思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

最近のこと

最近は書くことといえば何らかの出来事について書くことが多くて、思考を書き残しておけていないような気がしている。その方が書きやすいというか、あまり自分の感情を揺さぶることなく書けてしまうからついそちらに流れてしまう。

今は働いているわけでもなく、試験前で追い込まれるでもなく、そんなに精神的に大変なこともないから内面的なことを書く必要性がそもそもないのかもしれない。

私がここで内面的なことを書いているときは、大抵自己治療のために書いている。フォーカシング的な、あるいはカタルシスのような役割を書くことに持たせている。でもその治療を今は必要としていない。それは多分幸せなことで、それでいいのだと思う。そんな自分になってしまっていることには少し寂しさを覚えるのだけれどね。もっと不幸であれ、苦しめ、その方が色々考えて自分というものを深く見つめられるようになる、いい文章も書けるようになる、なんて考えてしまうのは不健全極まりない態度で、だからそれを肯定することはないのだけれど、否定もできない。ただ、今がその時ではないというだけ。きっとそのうちにそういうタイミングがやってくるから、その時に考えればいいし、書けばいいのだと思う。

 

1月ってこんなに寒かったんだな、と思う日々が続いている。新宮に行った日なんかは16℃とかあったからもう春のような気持ちでいたのだけれど、今はもう冬。風の冷たさに顔を顰めながら、でもこの冷たさを楽しみたいなとも思う。

夕暮れ時に空が綺麗だったから、なんとなくずっと眺めていたくて、西日を追って自転車を走らせた。浮かんでいたのは2日目の月で、最終出社から1ヶ月が経ったことを知る。もう働かなくなってからそんなに経ったということをいまだに信じられずにいる。

その前の週には手続きのために会社に行った。とても久しぶりに会う人たち。少し気まずい気持ちを抱えながら、すれ違う人に「お疲れ様です」と挨拶をしたら「こんにちは」と返され、ああもうここは私の居場所ではないんだな、と寂しさを強く感じた。そういうものなんだろうな。仲良い人たちと少し喋ったりした後、後輩たちと一緒に昼飯を食べに行った。あの頃の日々が少し戻ってきたような、それでいてもう戻れないことを強く感じるような、そんな時間だった。

何人かの人からは、今日ちょうどあなたのことを考えていた、なんて言われ(行くことは別に伝えていなかった)、みんなの心の中に私が残っているならそれはとても嬉しいことだなと思った。怖い、って返しちゃったけど、嬉しかったんだよ。

 

 

引越し先の家を決めた。来月には京都を離れる。10年間住んだ京都、そこからの離別が私にとってどんなものなのかは今はまだ想像がつかない。新幹線を京都駅で降りるとか、京阪を中書島で降りるとか、そういう体に染みついた感覚を引き離すことに多分痛みを感じるような気がしている。京都駅で降りない、という痛み。

鴨川や宇治川の景色、聳え立つ京都タワー、なんでもないような風景、お気に入りの店、お気に入りの寺、そういった京都のいろいろな要素が私を構成している。10年という年月は長く、その分だけ深く刻み込まれてしまったのだろう。きっと忘れられないし、忘れる必要もない。それでも私はここを離れる。

青春というには程遠いような曇り空が広がっていた10年ではあったけれど、それでも京都は青春の街だったんだと思う。子供から大人になるモラトリアムを過ごした街で、モラトリアムを許容し続ける街でもあった。

私はこの街にモラトリアムを置いていきたい。覚悟を持って新しい道に踏み出す、そのために私はここを離れるんだ。そういう意味を持たせることで、私はもう一歩だけ踏み込めるようになる。そしてまたいつか戻ってくればいい。

 

やっぱり心への踏み込みが足りないな。もっと孤独に自分の心と向き合う時間を作らなきゃ、納得のいくことが書けない。幸い時間はある。3月までの間にもう少し沈み込んでおきたいな。