思い出の向こう側

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視界

眼鏡からコンタクトに変えてもう1年以上が過ぎた。最初は違和感が大きかったけれど、だいぶ慣れた。

とはいえ、今でも家にいる時や軽く出かける時とかは眼鏡をかけている。あとは花粉や黄砂がひどい時も。だから完全にコンタクトに乗り換えたわけではなく、併用しているけれど、でも基本はコンタクト。

 

異物感はもうない。けど、目の痒みや炎症、ドライアイはコンタクトの時の方がよく出る。少ししんどい時も多いが、眼鏡を掛け続けていることによる目の疲れを考えたらまあいいかとなる程度だ。眼鏡は眼とレンズの距離が大きいからどうしても負担が大きくなる。度が強いので、特に端っこの方の湾曲が酷くなってしまう。

 

 

母親は眼鏡からコンタクトに変えた時、視界が広くなって感動したと言っていたけれど、私はその違いがいまだにわかっていない。眼鏡生活が長すぎて(7歳ごろからだから20年くらい)、眼鏡の縁の中だけで視界が完結するように、範囲外を見るときは顔の動きで対応する習慣が身についてしまった。その結果、縁がなくなっても眼球を動かす範囲は変わらず、顔を動かす癖だけが残っている。だからか、たまに自分が今眼鏡なのかコンタクトなのかわからなくなる時がある。

そういう意味ではあまりコンタクトの恩恵を受けられていない気もするが、まあでも良かったこともたくさんある。

ラーメンを食べても曇らないとか、マスクをしていても曇らないとか、ライブがくっきり見えるようになったとか、双眼鏡を覗くのが楽になったとか。あと頭が痛くなるような目の痛みは減った。

逆に大変なのは、花粉とかで目がすごく痒くなって涙が止まらなくなったりとか、ドライアイでいきなりコンタクトが外れかける・ずれるとか、毎日のつけ外しが面倒とか。あとあんまり気楽に寝れなくなったのは地味に不便だと思っていたけど、今はもう普通に昼寝くらいはしてしまっている。

眼鏡の時も苦労はあったし、コンタクトだって苦労がある。そういうものなんでしょう。

 

もう少し何か劇的に変わるのかなと思っていたけれど、思っていたよりも世界は変わらなくて、そこに少しガッカリしつつ、でもホッとしてもいる。世界の連続性が保たれていることは嬉しいことだ。こうやって日々は続いていく。眼鏡からコンタクトに変わっても、私自身は何も変わらないのだから、これでいい。