思い出の向こう側

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年始

年が明けた。けれど、どうもその実感があまりない。年の切り替わりなんてものは人間が勝手に決めたもので、変わる瞬間の前後で何かが劇的に変わるわけでもなく、連続した時間がいつもと変わらずに流れている。

2024年になった、ということよりも、無職になった、ということの方が私にとっては劇的なものだ。12/30付で退職したから、12/31からは無職。でもそれにしたってあくまで制度上の切り替わりで、その前後で私自身は何も変わらない。会社員であろうが無職であろうが、学生であろうが、私は私。

 


 

2024年は初日から大変な世の中で、何も元日に起きなくてもいいのに、なんて思ってしまう。たまたまそれが起きたのが1月1日だっただけ、そんなことは分かった上で。辛いな。あまりにも無力だ。13年前を思い出してしまう。

その時の教訓からか、NHKのアナウンサーがとても強い口調で避難を呼び掛けていた。きっとあれで救われた命もあったんじゃないだろうか。そんなことを思っていた。

 

今、私に何ができるのだろう。被災者支援、と言葉にするのは簡単だけれど、今の私には到底できない。今の私が現地に行ったところで邪魔になるだけだ。募金とかくらいなのだろうか、と思いつつ、それにしたってあまりに微力でしかない。

大学院では、被災者のメンタルヘルス支援についても学ぶつもりでいる。きっと何年かしたら、こういう災害があった時に、少しかもしれないけれど誰かの心を助けられるようになる。いや、ならないといけない。そういう人間になりたくてこの道を選んだのだから。でも、今の私は?何ができる?

 

能登は随分前、小学生の頃に何回か行ったきりで、全然行けていなかった。まだ蛸島までのと鉄道が走っていた頃の冬、九十九湾小木駅の待合室でストーブで焼いて食べた林檎を覚えている。落ち着いたら、行っても邪魔にならないくらい復興が進んだら、能登にまた行ってみるつもり。そこで美味しいものを食べたり、楽しんだりするのも、きっと支援の一つになるはずだ。

 


 

最終出社を終えて3週間が経った。少しずつ、労働をしない日々に慣れ、いろいろなことをもう思い出せなくなってきている。スマホに保存してあった仕事で撮った写真も全て消した。会社の人の顔や声も、職場の雰囲気も音も景色も、どんどん記憶から薄れていき、まるであの日々が夢だったかのように思えてくる。

来週には一度、手続きのため会社を訪ねる。それで本当に最後。きっと、私はもうここに居場所がないことを知る。そして次の道へと、振り返らずに進めるようになるんだろう。