思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

あの日

あれからもう11年になる。

 

何かを覚えているようで何も覚えていない。

当時は中学3年生で、ブログやTwitterはおろか日記を書く習慣もなかったから、その時のことを書き残したものが何もない。何を見たのか、何を感じたのか、何を思ったのか、どんな日々を過ごしたのか……。全てはぼやけて、記憶と呼んでいいのかわからないくらいの欠片になってしまっている。

その欠片を今拾い集めて少しでも形にして残しておこうと思う。憶えていることーーそれは後から映像を見たりして憶えていたつもりになっていることではなく本当に憶えていたことーーをできるだけ自分に残しておくために、今書いていく。自分の物語をちゃんと残しておきたいという自己満足です。

 

2011.3.11。

私は東京の小平の実家にいた。

その日は学校が休みだった。三学期の期末試験が終わり、1週間後の終業式並びに卒業式(といっても中高一貫だったので卒業は形式的で、あまり意味を持たないと思っていた)までの休みの期間だった。部活があれば学校に行ってただろうけど、家にいたということはなかったんだろう。

両親は共に出勤していて、弟は中学、妹は小学校に行っていた。全員家から遠くないところにいたのは結果的には幸いなことだった。私は家で1人過ごしていた。

この頃1人でどんな過ごし方をしていたのか、何も覚えていない。適当にリビングのソファーでゴロゴロしながらテレビでも見てたのかな。笑っていいとも!とか。

 

14:46。

その時、ちょうどテレビをつけていたはずだ。緊急地震速報が流れたのを見ていた。もしかしたら携帯が鳴って慌ててテレビをつけたのかもしれない。

緊急地震速報は東北全体に出ていた。やば、と思った。そうしているうちに揺れ始めた。

震度5弱だった。震度3や4くらいの揺れは経験したことがあったはずだが、5は初めてだった。慌ててテーブルの下に隠れたはずだ。ブラウン管のテレビの上の置き時計が落ちた。食器棚の皿が滑る音も確か聞いた気がする。そのうちに揺れは収まった。東京でこの揺れだと、緊急地震速報が出ていた東北は…?と思ったのは憶えている。だって東京には緊急地震速報が出ていなかったのに。

そこからどうしたのかの記憶はない。誰かが帰ってくるまでずっとテレビを見ていた気がする。怖かったのだけは確実だろう。

1時間くらい(ここは正直覚えていないが多分そんなもんだろう)して両親と弟妹が帰ってきた。その前に電話くらいしたんだっけな。覚えていない。全員が帰ってきてホッとした。

家の中の被害としては、

・さっき書いたブラウン管の上の置き時計が落ちた

・食器棚の中がシュレディンガーの猫状態

・本棚の中身が崩れかけ

くらいだったはずだ。まあ震度5ならこんなものか。

 

福島に住んでいる叔母が心配だった。が、その時は確か沖縄に行っていて無事だったんだったっけな。もちろんその後の生活とかは大変だったわけだけど。

 

その後のことはもうあまり覚えていない。

断片的な記憶はある。

・中高では体育館の天井が落ちたとか、渡り廊下に被害(ヒビ入ったんだったかな?)があったとかだったような気がする。部活とかで学校に行っていた子たちが帰宅難民と化していた。一晩学校で過ごしたとか言っていて、なんか楽しそうだなと思ったのは覚えている。その後歩いて帰ったりしたらしい。

・テレビに映った東京の映像で、揺れた時にビルのガラスが割れる瞬間が流れていたのをなんとなく覚えている。

・東北の方で起きたことは私には語る言葉がない。なので書かない。自分自身で体験したわけでもないし。ただ怖かった。信じられなかった。辛かった。地震が起きてからしばらくはずっとテレビを見ていた気がするけど、今思えばよくずっと見続けられたな。

・卒業式は中止になった。高校生の分だけならできるけど、中学生も合わせるとその人数では耐震を満たす場所がなかったから高校だけになったんだったか。まあ中高一貫校では中学の卒業式なんて形式的なものでしかなく、何一つ変わる事がない(高校からの入学者もいない学校だったのでなおさら)ので別にいいやと思った。

計画停電があった。どれくらいの期間やったんだっけな。全然覚えていないや。多分初めの1日の時かな、夕方ごろから夜までの停電の時があって、夕方は家の前の道で遊んで夜は蝋燭の光で過ごした、みたいな記憶がある。

・眠れない夜が多かった。家族の前では平気なふりをしていたけど、夜みんなが寝静まってから1人勉強机に座って月を眺めながら音楽を聴いて泣いてたりした。あの頃はiPodを使っていたな。

・しばらくは海が怖かった。今でも海に行くと少し身構える自分がいる。どこに逃げればいいかをチラッと考えたりする。

・ボランティアに行ったり募金したりってことができなかった。足手まといになるしちっぽけでなんの役にも立たないし自己満足でしかないし(この辺の思考は今の思考で、もしかしたら当時はただ臆病だっただけかもしれないが)って思って、何もしなかった。何もしない(できないというよりもしない)自分が嫌だった。だけど何もしなかった。無力感に浸っていた、そんな自分を思い出す。それは今だからかな。世界がこんなになっても動いたりできる人間じゃないんだ。今だって臆病で変わらないや。

 

 

書いてみて思ったけど、やっぱり全然覚えていない。11年前だもんな。

 

学部の卒論を東日本大震災を題材にして書いた。だけど、書く資格なかったな、なんて思ったりしている。卒論自体はフィールドワークなしで書いたのでまあそんなに罪悪感みたいなものを抱かなければいけないものではないけれど、大学院に進学した場合は被災者へのインタビューみたいなものをしようと考えていて、そっちは今考えればできないなぁなんて。当事者じゃないから書けるって部分もあるけど、当事者じゃないなら立ち入らない方がいいとも思ってしまう。