思い出の向こう側

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世代

この間会社の人と話していて、分かり合えないなぁと思ったことがあったので書いておく。若者論というかなんというか。「若い人たちって環境問題への意識が低い人たちが多いよね」「自分さえ良ければいいと思ってる」みたいな話をされて、すごくモヤっとした。

 


 

私は1995年、阪神大震災やオウムがあった年に生まれた。

小学校に入学した2002年から土曜授業が完全に廃止になっていて、一つ下の世代からは新課程が導入されたから、唯一の完全なゆとり世代だ。ついでに今よく言われている「Z世代」にも入る世代だと思う。

中学に入学した2008年にはリーマンショックが起き、中学を卒業する時にはちょうど東日本大震災が起きた。しばらくは安定していたけれど、25歳になる頃コロナ禍に入り、そして今に至るそんな世代。

 

私たちは生まれてから今までずっと、失われた30年の中で生きている。失われた20年と言われていたはずだけど、いつの間にか延びていた。なんなら40年にもなりそうだ。

ずっと暗い、「失われた」世の中を生きてきた。経済成長はほぼなく、消費税も上がるし、天災もたくさん起こった。遠い国でのことではあるが、戦争もいくつも起きた。

 

そんな社会の中で、私たちは社会から何らかの恩恵を受けてきただろうか。

平和を享受しているではないか、と言われたらそれまでではある。それこそ戦中から戦後すぐを生きていた方々、祖父母世代から見れば甘えでしかないだろうと思う。衣食住は基本的に不自由なく暮らせていて、そして平和。ぐうの音も出ないが、それは現状維持であって、私が生きてきた時間の中で良くなっているわけではないから、少しピンとこない。現状維持が難しいこともわかってはいるつもりだけど。

 

変化としては、確かに高校無償化とかはあったが、大学の学費は高いままだ。就職状況も良くなったと思ったらコロナでまた振り出しに戻った(これは私が同世代より遅く就職したからでもあるが)。初任給の水準は多分生まれた頃からほとんど変わっていない。消費税は上がり、社会保険やら年金やらの負担は大きいし、少子高齢化社会においてはこれからも大きくなっていく。老後のために2000万円貯めておけ、という話が出てくるのは、結局のところ年金だけに頼れない状況だからでもあり、自助で頑張れ、ということだろう。国が助けてくれる(くれた)という実感は、今のところない。

 

スマホの普及など、技術の発達によって生活は便利になったし、豊かにはなった……のだろうか。若者の生活に余裕があるようにはあまり見えない。

 

「最近の若者は」という言葉はいつの世でも言われるもので、別に私たちの世代だけの話ではないが、我々ゆとり世代に対しても当たりは強かった。あーだこーだ言われるたび、私たちがゆとり教育を選んだわけじゃないんだけどな、と冷ややかな目で見ていた。反省すべきはそれを選んだ大人世代では、なんて思っていた。まあそもそもゆとり教育が悪かったなんて言われるのも腹が立つし、当事者としては良かったと思っているけど。

現在はZ世代への批判が多いように思うが、これもつまるところそういう社会にした大人世代の責任ではないかとずっと思っている。それを棚に上げて、若者だけに矛先を向ける風潮を醒めた目で見ている。

 

私たちは「さとり世代」とも呼ばれている。それはきっと、そういった醒めた目を(社会によって)させられてきたからだと思う。社会は若者の方を向いているわけでもないし、何かをしてくれたわけでもない。社会全体はずっと暗く、失われたままで、そこに特に希望は見出せない。けれどあーだこーだ言われてしまう。そんな世の中。

 

そんな世界にいて、社会は別に何もしてくれないし、だったらこっちは勝手に生きるよ、何もしてくれないんだからあーだこーだ言うなよ、というような、利己的な生活を私はしている。自分さえ良ければそれでいい、と言い切れるほどでもないが、少なくとも考えるのは自分のことが中心で、他人のことはあまり考えていない。

これは世代共通かどうかまでは知らないし、そんなこともないと思うが、少なくとも私はそういう感覚を持っているし、周りやネットでの空気感でもそういうものを感じることはある。社会のために(あるいは未来のために、子供や孫世代のために)という意識と、それに伴う自己犠牲意識は多分薄いんじゃないだろうか。知ったこっちゃないとまでは言わないけれど、ふーん、あっそ、だから何?みたいな感覚。一人がどうこうした所で変わらないでしょ、だったら好きにやるよという感覚もあると思う。

 

冒頭の話に戻ると、意識が低いと言われるのも、自分さえ良ければいいと思っているのも、多分そういう空気感があるからで、そういう社会にした大人たちはどいつだよ、という苛立ちのようなものを感じてモヤっとしたんだと思う。その怒りに任せて書いていたらこんな感じになってしまったが、まあ普段あまり言えることじゃないのでちょっと吐き出したくなってしまった。

 

けれど、いつまでもそんなことを言ってはいられない。もう私は大人で、社会の構成員の一人だ。あの頃冷ややかに見ていた大人世代にもう組み込まれてしまっている。何もして貰えないまま、責任だけは持たされるというのは腹が立つけれど、責任を取らないようなかっこ悪い大人になってしまうのも違うだろう。ため息をつきながらも、このままではダメなこの世の中を、少しでも良くしていこうとしていかなきゃなと思う。大人たちは未来に希望を見せてくれなかったかもしれないが、私の未来は私が切り拓かなきゃいけないのだから。