思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

ただの日記のようなもの

もう直前も直前なので、こんなところにいていいわけはないんだけど、とはいえなんだか落ち着かないから書く。

 

やれるだけやった、とはまだ全然言えるような状態ではなく、だからこそ不安に押しつぶされそうでなかなか集中できない。本当に心が弱い。切実に暗記パンが欲しい。

進んでいないわけではないし、全く間に合わないかというと、まあもしかしたらなんとかなるかなという感じでもある。3つ受けるうちの1つは行けるかも、1つは頑張ったらワンチャン、もう1つは厳しいかなぁという気持ち。出題の運というか、力入れて勉強しているあたりからたくさん出たら受かるかもっていう部分もあるので、試験が始まるまでわからないところがある。

 

仮に今回受からなかったとしても、他の大学院を受けるとか、冬の試験をもう一回受けるとか、そういう手段があるわけで、もう少し気楽でいいのかもしれない。

会社にはなんだか残りにくいような気がしている。辞めるつもりだから言えたこと、出来たこともあるし、残るのはなんだか気持ちの持っていき方が難しい。仲の良い人には、落ちたら笑ってくれ、と言ってあるのだけど、大笑いしてくれたら吹っ切れて残る気持ちにもなるのだろうか。ただ、笑ってもらえたところで辞める気持ちのままかもしれない。色々あったから、もうだいぶ気持ちが離れてしまっている。とはいえ揺れ動くような気はしていて、その時の自分に聞いてみるしかない。今はあまり考えないでおこう。明日は明日の風が吹く

 


 

お盆は実家に一泊した後、勉強に集中するため福島の叔母の家に来ている。来て良かったかどうかはなんとも言えない。京都にずっといた方が勉強は進んだかもしれない。ただ、家族と会って色々話を聞いてもらったり、勉強のアドバイスをもらったりしているのは精神衛生上はすごく良かった。多分、来て良かったんだと思う。一人でいることは結構しんどさの素因になっていた気がする。

滞在中は朝夕と犬の散歩が日課になっている。犬が行きたいところに行って、帰りたくなったら帰るという30分くらいの散歩の中で、私は犬に自分の感情を投影していることに気づく。誰かに会いたい気持ちだったり、そういった自分の感情に気づくきっかけになっているようで、あの時間は今の私にとって必要なものだった。犬、ありがとう。でも一昨日の夕方、1時間半散歩させられたのだけは勘弁してほしかった。

 

試験の夢も見ていた。最初の夢は、試験の出来が悪すぎて酷評される夢で、小学生にも点数で負けていた。よっぽどだ。自己評価が低すぎる。そこまでじゃない。

次の夢は図書館で勉強したりしてる夢だったけど、なんだかよくわからない。今勉強に使っている参考書が実は上巻で、全く読んでいない下巻が見つかった、というのは覚えている。多分、全部を網羅できていないのではないかという不安の顕れだと思う。

でも、酷評とかじゃなくなったのは一歩前進で、自信が出てきたのかな。いいことだ。慢心にならないようにだけは気をつけるが、慢心している場合ではないのは自分が一番わかっている。

 

本当は明日京都に帰るつもりだったけど、台風の影響で帰れなくなってしまったから滞在が1日伸びた。この1日は、丸一日京都で勉強するはずだった1日になる。だからこそ明日は猛勉強をする。

 

ずっと、決定論的な思考をしていた。どれくらい頑張るかも、その結果がどうなるかも、何もかも全て決まっていて、そこに自分が変えられる未来などないのだと。

でも今、どんな結果が待っているかも、どんな未来が待っているかも、自分次第だと思えている。もちろん何もかもをコントロールできるような全能感なんてものはないし、自分が関与できる部分はごく僅かな気もするけれど、ゼロではないと感じられている。だからこそ私は私の精一杯をなんとかして積み上げていくしかない。可能性を1%でもいい、あげられる努力を今の私はきっとできるようになったはずだ。