1/6(月)
スピッツの展覧会『SPITZ,NOW! 〜ロック大陸の物語展〜 Special Supporter マイナビ』を見に六本木へ。六本木ヒルズに入るのは多分初めてで、どこから入ればいいか迷った、というか間違えてオフィスフロアの方に入った。こういうところでも東京の洗礼を受けるあたり、向いてないなと思う。
スピッツ展は良かったです。VRで『めぐりめぐって』を観れたり、楽屋の様子が再現されていたり、ジャケ写に使われたものが展示されていたり。『見っけ』のジャケ写の人物を私は今までずっとマサムネさんだと思い込んでいたんだけど、全然関係なく女性だったということを知ったのが一番の衝撃でした。いや、似てね?
これは会場からの眺め。
展示を観終わり、六本木ヒルズを出て、なんとなく東京タワーの方へと歩く。登るつもりもない。ただ、大きな目印としてそこにあったから、ふらふらと。
六本木の空は曇り空。平日だからなのか、まだ年明けすぐだからか、人通りも多くはない。ふと、孤独を感じる。
東京にいると、時折こんな感じで私が孤独であるということを突きつけられるような、そんな感覚を抱くことがある。何がどうというわけではないんだけれど、今、私は一人で歩いていて、そしてさみしい。どこかを旅行しているとき、あるいは香川や京都にいるとき、あるいは家の布団に一人で包まっているときの孤独感や寂しさとはまた何か違う、そんな孤独。うまく言えないんだけど、味方がいない感じというか……。それは例えば自然、川や海や森といったものの少なさ、全てが人工物でできている空間だからなのかもしれない。東京に緑が少ないというのは嘘で、それなりにあるんだけど、でもどこか人の手によって整備されている感じがとても強く、そこにうまく馴染めない、そんな感じに似ている。香川であれば、川や海や空が私の味方でいてくれるような、呼吸を同じくしてくれるような、そんな優しさを感じるのだけれど……。
ああ、やっぱり東京はなんだか合わないや。難しい。そんなことを考えながら歩く。BUMP OF CHICKENの『東京賛歌』が頭をよぎる。
自分が嫌になっていく。いつまでも東京にネガティブな感情を向け続けて、馬鹿みたいだ。
なぜ、これほどまでに私は、僕は、東京を忌避しているんだろう。
東京は、さまざまな街の集合体だ。東京と一括りにして語れるほど、均一なものではない。なのに、私はなぜか東京を一括りで見て、そして忌み嫌う。私が好きじゃない東京は東京のどこなんだろう。漠然とした、抽象的な概念としての東京を私は敵視しているだけなんじゃないか。何に私は反発しているんだろう。
東京に対するネガティブな感情を、私はなんと言い表したらいいのかわからない。憎しみ、妬み、羨ましさ、恨み、反発心、悔しさ、諦めきれなさ、眩しさ、懐かしさ、居心地の悪さ、思い出、バツの悪さ、劣等感、寂しさ、つまんなさ、疎外感、憧れ、いろいろなものが合わさってごちゃごちゃになっているのが私の東京に対する感情な気がしていて、それをうまく言い表すことができずにいる。ケッて思っているし、いいなって思っているし、でも無理だなとも思うし、逃げたいし、戻りたいし……。ネガティブな感情の裏には未練とか、後悔とか、後ろめたさとか、ちくしょうって思っていることとかそういうものがあるんだと思う。
私は11年前に、それらを東京に置いてきたつもりだった。その当時はそんなことを何も考えず、ただなんとなくで東京を離れたような気がしているのだけれど、実際のところ逃げ出した側面は多分にあったのだと思う。いや、なんとなく離れたというのは当時の私に失礼で、そのときはちゃんと意志を持って東京を離れていた。東京を見返してやるんだという気持ちも多分持っていた。でも、今振り返ればそこにはやはり逃げがあった。逃げたままだったから、こんなにもずっと複雑な気持ちを抱き続けているのだろうか。いい加減、このコンプレックスに、そう、東京へのコンプレックスに向き合わないといけないと思う。
それでも。
東京は好きじゃない。やっぱり私には合わないと思う。いつかこの街に帰ってきて、ここで生きることはあるのだろうか。
そんなことをまた考えながら歩く。歩く。麻布台を抜け、東京タワーに辿り着く。東京タワーは偉大だ。見ているとなんとなく落ち着くのは、ある意味で東京らしくないと思えるからなのかもしれない。
中には入ったが登るでもなく、すぐに出て、また歩く。雨が降り出した。ああ嫌だ。やっぱり東京は合わないんだ、なんて被害妄想的になる。大門へ抜け、ルノアールで雨宿り。コーヒーを飲みながら、頭によぎっていた『東京賛歌』を聴く。最近配信開始された、『BUMP OF CHICKEN TOUR ホームシック衛星2024 at ARIAKE ARENA - DAY2 -』のものを。
やはりすごくいい。そして刺さる。
「上手くいかないことの腹いせだろう」「勝手に飛び出して 勝手に辿り着いたこの街だけが知ってるよ 忘れた夢の引き出しを」「勝手に選ばれて 勝手に嫌われたこの街だけが持ってるよ 帰れない君のいる場所を」
この曲は上京してきた人の歌で、だから完全に同じでもないのだけれど、私の持っているこのコンプレックスのようなものを言い表しているような気がする。ドキッとするし、後ろめたさを感じるところもある。
ああ、いいなって思っているうちに、その次の曲である『真っ赤な空を見ただろうか』が流れてきた。
なぜだかはよくわからない。ただ、泣いてしまった。そんなつもりじゃなかったのに。好きな曲だけれど、どうして今、こうまで染みてくるのだろう。疲れているんだろうか。それとも、それほどまでに孤独を強く感じていたのだろうか。
なんとなく、BUMPの音楽は孤独に寄り添ってくれるものだと思っているのだけれど、東京にいる時の孤独にこそ強く寄り添ってくれるような、そんな感覚があった。香川で聴いたときよりも遥かに心に染み渡って、一人じゃないっていうメッセージを受け取ったというか。
BUMPは東京の孤独を歌っている。だからこそ、BUMPの音楽を聴くことで、私のこのコンプレックスは、この痛みは、きっといつか癒やされる日が来るような気がしている。これは私がこの日感じたことでしかないこと。他の誰かにとってもそうなのかはわからないし、そうであってほしいとも思わないこと。ただ、この日の私が、そう強く感じてしまったこと。
スピッツを観に行ったのにBUMPが心に残る、そんな日だった。
東京。いつか好きになれるといいな。