思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

2022

2022年を振り返るブログです。

今年はなんだか過ぎるのがとても早かった。いつの間にか一年が経っていた、そんな印象。

1月

どんなだったか全然思い出せない。おそらく前年12月の続きで、沈んだ心を抱えていたような気がする。でも「冬来たりならば春遠からじ」を感じていたっぽいので、少しは落ち着いてきていたのかな。

ライブにも行きました。阿部真央竹原ピストルSUPER BEAVERの三組が出てたやつ。

今年はたくさんライブに行った年だったんだけど、その始まりはこれだった。楽しかったな。

2月

仕事のせいでだいぶ心に余裕がなかった。言葉もうまく出てこなくなってて、結構怪しい状態だった。頭のネジを飛ばしたいなんて言っていたのは割とヤバそう。

でもなんだかんだ楽しかったっぽいのは、きっとライブにたくさん行ったから。2月はZARD、ラッキーオールドサン、家主に行った。どれも良かったな。特に家主は最前で見たのもあって最高だった。ちなみにそのツアーの音源が配信リリースされているので是非。

家主 - INTO THE DOOM (Live)

 

今年全体を通して、ライブに行きまくったおかげで精神を保てていた節はあると思う。音楽と酒は薬です。羊文学にハマり出したのもこの辺だけど、この頃はなんだかんだずっときのこ帝国ばかり聴いていた気もする。

あとこれを書いていたということは、多分この時点では仕事辞めてぇって気持ちが強かったんでしょうね。早く降りたいなと思って書いているから。

 

3月

抜け出せないしんどさの中にいた。きのこ帝国の「ありふれた言葉」に支えられていた。仕事がマジで色々としんどかった。多分、”ありふれた言葉”で良いのにその言葉すらないままに働いていて、誰が支えになってくれるでもなく、ついにちょっと折れてしまった時だったと思う。任された仕事から逃げてしまっていた。ワクチン3回目のあとで、副反応は全然なかったけど後遺症的な感じで体調も割と参っていて、もう最悪だった。会社の人、こっちが精神的にしんどそうなの全然気にかけてくれないし、褒めることもしないんだもんな。そういうところがこの会社の居心地の悪さで、自分の心と身体をこの会社では守れないと思った。この3月で働き始めて1年になったわけだけど、よく1年持ったなという感じ。

そういえばこの頃から、体調が悪かったら病院に行くようになった。それまでは金がかかるしで敬遠していたけれど、体を壊さないようにちゃんと医者に診てもらうのは自己投資だという考えになった。これは自分の身体は自分で守るという意識が強くなったからだと思う。自分の人生を自分主体で生きられるようになったとも言え、少し大人になったのかもしれない。眼科や耳鼻科、循環器内科に行っていた。アレルギー検査を受けたのはこの頃だったか。軽い花粉症(スギとかイネとか)が発覚した代わりに、あると思っていたキウイアレルギーは値が出なかった。

ライブは乃木坂の北野日奈子卒業コンサートに行った。一つの区切りになったコンサートだった。

 

4月

後輩ができた。これはすごく大きな変化だった。私は2年目なのになぜか新人の教育係を任され(もちろん他の先輩や同期と一緒にだったが)、そのうちに教育を中心的に担うようになっていった。これは今まで会社が新人教育を疎かにしすぎていたことによるものでもあるんだけど、教える適正みたいなものを認められ、一つ居場所ができたような感じになった。教育の中心になっていったのも、この教え方なら任せても大丈夫って思ったかららしく、そういう感じで褒められる機会も少し増えた。とはいえまだ1年しか働いていないので技術的にも知識的にも全然足りていないことが多く、全てを教えられるわけではない。でも訊かれる立場になったことで勉強しなきゃいけないなぁと言う気持ちは強くなり、結果的に成長できたように思える。まあこれは4月というよりはそこから今までの話にはなるんだけど、でもこのタイミングで変わったと思う。

先輩方の空気感も変わり、居心地が少し良くなった。1年働いて少し余裕ができたのもあると思うけど、徐々に労働への抵抗感というか、しんどさみたいなものが薄れてきたかもしれない。

あとは桜を見に吉野に行ったりした。綺麗でした。

ライブは新山詩織、家主に行った。家主は2月に続いて2回目で、これも最前で見ることができて最高でしたね。新山詩織は活動休止明けのライブだったんだけど、休止前の音楽が好きだった私にとっては少し違うなぁって感じでした。方向性の違いってやつですかね。

 

5月

5月は自分の中で色々なことの整理がついたり、前へ進めるようになった、2022年では結構大事な月だった。

彼女にオンラインカウンセリングで会ったのは厳密に言えば4月終わりのことではあるけれども、消化して形になったのは5月。いや、これを書いている時はまだ悩みや迷い、未練が色々なところにあるか。少しずつ動き出して、前を向けるようになったのはもう少し先の話。

他には、仕事からの帰宅中にチャリでこけて顔に傷を負い、その影響でか光視症のようなものに悩まされたりしていた。そこで眼鏡が壊れかけたのを契機にコンタクトに乗り換えたので、20年くらい続いていた眼鏡人生が終わったのは結構大きい変化だった(今でも眼鏡にするときはあるけど)。

映画は「シン・ウルトラマン」を見ましたね。3回見たかな。良かったです。

ライブはCoccoMr.Childrenに行ってきた。それぞれについては記事書いたしまあいいか。楽しかったね。

 

6月

特に大きな変化はなかった。が、ここで書いていた記事を見返してみると、なんだか疲れていた感じ。帰りたいけど帰れないとか、人間でいるのをやめたいとか。そういう波の中にいたんだろう。

出来事としては、友達に会いに広島・山口に旅行に行ったりしていた。楽しかったな。

あとは27歳になりました。30が近くなり、年齢を感じて焦りを覚えだしたような気がします。友達との退職RTAに負けたのもこの辺だったので、余計に。でもすぐにでも辞めたいって気分ではなくなっていたので、この頃には居心地が改善されていたんでしょうね。

ライブは羊文学に行ってました。良かったですね。これも書いていたのでもう一回書きはしない。

 

7月

大学院を受けようと心に決めたのがこの時。まあまだ全然勉強できていないけど。大丈夫かな。

あとは父母ヶ浜に旅行したりしていた。めっちゃ綺麗とはいかなかったので、いつかまたリベンジしたい場所でもある。

それから、下旬にコロナにかかりました。

最初は喉に違和感があり、どんどん痛くなっていった。明らかに声もおかしい感じだった。熱はほぼなかったが、これは発症直後に解熱効果ありの喉薬を飲んだからかもしれない。夏風邪だろうと思っていたものの、職場でもコロナが流行っていて、当然ながらすぐ休むべきだった。が、ちょうど納期が切迫していた案件を一人で抱えていて、誰かに引き継げる状況にできておらず休むに休めない状況だったから、体調不良をおして出勤していた。今思えば色々とダメとしか言いようがないけど。で、必死に頑張ったのだけれど、その納期は私が体調を崩し始めた頃には1ヶ月延びていたらしく、そのことを納期前日に知らされた私は部署間連携の取れてなさにブチ切れ、もうこの会社辞めたいなと思いながら、体調はまだ悪かったので翌日から休んだ。そして検査を受けたら陽性だったので頭を抱えた。ダメじゃん。

陽性確定してから保健所に連絡を入れたけど、いつまで療養とかって返答があったのは発症から10日が過ぎてからという……。まあもう回ってないんだなという感じでしたね。基本的には自己判断するしかないような形で、医療崩壊を感じていました。そもそも検査を受けるのにも一苦労だったし。あと強制的な休みの期間は普通に有給を使わされるのでそれも嫌だった。

 

この月は色々疲れてましたね。ちょっと余裕もなく、仕事も回っていなかったような気がする。

ライブは倉木麻衣と乃木坂に行っていました。乃木坂のライブでおそらくコロナを貰ったんじゃないかという気がするのだけれど、これは会社の人には言えなかったな。楽しかったんですけどね。

 

8月

今との距離が近づくにつれ、振り返りにくくなる。この辺から怪しさが増してくる。

仕事では、デジタル改革的なのの外部研修に行かされ始めました。ここから11月まで毎週のように研修を受けに行っていたのは、気分転換的には良かった。でも怠かったし、これのせいですぐに会社を辞めにくくなってしまった。仕事自体は結構カツカツでやばかった時期でもあり、大変だった。

お盆に帰省したりしたけど特にいうことはないか。ないですね。

ライブはあいみょんと乃木坂に行ってました。どっちも非常に良かった。

あとははてなブログのトップページで記事が紹介されたりして、読んでくれる人が増え始めたのもこの頃。

自分のためだけに綴った言葉が、自分の知らないうちに広められ不特定多数に読まれていくのは最初はとても怖かったけれど、でもちょっと慣れましたね。

 

9月

仕事はカツカツ。辞めたいなぁって気持ちはマシマシだったが、外部研修のせいでタイミング的に難しかった。むしろなかったらスッと辞めてたかもしれない。

9月はライブにたくさん行った月だった。

Perfume阿部真央浜田省吾スピッツ(ロックロックこんにちは、ゲストはSHE'SとHump Back)で4回。浜田省吾は最前を引き当てて本当に最高だったな。スピッツは久しぶりだったけどやっぱり楽しかった。誘ってくれた友達に感謝。その友達と訪れた宇治で、ついに新しい赤い傘を買ったのも結構大きな出来事でした。

Perfumeは声を出せないもどかしさはありながらも楽しかった。

阿部真央は圧倒されました。一曲目アカペラで始まってその歌声に圧倒され、その勢いのまま二曲目三曲目でもう泣いてしまった。本当に感動した。阿部真央のライブ見るのはこれが3回目だったけど、今回がダントツで良かった気がしていた。静かすぎて阿部真央が緊張してしまうくらいには観客は声を出さずにいたのに、その分のエネルギーが手拍子とかにぶつけられてて、会場に圧倒される感覚があった。なんかね、すごかったんですよ。

楽しんでいた一方で

こんなことを書いていたりもした。結構波が大きかった時期だったのかな。この文章はお気に入り。

 

10月

この月は旅行とかお出かけが多かった。近場では比叡山や美山を訪れたりしたし、岡山の美作に行ってバッテリーの聖地巡礼をしたりしていた。あとは記事でも書いたけど白浜に行きましたね。結構充実していた月だった。

これは美山。

これは美作にある、バッテリーで出てくる新田市営球場のモデルとなったところ。少年野球をやっていた。

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ライブは乃木坂のアンダーライブと、ラッキーオールドサンに行っていました。アンダーライブは以前ほどの熱を感じなくて少し残念。ラッキーオールドサンは最高でしたね。

HomecomingsとかLaura day romanceに出会ったのはこの頃。出会えて良かったなぁ。

仕事は何やってたっけな。もう忘れた。なんとかなっていたのかもしれない。

 

11月

入社して1年半、初めて会社の人との飲み会があった。色々な話をする機会が今まで全然なかったから飲み会大事ですね。あと頼りになった先輩の退職もあって、今後結構頑張らないといけないなぁという感じになっていた。

乃木坂の齋藤飛鳥卒業は大きめに心に傷跡を残していった。つらいです……。

映画は「左様なら今晩は」を見ていました。

ライブは片平里菜Cocco、Laura day romanceに行っていました。Laura day romanceは立命館の学祭にゲストで来るということで行き、短い時間のライブだったけど楽しかったな。「happy end」と「Sad number」を聴けたので大満足でした。片平里菜Coccoについてはまあ記事書いたしいいか。最高でした。

 

12月

ようやく終わりそう。長かったな。

11月からではあるけれどW杯をよく見ていました。日本は惜しかった。フランスーアルゼンチンの決勝は凄かった。語彙力ねぇな……。

中旬には美術館でミュシャを好きになり、Homecomingsのライブを堪能し、愛媛を旅し、しまなみ海道を走破し、尾道で「左様なら今晩は」を楽しむという贅沢なひと時を過ごしていた。良い時間でした。

仕事はぼちぼち。下旬に少し体調を崩して大変だったけど、それ以外は特にいうことがない。

映画は「THE FIRST SLAMDUNK」を見ました。スラムダンクは好きだったけど、なんか前評判が悪かったので躊躇していたやつ。でも見てみたらすごく良かったですね。リョータは漫画では深掘りされていなかったキャラだけど、作者は一番好きなキャラだったんだろうなぁとか。後はやっぱり山王戦のラストシーンを映画で見れた価値は大きい。

他のライブは乃木坂の5期生のに行っていました。これで今年は合計25回。多かったけど、おかげで楽しく一年を過ごせた気がする。来年も変わらずいけたらいいな。

 

 

一年を通して振り返ると、なんだか楽しかった反面、体調を崩すことも多く、結構波が大きかったなという印象。そしてあっという間に終わっていた気がする。成長があったというよりは、楽しさを享受しているだけで時が過ぎてしまった感じで、前に進めていないような気持ちになっている。要は焦りです。

内省する余裕はやはりあまりなく、日々を過ごすので精一杯という感じではあったけれど、去年よりは余裕が生まれ、以前のように胃薬を飲んで働くということはなくなった。少しずつではあるが、働いて暮らすという感覚が体に馴染んできたのかもしれない。楽にはなった。

けれど、私はこの仕事を辞めてみせる。とりあえず大学院に受かって、正々堂々と辞めたい。それが来年の目標です。まだ迷いとか揺らぎとか色々あるけれど、来年こそそういうものを断ち切って頑張れる自分になりたいな。

 

それでは、よいお年を。