壊れかけたことがあり、それは自分に厳しくしたからではないんだけれど、確かな恐怖として怯えを身体に覚えさせている。自分に甘く、他人にも甘くがある種モットーのようなものになっている。厳しくするのは他の人に任せて、私は甘さを提供する側の人間だと逃げ込んでいる。それが染み付いてしまった。そのモットーを大切に思っていた時もあったけど、今は少し違う。

 

私は私のことが基本的に好きだけれど、この甘さについては嫌いだ。頑張りたいのに、未来を思って焦るのに、それでも頑張れない。諦めを湛えてしまう、そんな自分は嫌いだ。

変わりたい。

その思いはずっとあるけれど、でも変われていない。なんでなんだろうね。

覚悟が足りないのか、やり方が悪いのか。両方だな。

覚悟。あるいは言い換えるなら駆動力のようなものか。夢への執着とか、大きな後悔とか、そういったものが思いつく。でも私はすぐに諦めてしまうような癖があり、すぐにその力を手離してしまう。なかなか続かない。

言葉にはその力があるような気はしているけれど、でもうまくいかないな。

「道を選ぶなら険しい方へ」というような言葉があるけれど、あれは人間が易きに流れやすい生き物だということを示している(わざわざ言葉に残す必要があるということだから)と思う。私も勿論そうで、さらに厄介なことにこういう言葉をメタ的に受け取ってしまって、心にどっしり据えることができない。歯を食いしばってその言葉に従うほど素直な人間ではないんだ。

そう、多分私は素直さを手離してしまっている。ずるくなってしまった。自分を騙すこともできるようになってしまった。

険しい方へ進んで怪我をしたら元も子もないから、安全な方を選んだ方がいいんじゃない?って囁く。正しい。でも、その道は生きてはいけるけれど生き生きとはしていないのかもしれない。生き生きするのは多分険しい方。

でも、とさらに続く。安全な方でも楽しみは普通にあり、それを見つけるのは自分次第で、道の良し悪しではないって。

それもそうなのだ。本当だよ。叶わないことの方が多い夢に執着してもがき続けるよりも、今ある日々や道から楽しみを、喜びを見つけていった方がはるかに幸せな人生なんじゃないか。

自分を説得する甘い声が胸を占めていく。私はそれに反論できない。納得する。そして諦めを瞳に湛える。

 

他の人たちは何を駆動力にして自分を律することができているのだろう。とても知りたい。なぜ手離さずにいられるのだろう。

 

何かを、あるいは誰かを失った痛みや後悔を原動力にしようともした。だけどそれは結局刹那性というか、不確定な未来よりも今確かにあるこの瞬間を大事にする方向に働いてしまってあまり力になってくれなかった。それに頑張る時は他のことを犠牲にしたりすることが多いと思うけれど、私は全てを大事にしようと思ってしまう。だってその全てが失いたくないもので、今頑張るために我慢したら二度と会えないのかもしれないんだ。

難しいな。

 

 

あとはやり方。今までの私は、無理のない範囲でゆっくりと変えていこうとしていた。けれどそれはすぐに戻ってしまうことでもある。

だからもっと急進的に変えていった方がいいのかもしれない。何かを断つとか。思い切って捨ててしまって、そして顧みない。それくらいの力が必要なのかも。

それから具体的な目標というか、スケジューリングを細かくして締め切りを設けていくべきなのかもしれない。

仕事の時はある程度自分を律して仕事ができている気がする。それは一つには仕事をやるしかない環境であり、もう一つはやることが明確で納期も明確で、どれくらいの時間がかかるかも割と分かっているからコントロールできているということなんだと思う。

なので、自分ができるスピードの把握と、それを見積もれるだけ細かく区切ったスケジューリングが必要だと思うのだ。

 

そしてあとは、頑張るのではなく楽しみをベースにした方がいいのかもしれない。それが私のやり方だったんだから。変わることを諦めるわけではなく、変わる手助けとして。

 

変わりたいという切実な思いを無駄にしないように、ちゃんとやっていこう。そしてこの甘さから抜け出す術を身につけていきたい。

 

変わりたいという気持ちがある限り人は変われる。