思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

眠りにつく前に

疲れが来ている。踏ん張りどころという表現は、これからもっと頑張ることを考えると相応しくないかもしれないが、一旦少し踏ん張って頑張るところに来ているような気がする。眠いが、寝る前にもっと色々とやらなければ、と思う。これを書くことも、今きっと自分に必要だと思って書いている。

日々を生きるのに精一杯というか、なんとかこなしていくのに必死。新しい環境に身を置いて、そこへの適応というか、あまり知らない人たちとのコミュニケーションにすごく気を使っているのかもしれない。知らず知らずのうちにその疲れが蓄積しているのかな。それでもなんとかやってはいけているんじゃないかなって思っていて、これはきっと遠回りした分の経験がちゃんと生きているのだろう。

日々を振り返ると、もっとしっかりやりたいのに、できていないことがすごく多い。復習の時間も、予習の時間も、インプットもアウトプットも全てが足りていない。授業の内容だけでなく、自分でする勉強も、研究のための調べ物も、何から何まで足りていない。もっと何かを犠牲にして、時間を割いていかないと、本当にあっという間に時間は過ぎて、それで終わってしまう。

実際にはそんなことはないのだけれど、働いていた時よりも時間の捻出が難しいような、そんな錯覚に陥っている。多分、退職してからの時間の怠惰さに慣れてしまって、体が活動的じゃなくなってしまっているんだ。あとはやっぱり他の趣味、楽しみに流されてしまっている。良くないね。

 

たくさんのことを日々学んでいるけれど、それをもっと定着させないといけないし、それよりももっと学ばないといけない。あまりにも学びが足りていない。本当にすごくすごく痛感しているところ。貪欲さが足りていないし、良くも悪くも前からの生活スタイルのまま暮らしてしまっている。もっと学びに舵を切らないといけない。

あまり焦りすぎるのも、根を詰めすぎるのも良くないってわかってはいるつもり。多分心と体がセーブをかけて、平穏に暮らせるようなバランスが今なのだとも思う。でも、もっと、もっと、もっと。

そうですね、多分焦りすぎてもいる。ただ客観的に見ても、もっとやらなければいけないはずだ。もっと。

 

もう少しやることを明確にしないといけないかも。勉強をもっとしなければいけない、ではなく、この日のこの時間はこれをどれくらいやる、みたいなことをちゃんと形にしていかないといけない。毎日やることを具体的に考えてやらないと、ずるずると行ってしまうような不安がどんどんとやってきて、今みたいな不安定さにつながってしまう。頑張るっていうだけじゃダメなんだよ。

あとは目的意識を見失わないでいること。なんのために今私は学んでいるのか、ちゃんと忘れないように。学費を自分で払っているのだから、本当に貪欲にならないとね。少し醒めた目をする癖を、もう振り払っていきたいなと思う。

 

(追記):

別に書き足すようなことでもないけれど、なんとなく。

「生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」は、今学んでいるところと少しリンクするものがあって、ただ聴いていただけの頃よりも少しくっきりとしてきたなというか。こうやって少しずつ、音楽は自分の中の色々な物語と結びついて彩りを与えてくれる。