思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

頑張れ自分

なんだか心がとてつもなく弱っていて、眠れない。

私はこういう時の処方箋を、文章を書くことしか知らないので、落ち着くまで弱音を吐き出しておきます。いつも以上に自分だけに向けた文章です。

 

勉強。

進んでもいるけれど、間に合うかは結構微妙。というか出願がもう何日かで締め切られるというのに研究計画が全然形にならない。焦りもあるし、かといってそれで体が動くわけでもない自分もいて、なんだかどうしようもない。諦めたくなるし、逃げ出したくなるし、捨ててしまいたくもなるけれど、会社にもう言ってしまった手前逃げるわけにもいかない。だいたい、この期に及んで逃げるんだったら最初から目指していないはずだ。なのにどんどん逃げたくなってしまっている。

受かる自信もどんどんなくなってきた。受けるっていう話をすると、周りは結構受かるんじゃないかという目で見てくるんだけど、私の中の感覚とそれはずれていて、もっと受からないものだと思っている。

出願まで数日に迫った今週末は結構頑張るつもりでいたんだけど、結局のところあまり頑張れなくて、それで今落ち込んでいる。なんでこんなにできないんだろう。

もう時間がなくて、考えるより前にまず体を動かさないといけないんだろうけど、それができていたら私は今までこんなに苦労していない。焦る。動けない。焦る。

 

このブログでこそこうして弱音を吐き出したりできているが、現実では私はこんなに弱音を吐き出すことはできないし、それを抱えてくれる誰かもいない。家族や友達にもなかなか話せない。自分で自分を支えながらここまで生きてきたのだけれど、それにはやっぱり限界があって、こうやってうずくまる時間が生まれてしまう。今の私は吐き出せる誰かを求めていて、だからこそ飲み会で会社の先輩や後輩に大学院を受ける話を打ち明けたのだけれど、そこには申し訳なさもあって。だって受かったら辞めるってことですからね。

だからそんなこととは無関係に弱音を吐ける、そしてそれを抱えてくれる誰かが欲しい。それこそカウンセラーの仕事でもあり、そういう道にこれから私は進みたいと思っていて、それは私のこれからの仕事になるわけだけど、じゃあ私自身を誰が支えるのだろう。自分で支えるのはもう疲れちゃったな。

恋人が欲しいという感覚は今まであまりなかったのだけれど、そういう意味では今必要としている気もする。まあ今はそんな暇あるわけないんだけど。

そんなことより勉強をしろ。体を動かせ。こんなことを書いている場合でもなく、いい加減に研究計画を書け。ある程度体裁が整っていたらそれで構わないから。完璧なんて求めなくていいから。

 

小学4年生の夏休みを思い出す。自由研究がどうしても進まず、手もつけられず、結局8月30日とかになって親に助けられて始められたのだけれど、その感覚を思い出している。あの時は自分の思い描いていた自由研究の形になる気がしなくて、ただただ途方に暮れていた。完璧主義のようなものに縛られていたのだと思う。

あの頃から私はちっとも変わっていなくて、今もまた途方に暮れている。取り掛かる前から全く自信がなく、それを直視できなくて、何一つとして形にならない。いい加減にしろ。動け。誰も完璧にできるなんて思っちゃいない。恥を捨てろ。

そしてきっと私はなんだかんだで書けるんだから。今までの自分を信じてくれ。とりあえず一歩。書き出してみたら変わるかもしれないんだ。このブログだってそうだろ?書き始めた時には何も構想なんてない。頭の中に浮かんだ言葉をただ書いているだけだ。一旦はそれでいいんだ。大丈夫。なんとかなるから。

 

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