思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

生まれたままで

”大事なものが少ない方が楽だと思う”という歌詞がある。

この言葉が私は好きだ。

そしてずっと胸に抱えてきた。

 

出会いの数だけ別れがある。大事なものが増えれば増えるほど、いつかやってくる別れが増える。そして大事になっていけばいくほど、つきまとうその別れは重たくなっていく。悲しみはより深く、そして長く私の心にのしかかっていく。

歳をとっていた。別れの数が、それだけ増えていった。サヨナラに強くなるなんてことはなくて、いつになったってつらいものだ。誤魔化し方は少し上手になったかな?だけど誤魔化していることを自覚している分、バツの悪さが追加されてしまった。

大事なものが少ない方が、別れの数は少なくて、悲しみに暮れる日々もきっと少ない。こんなつらい思いを重ねていくくらいなら、出会わなければーー。そんなことをふと思ったりする時がある。楽だろうな。

 

そんな意味でずっとこの言葉を捉えてきた。

 

けれど最近、それに加えてもう一つ意味を見出した。

 

大事なものが増えていくと、その全てを平等に大事にはできなくなってくる。

時間は有限だし、私の体と心は一つしかないから、何かを大事にする代わりに何かを大事にできなくなる時がある。友達と遊ぶ予定、好きなアーティストのライブや配信、スポーツ観戦、旅行、家族との時間、1人でいる時間…….。その全てを休日に実現しようと思っても、それは無理な話だ。何かを選び、何かを切り捨てることになる。

その感覚が私にとってつらい。大事なものに優先順位をつけなきゃいけないことが。順番なんて本当はつけたくないんだ。

どれもが私にとっては大事なのに、大事にしたいのに、大事にできない瞬間が存在してしまう。そして失ってしまってから、もっと大事にしておけば……なんて思ってしまうんだ。

それに、全てを均等に大事にしようとした結果、全てを中途半端にしか大事にできなくなって、結局全てに後悔が残ってしまうこともある。私はそういうことがとても多いような気がしている。中途半端な人間だなぁなんてすごくよく思う。

やっぱり大事なものは少ない方が楽だ。

 

だけど、それは「楽」ではあるだろうけれど、「良い」というわけじゃない。少ない方が楽だろうなと羨みつつも、私は大事なものが多い人生を選んでいたい。その方がきっと幸せだ。つらくてもね。

この曲の歌詞は最後こう結ばれる。”いくつの嘘 自分に言い続けたのかな 誠実じゃない 僕はその分 大人になった”

 

”目を瞑りたくなるような日々の中で まどろみながらも前へ”

 

今朝通勤中に浮かんでいたフレーズ。他に書き留めておく場所もないので、関係ないけどここに書いておこう。今書いていて、「眩い光に包まれ」というようなフレーズを追加したくなったけど、思い浮かんでいた時見ていたのは曇り空だったので却下しておきます。「曇り空の下」を追加しておいてもいいけど、それもなんだか違う気がするね。