思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

風になりたい

今週の中で断片的な何か、流れて消えてしまうようなものを書き残しておきます。

 


 

深夜2時。眠れなくて、こんな時間だけどゴミを出しに外へ出た。雨はもう止んだと思っていたのだけれど、霧雨が舞っていた。傘もささずに歩く。雨に濡れていたいような、どこかそんな投げやりな気分だった。ここで風邪をひいたら後悔することを知っているのに、それでも濡れていたいと思ってしまった。

誰もいない。雨も静かだ。孤独。

ふと、これは孤独であって、寂しさではないのだということを思う。強がりかもしれないが、今の私は寂しいわけではない。ただ、孤独であるということ、一人であるということは強く感じている。何がどう違うのか、私にもよくわからない。

 

道を歩いていると、豚を乗せたトラックに遭遇した。隙間から見えた豚は動いていて、ああ生きているんだなと思った。トラックの通った道は獣の匂いがした。臭いなと思ったが、その命を享受している私がそう思うことはどれほどの罪深さなのだろう。普段は見えていないこと、意識せずにいられていること。手を下すことも、その命を感じることもなく、ただトレイに入れられた赤い肉の欠片を手に取ってカゴに入れること。フライパンの上で焼いてしまうこと。ぺろりと食べてしまうこと。美味かった不味かったなどとその命を評価すること。その命を、臭いと思ってしまうこと。

そんなことを思った。でもその夜、私は何も思わずに豚のタンを焼いて食べた。美味しかったです。

 

近所のとあるスーパーで買い物をしていると、ふっと心がしんどくなるような感覚を覚えた。それは、3週間前に同じようにしんどくなったのと同じ場所だった。何かがフラッシュバックするようなそんな感覚で、慌ててその場を去った。ちょうどその時と同じ友達とも連絡を取っていたこともあり、その時の記憶が刺激されたのだろうか。とても怖かった。しばらくあのスーパーには行かないと思う。こうやって恐怖症は作られていくのかもしれないですね。

 

今、Coccoのライブに行きたいなと思う。最近は久しく聴いていなかったのだけれど、どうしようもない気持ちになったとき、思い出したかのようにCoccoを聴きたくなり、聴いてみるとやはり救いだった。去年も一昨年もライブを観に行っていたというのに、今年はツアーもないからあの歌を浴びることができていない。あの感覚が恋しい。あの、なんとも言えない純粋さを、透明感を、強さを、弱さを、愛を、それら全てを持ったCoccoという一人の人間を。

 

気温の急激な変化に体がついていけない。体調や睡眠が崩れている。どうにもならない。自分で自分をコントロールすることができないでいる。どうにかなりませんか。

喘息もまだ続いている。もしかしたら心因性かもしれないと思う。でもそうやって全てを心の問題に帰結させようとするのは悪い癖かもしれない。いずれにせよ、そのうち病院に行かないといけないなとは思っている。思っているのに、気が進まないのはなぜなんだろう。とりあえず今飲んでいる市販薬が尽きたら行こうかな。

喘息に限らず、私は喉をはじめとする呼吸器系がどうも弱いみたいだ。喉は枯れやすく、働いていた時も何時間か喋っていると枯れてしまっていた。研修とかで喋って教える羽目になるともう大抵ダメで、そういう日々が数日続くと蓄積したダメージで体調まで崩れていく。それは今でもそう。喋る時間が長い(普通の人にとっては普通の長さかもしれないが)とすぐに枯れる。だからまあ、無口でいる方が元気ではいられるんですよね。喋りたいけど。

声帯の使い方というか、発声が悪いんだろうなと思う。ボイトレみたいなものをして、一から声を作り変えていった方がいいのかもしれない。声は仕事道具なので、ちゃんと持続できるようなあり方を今のうちに考えておく必要があると思う。抑揚のなさとか、滑舌の悪さとか、そういうものも改善できるといいなと思うが、顎関節症的なアレであまり口が開かないのもあり、まあそれは難しいような気がしている。口を指3本縦に入るくらいに開けるとカコカコ言うんですよね。普段は痛みも何もないんですけど、たまにしんどくなる。

 

やらなければならないことはたくさんある。逃げ出したい気持ちはいつだってある。できることなら全てを投げ出したい。こんなことばかりずっと言っている気がする。でも、まだ逃げ出してはいない。不思議。

まだ、頑張ってみたいと思っているのだと思う。自分の可能性を信じていられているのだと思う。もう少しだけ頑張ろうというのを立ち止まりながらもここまで続けてきていて、これからもそうしていくことしかできないかもしれないが、それでも一歩一歩前には進めているようには思えている。自信を持つことは簡単にはできないけれど、でもまあ少しくらいは信じてあげてもいいのかもしれない。

焦りはある。空回りしてしまっているところも恐らくある。どうしていいかわからなくなって途方に暮れているときもある。こういうときこそ深呼吸。リラックスして冷静になりましょうね。まあ、喘息で苦しいとどうしようもないのだけれど。

色々なものを治してしまいたい。完全な状態にしてしまいたい。でも、どこかに欠落があるのが人間で、どうしたって完全な状態になどなれないのだから、この不完全さを受け止めないといけないのかもしれないとも思う。まあいいか、これが私だしと思えるようになったら楽なんだろうな。

 

歩いていたときに、ふと「風になりたい」と思った。吹いていた風が心地よかったからかな。歌詞は今の私の気持ちとは違うものだけれど、”天国じゃなくても楽園じゃなくても”ではありますね。