思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

希望と絶望

ここ最近は希望と絶望を行ったり来たりしていて、どこかすごく不安定だ。

前回の記事を書いた月曜は、朝会社に行こうとして家を出たら自転車がパンクしているという最悪な1日の始まりで、それもあって落ち込みがとても強かった。

パンクは誰かにやられたような傷がタイヤにたくさんあったのだけど、そもそもタイヤがボロボロすぎて自然発生説を否定できず、なんかもういいやってなって放置している。今週末にでも新しいのを買わなきゃ。

 

火曜には半徹夜で頑張ってなんとか研究計画を書き上げた。出来栄えはともかく一応形にはなったので、やればできるじゃんという気持ちになり、自己肯定感も上がり、一旦希望が見えてきた。なんか受かるような気もしてきて、その勢いでちゃんと出願まで漕ぎ着けた。まあまだあと2つ出願が残ってるんだけど。

 

そんな少し希望が見えた水曜を終え、木曜になると今度は仕事の方でいろいろあり、気分がだいぶ沈んだ。みんながみんな、特に後輩がしんどい感じだったから、私がしんどくなってる場合ではないと思って仕事中は気を張って普通にしていた。が、会社を出て一人になるともう途端にダメだった。ちゃんと支え切れるほどまだ私は強くなくて、ちゃんと寄り添えるほどの力もなくて、ちゃんと気付けるほどの目もなくて、無力感と罪悪感に襲われた。ちゃんと助けられなくて申し訳なかったな。これじゃカウンセラーになれんわと思いつつ、その力をつけたいから学びに行きたいんだなと再確認もした。

その落ち込みは今日も続き、1日がとても長かった。ため息がずっと出ていたので結構落ち込みが漏れていた気もする。だいたい、朝コンビニに寄った時に傘立てに傘を置き忘れる時点で心の動揺が明らかで、よく1日を乗り切ったなと思う。帰りに寄ったら傘は朝のままあったので、それだけが今日の救いだった。赤い傘は目立つから盗まれにくいのかもしれない。

 

今もまだ落ち込みの中にいる。やらなきゃいけないこともたくさんあり、落ち込んでいる場合でもないのはわかっているけれど、気分を完全に切り替えるのも違う気がして、まだこの澱みの中に沈んでいたいような気がしている。罪悪感とか申し訳なさとかが心に引っかかってしまうのかもしれない。私にできる贖罪的なことは多分仕事を目一杯頑張ることなんだろうけど、今やらなきゃいけないことはむしろ仕事を辞めるためのものだから余計に難しい。まあどちらも頑張る、ということにするしかないんですけどね。

 

胸に手を当て、その暖かさで心を落ち着かせる。それだけが今の私を支えている。

誰かに会っていたいような、一人でいたいような、そんな夜。奇しくも今宵は七夕で、だからといって特に何もないのだけれど、とりあえずみんなが心安らかになれたらいいなと願う。

 

そんな日々の中でなんとか踏ん張っていくために最近よく聴いているのが、赤い公園の「凛々爛々」。


 もう聴くことが叶わない悲しさを抱えつつ、生きていく勇気を貰えるような。きっとこの曲は自分自身へと向けて届けたかったんだろうなって思ってしまう。届かなかったんだろうか。

これを聴きながら通勤しているとなんだか走りたくなる。

 

あとは最近櫻坂を聴いたりしている。特に「最終の地下鉄に乗って」が良い。

あと新曲の「Start over!」はめちゃくちゃ良いです。


なんか疲れてそうというか、病んでそうな選曲だなぁと自分でも思う。まあ実際そうなんですけどね。

 

あと今まで敬遠していたけど、ようやくVaundyの「東京フラッシュ」の良さがわかるようになった。


めちゃくちゃ今更だけど。 

 

今は宮田愛萌さんのスペースを聴きながらこの文章を書いている。彼女の文章はとても心地よくて、声もまた心地よくて、聴いているとなんだか落ち着く。私も誰かにとってのこういう存在であれたらいいな、と思うので、私は彼女に憧れているのかもしれない。