思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

2021

2021年を振り返るブログ。

2021のうちに書いておこうと思っていたけど、時間もないしまあ年が明けてからでいいか。一年前も年が明けてからだったし。

というわけで1月から。

1月

もはや何があったかを忘れた。新居探しをしてたっぽいですね。あの時もたくさん悩んでたけど、今思えば可愛いもんだ。悩んで決めた今の家はもう普通に快適に暮らせている。

 

1月のこのブログを振り返ってみると、新年の目標は「ちゃんと生きていく」だった。

 

”新しい環境に適応できるように。そのためにも調子に乗ることなく謙虚に、周りを頼れるように。自分を大切にすることを忘れずに、なんとかこれから1年を乗り越えれたらいいなと思います。”だって。

達成できたかと言われると微妙で、周りをもっと頼ればよかったなって思うことも多い。それに、一年経った今振り返って初めてこの目標を思い出しているわけで、その時点でどうなのよという感じでもある。でもなんだかんだ仕事を続けてここまで生きているので、一応達成かな。

 

”まだ自分の中のモラトリアム的傾向は続いているように思うんだけど、取り敢えずこの傾向に一回蓋をして生きていくのか、それともちゃんと向き合いながら生きるのかで悩んでる”なんて呟いていた。まだ抜け出せてないけど、それでもなんとか生きている。蓋はできてないですね。

”不可逆性に怯えているくせに日々を無為に過ごすことには無頓着でいられる””不可逆性への抵抗として可塑性を大切にしている節がある”は今の自分に刺さる呟きだった。不可逆なことを思い知らされた今。

強くはなれなかったね。

 

2月

1月を書いていて、このブログが予想以上に長くなりそうで困った。まあいいか。短く削ぎ落とすのは自分のためにならない。

何をしていたかというと、ほとんど何もしてなさそうですね。部屋の整理を少しずつ始めたり、あとは近所を散歩してたり。最後のモラトリアムを満喫していた。

あと後輩に誘ってもらって下関・門司に旅行していた。あれは楽しかったな。

 

”大人になりきれないまま、子供でいることを捨てきれないままに就職が近づいてきているのだけど、働き出したら変わっちゃうのかな”という呟き。

今のところはあまり変わっていない。子供のままで表出してはいられないので、大人のふりをしているような、そんな感覚かもしれない。まだ捨てきれない。捨てたいとも思っていないかな。

ブログでは、

こんなことを書いていた。自分を信じられない、というのは今もあまり変わらないけれど、今はあまりそのことを意識しなくなったな。意識する余裕がないとも言える。

あと褒められが足りない、というのは働き始めてからも変わらなかった。給料をもらっているわけだから、頑張って働くのは当然で、別に褒められることでもない、というのもわからなくはない。だけど、もっと褒めたっていいんじゃないかってすごく思ったりする。失敗したら怒られるけど、うまくいっても褒められない(それで当然だから)という状態はあまり居心地のいいものじゃないですね。甘いと言われるかもしれないけど、減るもんじゃないし積極的に褒めてほしいなぁなんて思う。後輩ができたら細かく褒めるようにしたいな。

 

3月

就職前最後の月。7年間住んでいた百万遍を中心とした街に別れを告げ、伏見の街に引っ越した。思い出の店を巡ったりしていた。あとは讃岐うどんを食べに香川にも行っていた。4月にかけてだけど、京都で桜巡りもしていたな。

 

”実際にはこれがお別れかもしれないなんて毎日思って生活するのはなかなか無理なんだけど、それくらいの意識を持って後悔しないように生きていたいし人に優しくありたいよね”という呟き。「一期一会」という言葉。

この言葉がこの時はまだ軽かった。今は重たくなった。この時の百万遍との別れって、別に本当に最後ってわけじゃなかったからね。実際のところ近いから週末になるとよくそっちの方に行ってしまっていたし。

この頃でさえ、”お別れをしたけれどまたすぐに再会できるというのは幸せなことなんだから、それはそれでいいんじゃないかな”なんて呟いていた。それでいいと、今でも思う。

 

あとは震災から10年。そのことも今度書こうかな。

4月

社会人になりました。とはいってもこの頃はまだ全然って感じだったけど。

これ以降、働き始めてからの生活はあまり振り返りたくないというのが正直なところ。さなかにいてもがいている間というのは、まだ振り返るタイミングじゃないような気がしてしまう。まあ本当は単純に気が滅入るからなんだけど。

なので今は軽くこのブログを読み返してみるくらいにしようかな。あとは仕事以外のことで書くか。気が向いたら書き足すかもしれません。

 

仕事についていくので精一杯だったなぁ。それ以外が残っていない月だった。

5月

仕事に少しずつ慣れ、ちょっとだけ気持ちにも余裕が生まれてきた。

それで、GWにうどんを打ち始めた。

今はあまり余裕がなくて全然打ててないな。気持ちも今はそっぽを向いている。また気持ちが向いたら打とうかな。あの頃のキラキラした、自分が成長できる未来が見えていた気持ちを忘れないようにはしたいな。夢を持つ気持ちも。その衝動も。

 

あとうどんを打つと同時に、初めて天ぷらにも挑戦していた。これは1月に目標としていたことでもあったので、地味に達成。それ以後もたまーに揚げ物をやるようになった。できるようになったことがあるというのは、いいことですね。

 

仕事に慣れてきたとは言ったものの、5月後半くらいからは任される仕事量も増えたりしてヒイヒイ言っていたような気がする。仕事が楽しいと言っていたのは何処へやら、眠れない夜も増えていった。あと5連勤が無理だと気づきはじめた。転職を頭の片隅に置き始めたのがこの頃だったような気がするね。

6月

初めてのボーナスが入ったので、父親には酒を、母親にはジグソーパズルを贈った。何を贈ろうかというのもすごく悩んだな。酒は父親の地元のを選んだんだけど、入手困難だったのもあってすごく大変だった。高槻までチャリで往復(53km)なんてこともやったし。

 

田中ヤコブや家主、ラッキーオールドサンに出会ったのもこの頃。いい出会いだったな。今度行くライブが楽しみだ。

 

あとは久しぶりに舞台を見に行った。「夜は短し歩けよ乙女」。

このご時世になって、ライブとかも全部オンラインになってしまっていたから、現地でこういうステージを見るのは1年以上ぶりだった。やっぱり生で見るのが一番いい。京都の街と、そこで過ごしていた時間がとても恋しくなった。

 

そしてもう一つ。

推しが本を書いていた。読んだ感想とか、色々なものを書こうとしたけれど結局書けなかったな。いつか書こうかな。

 

あとはブログを振り返っても、

こんな感じでちょっとメンタルが落ち込んでいたりもした。いろいろとあったけどなんとか生きていた日々だったんだろうな。頑張ってたな。

 

7月

仕事がつらい。そんな感じの日々。

連休があったので帰省したりもした。実家に篭っているだけだったけど。

オリンピックはなんだかんだでたくさん見ていた。それだけを楽しみにしていた時期でもあったかな。

あと下鴨神社のみたらし祭に行ったりしたな。

 

ブログでは、

こんなことを書いていた。不安定ですね。自分がわからなくなるような感じは今はあまりない。ちょっとはマシになったかな。

 

”自分のことを考えていたいし、自分の感情と向き合っていたいし、それを言葉として残しておきたいってのが今やりたいことなので、それと関係なく仕事をしなきゃいけないのがとても憂鬱”という呟き。

これは今でも思うこと。自分の生きるペースとは無関係に仕事は決められた日時にあって、それを優先しなきゃいけないというのは私にとって結構なストレスになっている。

8月

ワクチンを打った。1回目は微熱と、腕がちょっと痛くて上がらないという程度だったけど、2回目は高熱が出た。結構しんどかったな。

 

あとはスカイダイビングを飛んだ。これがとても大きかった。すごく気持ちよくて楽しかったし、また飛びたいな。

飛んでから数日は、「まあこないだ空飛んだしな」と思いつつ仕事をこなしていた。そうすると少し楽だった。

9月

映画を見た。すごく久々だったけど、とてもいい時間だったな。アップリンクという映画館に出会えたのも良かったな。

あとはZARDのサブスク解禁も大きかった。「約束のない恋」をようやく……。

それから音楽でいえば、Kaede(Negicco)「サイクルズ」や、中島みゆき永久欠番」あたりに出会った。両方ともとても良いです。

 

仕事はなんだかとても疲れていた。内向的にもなっていた。弱音も吐いていた。しんどかったな……。あまり思い出したくない気がしますね。胃薬をよく飲んでいたな。

10月

関取花と、aikoのライブに行った。ライブに行くのがとても久々だったけど、すごく楽しくて、人生はこうでなくてはと思っていたな。最高でしたね。

あとスピッツのライブの劇場版を映画館に見に行ったりもした。ライブに触れる時間が結構多かった月でした。

 

仕事面ではメンタルが死んでることも多かったみたいだ。平日の疲労を土日でなんとか回復させるだけの日々。振り返ることが何もない。語れることがあまりにもない。記憶がない。

11月

鞄を買い替えた。これについてはいつかちょろっと書いておきたい。

あとは高橋優のライブに行きました。良かった。

中旬くらいには体調を崩して会社を休んだりもした。このご時世なので流石にちょっと怖かったけど、抗原もPCRも陰性でホッとしたな。

紅葉を見に行ったりもしましたね。でもそれくらいだな。

 

仕事はもうしんどいので考えるのをやめた。抵抗するのをやめたという感じかもしれない。こうしていれば生きていけるんだろうけれど、それは生きていると言えるんだろうか……。

12月

まだあまり筆が進まない。

母方の祖母が亡くなった。87歳。急なことだった。最後に会ったのが2019年の3月だった。会いにいけないままだったのが心に刺さっている。

今はあまり思い出さないようにしているところがある。つらいから。しんどいから。

ふとした時に泣いてしまうことがある。

やっぱりまだちゃんとは書けないね。

 

一期一会を噛み締めている。

この年末年始に父方の方の祖父母に会ったのだけれど、去るときの別れがいつも以上にしんどくて、泣きそうになった。

年末年始には叔母の家で飼っている犬にも初めて会った。かわいい。そして、撫でている時や抱っこしている時の温もりが、心をぎゅっとした。

 

ずっと元気でいてね。

 

命というものを強く感じた月だった。

 

まだ一年を新たにしたという感覚がない。新年の目標も、このブログを書いたら立てれれるようになるかなと思っていたけれど、無理でしたね。

 

とりあえず生きていきます。頑張ろ。