思い出の向こう側

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帰省

昨日で仕事が終わり、GWになったので、東京の実家へ帰省することにした。年末に帰って以来なので4ヶ月ぶり。

大学入学と同時に親元を離れてからもう9年が経った。人生の1/3は京都にて一人で暮らしていることになる。結構頻繁に帰っているから特段気負うものはないが、それにしても長いこと経ってしまった。

 

すぐにでも急いで帰ろう、というほどの感覚もなく、昼過ぎまでダラダラと家にいた。親には今晩帰る、と連絡を入れ、のんびりと荷造りを始めた。荷造りと言っても、持って帰るのは服と本とパソコンくらいのもので、10分もあれば終わってしまう。実家に私の服はほとんど置いていないので、帰省のたびにたくさん持ち運ぶことになり、荷物の嵩だけは大きくなる。服だけを入れたリュックは軽く、本などを入れた手荷物の鞄は重い。アンバランスだなぁと思いながらも入れ替えるのは面倒なのでそのままにする。

14時ごろに家を出る。伏見大手筋の商店街で何かお土産を買って帰ろうかとうろついたが、特段これといったものに出会えず、結局買わずに京都駅へ向かった。京都駅へは桃山駅からJRで出るのが一番安い(200円)が、桃山へ歩くのが面倒になり、桃山御陵前から近鉄に乗った。が、この春から近鉄は運賃が上がっており、今までは260円だったのが300円になっていた。これだったら流石にJRに乗るべきだったな、と少し後悔。

昼をまだ食べていなかったので、京都駅八条口のハーベスでおにぎりを買う。昔からここのおにぎりが好きで、京都駅に出るとよく買っている。別になんてことはない、普通に美味しいくらいのおにぎりだけど、気に入っている。いつも買うのはおぼろ昆布のやつと、ちりめんじゃこと柴漬のやつ。ついでに肉っ気も欲しくなったので焼き鳥も買った。

やっぱりお土産を買わずに帰るのは微妙だなと思い、お土産コーナーを彷徨く。色々なものがあって目移りするが、妹が甘いものがダメなので難しい。悩んだ末、結局八つ橋に落ち着く。

 

京都駅は人がとても多い。いつだって人が多いが、流石に普段より何割か増しで多い。大きな荷物を持った人が多く、これだから観光客は、などと少しうんざりしていたが、そういう私も大きな荷物を持っていて、客観的にみると滑稽だ。実際新幹線ホームに上がってみると列車を待つ人は結構多く、駅にいた人たちは別に京都に来た観光客だけではないことに気づく。京都人的な思考を少し反省する。

新幹線に乗り込み、おにぎりと焼き鳥を食べる。変わらず美味しい。駅弁を買って食べるより、こちらの方が私は性に合う。

新幹線では音楽を聴きながら車窓を見ていることが多い。私が今勤めている会社はBtoBなので、自分が関わった製品が納入された工場が車窓から見えることがある。不具合なく無事に動いているだろうか、今までクレームは入ってきていないしきっと無事なんだろうな、などと思いを馳せながら眺めるのは楽しいし、仕事のモチベーションにもなる。会社説明会とかでやりがいを聞かれた時、だいたいこういうことを答えているが、学生にこの感覚は伝わっているだろうか。

 

今日の車窓はどんよりとした曇り空だったけれど、富士山は見ることができた。雲の状態のせいか、いつもとは少し違う富士に見えた。

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京都東京なんてもう100回(もっとかもしれない)くらいは移動しているから別になんてことはないんだけれど、富士山が見えるかどうかは毎回気にしてしまう。ふと、一昨年の暮れに乗った時の富士山を思い出す。冬晴れで綺麗だったあの富士は何故かくっきりと心に残っている。そういうものなのかもしれない。

 

東京に着く。窓の外の景色に少し身構えてしまう自分がいることに気づく。大阪とかとあまり変わらない街並みのはずだけれど、私にとってのホームはもう東京ではなく京都なんだということを意識してしまう。まあ東京に住んでいた頃でも都心に対してはアウェイ感を抱いていたので、あまり変わっていないとも言えるけど。

中央線に乗って実家へ。中央線は揺れる。普段京阪に乗っていてもこんなに揺れを感じない気がするのだけれど、何が違うんだろうか。

実家最寄駅は少しずつ変わっていっている。駅前の店も変わっていく。京都での最寄駅とは大違いだ。あっちはずっと時が止まっている感じがあるのだけれど、それは連続的に暮らしているから変化に気づかないというだけのことかもしれない。

バスの本数が減っていて15分待ちだったので、シェアサイクルで帰宅。この辺は便利になっている。

実家は落ち着く。変わらない居心地と、いない間に変わっているものと。連続的なようで不連続な空間の中で、私はこのGWを過ごす。勉強を頑張らなければならない。