思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

2023

2023年を振り返るブログです。

新年に立てた目標は、大学院に合格し会社を辞める、だったのでなんとか達成できた1年でした。あっという間だったな。

1月

1年前のことになるともう全然思い出せない。まだ勉強にはちゃんと取り掛かれていなくて、1日せいぜい1時間くらいしか出来ていなかったみたい。一応机と椅子を買って、家で勉強できる体制を整えたりはしていた(大学生だった頃はどうしてたんだと突っ込みたくなるが)。あとはどの大学院を受けるか、ということを調べて決めていったのもこのあたり。5、6校に絞っていたかな。結局3つになったけど。

この月は乃木坂の秋元真夏卒業で落ち込んでいたのに加え、仕事が結構しんどかった。社内研修の講師を担当させられ、その資料作りと並行して通常業務と後輩の面倒を見るのと正解のわからない仕事(先輩が放り投げた結果回ってきたやつ)とでいっぱいいっぱいだった。頼りになった先輩が辞めた分、私に問い合わせ対応等が結構降りかかってきたのもあり、なんか大変だったみたい。早く辞めたいな、とずっと思っていた。

今振り返っても何も感情が戻ってこないので、しんどすぎて忘れたのかな。でももっとしんどいことが今年はたくさんあった一年だったから、単純に昔すぎて覚えていないのだろう。

あとは大雪で京都もえらいことになっていた。雪でテンションが変になった結果、鍵を持たずに(かけずに)家を出て、帰りに鍵がなくて大慌てしたりもした。なんか懐かしいね。

f:id:GoodNightAngel:20231225003106j:image

それから、「帰りたい」という気持ちについて、焦燥感だったのかもしれないなんて考えてもいた。

”落ち着かなさというか、居心地の悪さみたいなもの、ここを離れなければという思いを「帰りたい」で表してきたんだけど、それは焦りを錯覚していたもので、「帰る」ことによってでは解決されないものな気がしてきた。本質的には焦りを取り除くしかない。焦りを覚える瞬間を思い起こすと、大抵そこには嫉妬が存在しているので、自分ってこんなに嫉妬深かったんだなぁとなるね”

なんて書いていた。何に対する嫉妬だったかは思い出せないでいる。今でもよく「帰りたい」と思うことがあるが、それはどちらかというと不安や寂しさ、帰属の弱さから来るものな気がするので、この時感じていた「帰りたい」とはもしかしたら少し違うものなのかもしれない。

 

こんなペースで書いていて12ヶ月分終わるんだろうか。不安になってきた。

2月

眠れない夜が多かったみたい。区役所にある自習室を使って勉強しだしたのはこの頃だったけど、まだ本腰は入れられていなかったな。

中旬には博多・長崎・壱岐を旅行していた。壱岐、良かったですね。壱岐の寿司屋にかかっていた日めくりカレンダーに格言みたいなのが書かれていて、それが「決心すると風向きが変わる」だったので、これを座右の銘にしようかな、なんて思ったりもした。今年はあまり旅行に行けていない1年で、なんなら泊まりでの旅行(受験と帰省等を除く)はこれが最初で最後だった。その分だけ煮詰まりやすかったかもしれないので、もう少し息抜きでどっか行っても良かったかな。

あとは会社で大規模な組織改変が急に行われて、それですごくバタバタした月でもあった。1月から続いているいっぱいいっぱいさもあまり変わらないままだったので全然余裕がなかった。急な組織改変は本当に社員に全然知らされてないまま行われたのだけれど、こっちにはこっちのスケジューリングがあるというのにそれを無視されたような感じで、この会社終わってんなと思いながらやっていた。

ライブは阿部真央大橋卓弥によるイベント「ZUTTOMOTTO」に行っていました。楽しかったね。

3月

頭の日から会社で上と揉めた。本当に些細なというか、しょーもないことだったけれど、社員に説明もなく変えることがこの会社には多すぎる。それに反発して突っかかったら面倒なことになって、大人になるべきだったなと反省もした。結局すぐに改善したのでそこは揉めた甲斐があったけれど、まあやり方は工夫すべきでしたね。

他にも揉める案件が発生していて、すごく疲弊した。普通にやってくれたらいいのに、あるいは普通に謝ってくれたらいいのに、どうしてこうも人のせいにしたがるんだろう。その割を喰らってしまった感じで、結構苛立ちとか憤りとかやるせなさとか、そんなものに囲まれて仕事をしていた。あと普通に後輩の尻拭い的な仕事もあり、やっぱりいっぱいいっぱいだった。

勉強できる余裕もあまりなく、だからあまり勉強した形跡がない。大丈夫か?

あとはWBCを見ていましたね。準決勝の劇的な勝利はすごかった。決勝は半休取って見ていたのだけれど、最後の大谷トラウトはもうね、言葉にならなかったね。

ライブはBUMP OF CHICKENと高橋優に行っていた。BUMPはもう最高でしたね。この頃からBUMPを聴くことが増え、今年を通じて2番目によく聴いたアーティストになっていた(1番目はHomecomings)。声出しがこの頃解禁されて、以前からのライブの楽しさが戻ってきた気がする。高橋優は2回目だったけれど変わらず良くて、また行きたいなと思っている。

映画も観ていた。京都みなみ会館(残念ながら今年閉館)で観た「街の上で」がとても良かったな。また観たい映画の一つ。

 

会社の先輩後輩との飲み会で、辞めるかもって話をしてしまったのもこの月。その飲み会ではこの1年間頑張ってきたことを褒められたりもして、ああちゃんと見てくれていたんだなと思って嬉しくなった。そうやって私を認めてくれる人をこの会社の中で初めて見つけられたようなそんな気分だった。この辺りから少しずつ心を開くようになり、色々な人と仲良くなりだしたんだっけな。

 

それから、乃木坂の元推しが大学を卒業したこと、今の推しが東京藝大に合格したことを知って心が嫉妬と悔しさと焦りで渦巻いていたのもこの頃だった。元推しは私が一度は諦め、再び目指そうとしている道を順調に進んでいるように見えるし。今の推しは、仕事が忙しいのを言い訳にして全然勉強していない私を嘲笑うかのように合格(しかも休業などをせず、私よりはるかに忙しく大変な仕事をしながら)しているし。彼女たちが悪いわけではもちろんない(むしろ凄すぎる)が、どうしてもコンプレックスを刺激されてしまい、勝手に苦しくなっていた。おめでとうって素直に喜びたいのに、それができない自分がすごく嫌だった。

そういう苦しい気持ちはこの後もずっと続いていた。人と比べるのは呪縛でしかなかったな。

4月

4月はたくさんライブに行っていた。阿部真央、乃木坂のアンダーライブ、Homecomings、Cocco阿部真央は変わらず良かった。アンダーライブは最前列を引き当ててしまったので最高で、可愛さの暴力を喰らった感じだった。Homecomingsについては記事でも書いたけど最高でしたね。思わず物販でレコード買っちゃったもん。Coccoはすごかったね。歌姫だった。カッコ良すぎて惚れた。何回も行ってきた中で今回が最高のライブだったと思う。

勉強は頑張り始めていた。仕事終わりに自習室に通うのが習慣化してきていた。が、色々と無理をしすぎたのか体調を崩してしまい、予定通りには全然進められなかった。体調と頑張りのバランスを取るのが難しかった1年でもあり、自分の弱さを実感した。走らなきゃいけないのに全然走れなくて、歩くのでやっとだった。もっと体力をつけなきゃダメだったなぁ。

仕事は3年目に入り、1年目、2年目と比べるとすごく楽な気持ちで仕事ができるようになっていた。これは慣れもあるし、辞めるつもりだったから気楽になったというのもあると思う。そして今年も新人教育を担当した。今年は新人が1人だけだったので少しは楽になったかと思いきや、担当係も基本私1人(先輩や後輩はたまにヘルプに入る感じ)になってしまったので大変だったな。デスクワークならともかく、工具を扱った技術を教えるわけだから危険性もあるし、新人を1人にしておくわけにもいかないので基本的にはつきっきりで教えていたのだけれど、そうすると私個人で抱えている仕事をやる時間はなくなってしまう。加えて会社説明会などで説明をさせられることも多く、3人に分身したいくらいだった。部署の他の人たちがあまり弁が立つ方ではないのもあり、全部こちらに回ってくるので勘弁してほしかった。そのせいで喋りっぱなしになり、喉が潰れ、体調を崩したのかもしれない。

あとは頼まれていた仕事をやっとの思いで完成させたと思ったら、どうも仕様が聞いていたのと全然違ったらしく、1日で作り直さないといけないというクソみたいな事態に陥ったこともあった。酷かったな。あれは我ながらよく頑張ったと思うが、下には報連相を求める癖に自分らは全然連絡も確認もできていないというこの会社の醜いところの現れだったな。

5月

GWには帰省し、下北沢をぶらついて「街の上で」の聖地巡礼をしていた。そのあとは福島にも。

f:id:GoodNightAngel:20231225003339j:image

これは三軒茶屋にある江戸アケミの名言の看板。「やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ」、その言葉で開き直ることでどれだけ生きやすくなったか。

ライブは乃木坂の齋藤飛鳥卒業コンサートに行っていた。1日目だけ現地で、2日目は配信でだったのだけれど、とても良かったですね。遠藤さくらとの「他の星から」が特に印象に残っている。

呑気に悩まされたり、眠れなくなっていたり、精神的に不安定になり始めたのがこの頃。研究計画を考え始めなければいけなかったけれど進まず、勉強も思うように進まず、追い込まれ始めていた。呼吸は浅くなり、胸に手を当てる回数が増えていた。

仕事はどうだっけな。新人教育に集中できるようになっていて、だからそんなに大変じゃなかったかもしれない。

6月

会社に大学院を受験することを伝えた。これが一番大きかったかな。伝える時には流石に足も声も震えていた。もう後戻りできなくなっちゃったなぁという感じで、だからすごく落ち着かない日々がやってきていた。

迷いとか怯えとか、色々なものが心に渦巻いていてとても不安定な時期だった。勉強も思うようには進まず、一進一退という感じだった。会社の自販機にはエナジードリンクが置いてあり、この時期からは仕事が終わる間際にそれを買って飲む生活が始まっていた。仕事終わりの勉強のためにエネルギーをチャージしていたのだけれど、冷静に見るとおかしな挙動だから笑ってしまう。

研究計画が全然書けなくて心が沈み込んでいた。なんでこんなに自分はできないんだろうってすごく落ち込んでいたな。「帰りたい」「どこかへ消えてしまいたい」「人間としての形が少しずつ壊れていってしまうような、そんな不安に苛まれている」なんて呟いているあたり本当に追い込まれ始めていたようだ。

ライブはあいみょんとHomecomingsに行っていた。あいみょんは楽しかった気がするけれどあまり記憶がない。Homecominngsはまあ最高でしたね。

映画は「リバー、流れないでよ」を見ていた。面白かったですね。繰り返される2分間は2分だからちょうどいいんだろうな、なんて。あとフランスに留学に行こうとしているタクが、会社を辞めて大学院に行こうとしている私と被って見えて感情移入していた。仕事はまあ嵐の前の静けさと言うべきか、前月に続いてそんなに大変ではなかったみたい。基本的には新人教育をずっとやっていて、それ以外のことはあまりしていなかった。上の人とちょっと揉めたりはあったけれど、それは日常茶飯事なので特段変わらなかったかな。

7月

ええと、もう振り返りたくもないくらい大変だった。ここから9月までは本当に色々とあって、書けないこともたくさんあるし、なんだか難しい。このブログで書いていた内容を振り返ると、この頃から日記的な要素が多くなってきていて、それはつまり日常を吐き出さないと生きていけないような感じだったということ。

勉強と仕事とそれぞれが山場というか、どちらもいっぱいいっぱいになっていた。

勉強はもう試験が直前に迫ってきていて、頑張るしかないのに頑張り切れるでもなく、精神的に追い込まれていた。研究計画はなんとか書き上げたのだけれど出来はあまりよろしくなかったな。それでも書けたこと自体は大きく、出願もなんとかできたので頑張っていたと思う。

仕事はまあ色々とありまして、書けないことばかり。しんどかったな。揉め事もたくさんあり、勉強に集中したいのにできない環境だったから、もう辞めたくて仕方がなかった。怒りで手が震える、みたいなこともあったりした。

こういう状況だったので心は当然ボロボロで、抑うつ的な状態になっていた。頑張っていても少しするとしんどくなって、それをカフェインで誤魔化しつつ、深呼吸しながらなんとか頑張る、そんな日々。体もボロボロで、左の手足に痺れだったりが出ていた。身体化なんだろうけど、まあだいぶ追い込まれていたんだろうな。

過去記事読んでみるとやっぱりしんどそうで、我ながらよく頑張っていたと思う。

ライブは乃木坂のツアーに行っていた。楽しかったな。行っている場合ではない気もしたけれど、こういう息抜きがなかったら全然持たなかったとも思う。

8月

大学院の入試が下旬にあり、それに向けて最後の追い込みの時期だった。精神的にはしんどいながらも開き直りというか、やるしかなくなって覚悟が決まったところがあり、結構勉強できるようになっていた。が、体はそれについていけず、色々なところに痛みだったり痺れだったりが顕れていた。その代わりにというか、コロナに罹ったりとかもなく無事に受験日を迎えられたのは幸いだった。

眠れなくて考え事をしていたら、ヤバいモードに入りそうな感覚がやってきて慌てて飛び起きた、なんてこともあった。デカくて重い何かがやってきて胸と喉を圧迫するような、締め付けられて詰まって動けなくなるようなイメージで、そのままこのイメージに心を占拠されていたら多分精神が保てなくなっていたので危なかった、なんて。精神的にはだいぶ危なかったのかもしれない。

お盆前にはもういっぱいいっぱいになっていた。欠勤扱いでいいから数日休ませてほしいと会社に相談し、OKをもらったのは大きく、おかげで試験の週を含めて3週間は週2日だけの労働になりだいぶ楽になった。それでもしんどかったけど、あれで休んでなかったらどうなっていたんだろう。

お盆には福島で勉強していた。京都に帰る際、台風後の東海道新幹線の大混乱に巻き込まれて全然帰れなかったのだけれど、その時間で勉強していたのでまあ困りはしなかったかな。でも大変だった。

 

そして試験。振り返りは前書いたしもういいかな。1週間で3つ受けて、1つくらい受かってるといいな、という手応えだったのだけれど、結果1つ受かっていたので良かった。まあその1つが一番手応え悪かったところだったので、不思議なこともあるもんだ。

 

仕事は……これまた色々ありまして……なんなら試験前日とかにありまして……もう大変だったな。これも書けないんですけどね。

この月は院試が迫っていて全然無理だったのもあり、だいぶ後輩たちに助けてもらっていた。いい後輩を持ったな。あとは再雇用で戻ってきて頂いたベテランの方にも随分と助けられた。この人たちにはこれ以前もこれ以後もずっと助けてもらっていて、その感謝の気持ちをちゃんと伝えきれないまま辞めてしまったのだけれど、本当に感謝している。

9月

合格発表があった。

もうここで書いていたので改めて書くほどではないんだけれど、まあ大変でしたね。特に1つ目2つ目の発表があってから3つ目の発表までの2週間。誰がどう見ても落ち込んでいて、隣の部署の人にも「元気ない」って心配されるほど。

8月までのしんどさとはまた違うしんどさがやってきていて、自分を全て否定されてしまったかのような感覚だった。頑張る目標があった時はそれに向かってしんどくても頑張ることができたけれど、それが否定されてしまうとどうにも動けなくなってしまった。体調も悪かった。過呼吸にもなっていた。

切り替えて仕事を頑張ろうとしても、全然うまくいかなかった。一旦離れていた心をもう一度向け直すことはできず、何もかもが中途半端で、そんな自分がすごく嫌だった。どこにも居場所を見つけることができず、ただただ苦しかった。

 

ライブは3日にaiko、17日にロックロックこんにちはに行っていた。

aikoは楽しかったんだけど、発表前日だったのでそこまで入り込めず。でも4時間弱30曲フルで歌っているのはとてもすごいなぁと思った。milkとかストローを聴けたのが良かったですね。あとはaikoファンの空気がなんかあまり好きではなくて、もういいかなという気持ちにも。これは多分声出しが解禁されたからでもあり、コロナ禍で行った初めてのaikoのライブでは感じなかったことだった。難しいね。

ロックロックは良かったですね。本当に。去年に引き続きチケットを当ててくれた友人に感謝。翌日は貴船に行って縁結びを祈ってきたのだけれど、そのおかげで合格したのかもしれない。

 

仕事では合格後、上司と揉め始めた。これは結局辞める時までずっと続いていたのだけれど、本当に今年はよく揉めた1年だったな。後輩たちと一緒に上司の愚痴を言いまくるのがこの頃から定例化していた。上司は仕事をお願いすると渋る、頼んだ仕事もすぐにはやってくれない、の割には暇そう、何をやっているのかわからない、管理職なのに部署の進捗状況等を全然把握していない、みたいな感じで本当に大変だった。あと各所で揉め事が多発していて、この会社の行末が本当に案じられた。まあもう関係ないんだけど。

この月も先輩や後輩に随分と助けられていた。仕事面でも、精神面でも。本当なら私がその立場にならなきゃいけない(そういう道に進むのだし)のに、本当にありがたかった。

10月

会社からの、そして京都からの別れを意識し始めた月。辞めることがもう確定し、だから寂しさに支配されていた。残りの出社日数を数え始め、その日数が減ることに喜びと寂しさとを感じていたのを覚えている。

あとは季節の変わり目への弱さから体調を崩すことが多く、9月までとは違う感じでボロボロだった。精神的なしんどさが減った分マシだったのかな。

ライブは浜田省吾に行っていた。まあ最高でしたね。これも一度書いたので改めて書きはしない。

入試が一段落したこともあり、読書でもしようかなと思い、西加奈子の「くもをさがす」を読んでいた。乳がんとの闘病生活を描いたエッセイで、すごく心にグッときた。これは感想を書こうと思っていたのだけれど、結局書かないままだったな。

あとは久しぶりに夢に元推しが出てきた。彼女がアイドルに復帰する夢だったけれど、夢の中で私はもういいよやめなよって気持ちになっていたから、私はもうちゃんと成仏できていたんだろう。卒業から6年が経った今、それを確認できたのは良かったことなんだと思う。次の道に進むためにも。

11月

退職届を出した。そして入学手続きも無事受理され、いよいよ次の道に進むことが現実的なものになった。家探しも始めたり、会社の人に退職することを伝え始めたりもした。早いけど送別会も開いてもらったりして、どんどん別れが近づき、それもあって気持ちがブルーになっていった。自分で選んだこととはいえ、寂しいものは寂しい。そして辞める実感はまだなく、このままこの仕事を続けていくような感覚でいた。それでも確実にカウントダウンは進んでいた。

私がやらなければいけない仕事も徐々に減っていった。というよりは後輩(それも1年目)に全て押し付けてしまっていた感じで、それは引き継ぎも含めてそうするしかないなという感じだったんだけど、やはりとても申し訳なかった。その分、手伝える範囲では色々と手伝ったり、トラブルが何件か発生したのでその対応を引き受けたりもしていた。

体調はまたよろしくなくて、今度は内臓系が終わっていた。胃腸と肝臓がだいぶしんどくて、晩飯をまともに食えない日々が続いていた。仕事をしている間の昼飯は普通に食えるのに仕事終わりの晩飯は食えないし、なんなら休日は昼も夜もしんどいという感じで、仕事を辞めることへの抵抗が表出していたんだろうか。健康診断の再検査の結果はあまり変わらず(問題がないわけではないがここ何年かと一緒)、ひとまずは一安心だった。この一年を通してまともな体調だったのは1〜3月くらいで、あとは大体しんどかったな。

ライブはローラとホムカミというイベントで、Laura day romanceとHomecomings、ハク。の三組を見ていた。楽しかったな。そのあとになってHomecomingsから石田さんが卒業するというニュースが出て、結構ショックだった。4人での最後のライブが2月に京都であり、そのチケットを確保できたのでちゃんと見届けるつもりだ。

京都への別れも近づいてきたから、紅葉を見に行ったりもしていた。常寂光寺と高雄というお気に入りのところに行けたのでもう満足かな。

12月

退職しました。やっぱり寂しいものですね。

まあ退職前にはまた会社と少し揉めたりして、最後の最後くらい気持ちよく辞めたかったな……って気持ちにもなった。仕事も結局最後の方まで普通に業務をしていて、引き継ぎも満足いく形ではできず、悔いは残る。でももういいかな、あとは後輩たちに任せた。私よりも遥かに優秀な人たちだと思うので、きっとなんとかなるでしょう。頑張ってね。忙しいタイミングで辞めてしまい申し訳ない気持ちと、これまでの感謝と、寂しさと。感謝はもっとちゃんと伝えなきゃいけなかったな。本当にありがとう。

退職後は帰省して、少しのんびりと過ごしている。高校の将棋部の飲み会に行ったり、三浦半島をぶらりしたり、上野の森美術館でモネ展を見に行ったり。会社の人たちは今も頑張って仕事しているんだろうな、と思いつつ過ごす怠惰な時間は背徳感があって良いですね。

これは長者ヶ崎から眺めた富士山。

 

あとは自分への労いとして、レコードプレーヤーを買った。soundburgerってやつ。レコードの良さに気づけるくらい大人になりたいな、という背伸びした気持ちで買ってしまった。こういう少しゆったりした時間を楽しめるようになりたい。

ライブはクリスマスに羊文学を見ていた。最新アルバムが良すぎたので思わず当日券で見に行ってしまったのだけれど、これがまた良かったですね。これで今年のライブ参加は16回かな。去年の25回よりは少ないけれど、受験のタイミングだったことを思えば行きすぎなくらい。来年は引越してしまうとあまり行けなくなるだろうなと思うから、その前に行けるものは行っておきたいね。

映画は「翔んで埼玉」を見ていた。埼玉の近くで育ち、滋賀の近くに住んでいる身としては各所に笑いどころがあり面白かったな。あとは高校の後輩が監督を務めているドキュメンタリー映画「大崎から」を東京ドキュメンタリー映画祭で見た。立派に監督をしていて、彼が中1の頃から知っている先輩としてはもうなんだかとても嬉しかったな。いい作品でした。これからも楽しみだし、応援しています。

 


 

大学院に受かったとはいえ、これはゴールではなくスタート。来年はもっと頑張っていかないといけない。新しい道、新しい場所、新しい環境、新しいコミュニティー。不安もたくさんあるし、今年とはまた違う感じで多分すごく大変な1年になると思うけれど、なんとか生きていきたいな、と思う。具体的な目標みたいなものは入ってみないとわからないところがあるから今は立てないけれど、漠然とした目標は「頑張る」「ついていく」「負けない」「逃げない」「人を頼る」「その前に体力をつける」かな。とにかく頑張りましょう。

 

そして今年1年、よく頑張りました。今年は自分をちゃんと褒めて終わろうと思う。本当に頑張った。もちろんもっと頑張れたとも思うけれど、とはいえしっかり頑張れたことは事実で。ちゃんと成長したし、頑張れる自分を見つけられて、自信になった。私はちゃんと生きていられた。いい1年だったな。