思い出の向こう側

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旅に出る、その日に考えていたあれこれ

土曜日深夜、ものすごく久しぶりに旅に出る。

旅といっても、深夜フェリーで出て翌日には帰る、一泊二日ですらないような、そんな小旅行。それに目的は家探しで、大学生協に行ってあれこれ情報を集めて、もしいい部屋が見つかったらもう決めてしまおうか、くらいのお出かけ。今後2年間住む土地に行くわけだから、別に観光はしなくてもいいし、飯だってそんなに特別なものを食べなくてもいいかな、という気持ちで、これは果たして旅と言えるのだろうか。何もワクワクしていないし、どちらかといえば月曜の仕事がしんどくなるだろうということに憂鬱を覚えているくらいだ。

少し京都から離れてのんびり息を吐いていきたいな、という気持ちはある。だから1日であってもこれは旅で、私を私にしてくれる時間になるかもしれない。何か一つ楽しみを見つけてこよう。

 

フェリーを待つ神戸港で、Coccoのエッセイ「東京ドリーム」を読む。やはり私はこの人の言葉と心が好きで、だからCoccoの歌はあんなにも響くのかな。私もこんな文章を書きたいと思う。憧れの人があまり思い浮かばない私だけれど、こと言葉や文章に関しては憧れの存在が沢山いて、Coccoはその1人だ。敵わないと思いつつ、そこに届きたいと渇望してしまう。冷静になれば己にそんな才能はなく、努力もしていないのに、それでも望んでしまう。それはきっと、自分の言葉と心を信じているから。心理学の道に戻ることを決めたのも、心と言葉の世界で生きていたいと、そう心が叫び出したからだった。まだ微力で拙さしかない私が、私自身でぶつかっていって何かを成し得るとしたらそこだと思ったから。

Coccoはすごい。これから私が頑張ってカウンセラーになれたとしても、私が誰かを救う(救うなんて烏滸がましいが)よりも遥かに多くの人の心を救っていることだろう。私ができることは小さなことかもしれない。それでも。

Coccoほどたくさんの人でなくてもいい、誰か、目の前の1人の心に私が届いたら、それが私にとっての喜びの形なんだろうな。Coccoが歌うことと同じくらいに誰かの心に届くように、私は私をちゃんと生きていきたい。

 

もうすっかり冬。気づいたらもうすぐそこに別れが近づいてきていて、やはり私は寂しいままだ。残りの出社日数が17日になった一方で、トラブルがいくつか発生したためにまだ普段通りの仕事を続けている。あと何日か働いたら、あとは引き継ぎ資料の作成に専念しなければならない。みんなに幸せでいてほしいから、そのためにできることは少しでもやっておきたいけれど、もう残り少ない私にできることは限られている。何ができるだろうか、何を残せるだろうか。

 

そんなことを考えていたらフェリーの乗船時間がやってきて、いそいそと自由席へ。寝転べるエリアには壁際にコンセントがポツポツとあり、それを確保すべくみんなが急ぐ。私もその1人で、無事に確保できた。コンセントに群がる様はまるで電灯に集まる虫みたいだな、とふと思う。疲れている。とっとと寝てしまおう。