思い出の向こう側

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カルマ

大学院の入学手続きが無事終わり、正式に受理された。

本当に受かったのだろうか、入学手続きミスって取り消しになっていないだろうか、後から反故にされたりしないだろうかなどと心配をしていたので、ちゃんと書類が届いてホッとした。

 

そして退職届を出した。

ここまではまだ頭を下げて引き返す術があったけれど、届を出してしまってはもう戻れない。退職日は12/30で、有給消化があるから最終出社はもう2週間ほど前になる。そのあたりも全てほぼ決定事項になり、覆すことはできなくなってしまった。就業規則上、退職届は30日前までに出せば良いのでもう少ししてから出しても良かったのだけれど、もう決まったことだし、と早めに出してしまった。なんなら入学手続きがちゃんと受理されたことを知る前に出してしまっていて、でもそれは流石に待つべきだったなと思う。自分の人生なんだからもう少し慎重で良くて、無駄にリスクを背負う必要はなかった。しかし早く出してしまいたかった。中途半端な状態を続けたくはなかった。

今だって自分の選んだ道をまっすぐ信じきれているわけではないから、早くに出したのはそんな自分の迷いを捨てるためでもある。立ち止まらないように。振り向かないように。

 

この会社で働くのもあと27日になってしまった。50日くらいだと数えていた頃からあっという間に半分が過ぎていて、この調子だと本当にすぐそこに終わりが来る。清々しい気持ちはまだなく、寂しい気持ちが今は強い。終わりが近づけばまた変わるんだろうか。

少しずつ担当している案件がなくなっていって、後輩にほとんど任せるようにはなっていっているものの、今はまだほぼ普段通りに働いている。あと2週間くらいはこの調子だと思うけれど、仕事が引き継ぎ資料の作成だけになったら余計に寂しさが増すような気がしていて、なんなら全て終わってもやっぱり寂しいだろうなと思ってしまう。

 

これから歩む道と、今まで歩んできてこれから離れてしまう道。後者の方が幸せに思えてしまうのは、きっともう手に入らないものだからなのかもしれない。人間はないものねだりをしてしまうもので、だから後ろを振り返ってしまうけれど、そこにはただ風が吹いているだけ。ちゃんとお別れをして前へ進んでいかなきゃね。

これからの道は多分あまり幸せではない道だと思って選んでいて、その選択はある種の罪滅しのようでもある。自分のためではなく、他人のための人生を送ること。カルマというべきか、結局そういう道を選ばざるを得なかったという少し悲壮感のある覚悟を持っている。そういった呪縛から逃れたいとずっと思っていて、だから就職では製造業という心理学に関係のないところに行った面もあったけれど、やっぱり逃れられなかった。というより逃れることを私自身が許せなかった。許せなかったこと自体がカルマでもあるわけで、だからもう根深いというか、こういう人生なんだなと思っている。

とはいえ、幸せになってはいけないなんて呪縛を自分に課す必要は全くないはずだ。そんなこと多分誰も望んじゃいないし。だから私はちゃんと幸せを見つけていく。他人を幸せにするにはまず自分が幸せになること、って誰かが言っていたけれど、それはその通りだと思うから。

自分がまずは安定すること、そして自分の生活をちゃんと大切にすること。他人のためにの前にまずは自分のために生きることを、見失わないようにしながら生きていこうと思う。