思い出の向こう側

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HSP

HSPという概念がある。

”Highly Sensitive Person”ーー感受性が豊かとも言うが、いろいろなもの(例えば他人の言動)に対して、敏感に感じ取ってしまい疲れやすい人のことである。『繊細さん』などと言われることもある。

本屋などで心理学のコーナーに行くと、HSPについての本が結構あったりする。またSNS等でも話題になる事がたまにあるから、名前を知っている人は結構いると思う。

 

最初に書いておく。

私はこの概念に少し懐疑的だ。信用を置いていないと言ってもいい。

いくつかその理由がある。

①学術的な心理学の中で主流ではない

HSPという概念はAron, Elaine(以後アーロンと書く)氏により発案された比較的最近の概念である。が、この概念は心理学の学術的な議論の中で、その確かさを認められてはいないように思う。この辺りは学部卒でしかない私が正確にその立ち位置を認識できているのか、というところにツッコミどころがあるが、そこは一旦置いておく。というかこの記事で書いているのはちゃんとした議論ではなく私の感想的なものです。悪しからず。ちゃんとしたものはちゃんとしたところで読んでください。

私の持っている知識(学部で学ぶのは割と古典的な心理学が多く、新しい概念は少ないが)においては、HSPは学術的に認められた、心理学の教科書にも載るような概念であるという認識はない。心のモデルにこの概念を組み込む根拠が薄そうだなぁと感じている。

また、HSPについて研究しているのはもっぱらアーロン氏のグループであるというイメージ(これはあくまでイメージです)もある。なんというか、心理学全体に広がっていってはいないな、という認識を持っている。

DSM精神障害の診断と統計マニュアル)に記載がない

DSMアメリカ精神医学会が出版しているもので、精神医学の教科書的存在である。ここにはいまだにHSPについての記載はない。

つまり、精神医学的観点で言えば、HSPは精神的な障害の一つとしてはまだ認められていないということでもある。DSMは割と幅広く、精神医学分野で扱う障害や症状、パーソナリティー等について網羅されている。新しい概念も割と取り入れたりする。その中にもまだ組み込まれていないのである。

③大衆向け心理学の匂いがプンプンする

①、②で見たように心理学でもあまり認められておらず精神医学でも認められていない。あまり学術的な裏付けがある概念じゃないな、というのを感じている。

そういう意味では、人の心を読むだとか、メンタリズム・メンタリストのような、世間一般でイメージされる”心理学”の方に分類される概念かな、と思ってしまう。自己啓発的と言ってもいいけど。

なので、これを謳っている本とかを見ると正直胡散臭いなと思う。それは果たしてちゃんとした心理学的研究の裏付けがあるものですか?なんて。

まあ中にはあるものもあるんですけどね。玉石混交の中で石の割合がめちゃくちゃ高いイメージです。

ネットには様々な診断テストがあったりするし、〇〇型HSPなんて言葉まである。でも大体全部適当です。マジで信用ならない。*1

 

以上のように、個人的にはHSPという概念を信用していない。

 


とはいえ、実際有用なところがあるのは認めるところでもある。

精神医学の分野でも心理学の分野でも、特筆すべき障害として認められてこなかったということは、裏を返せばその苦しみが見過ごされてきたということでもある。

鬱だったり、統合失調症だったり、あるいは発達障害だったりのようにその障害や苦しみが認められ、支援されるものとは違い、HSPは苦しんでいるのに認められず支援もされない、隙間に置き去りにされた障害だと考えることもできる。感受性の強さや繊細さが特性(個性)であるならば、発達障害(特性によって生きる上での障害が生じている)と同様に捉えても良いのではないか。

HSPという概念によって、その苦しみを言語化し、その人の特性として認め、自分を責めることはないと励まし、その特性に寄り添ってより生きやすい道を歩く事ができるようになる。まあ自己啓発と似たようなものだ。それによって生きやすくなるなら、それでいいとは思っている。

 

ただ、その概念が、学術的な裏付けの少ない、土台が安定していない概念だということは認識しておいた方がいいだろう。自己啓発本と同じような立ち位置で受け取ってくれるなら良いが、学術用語だと思われたらたまったもんじゃない。

 

なんならHSPは今の所診断できるものじゃないです(ここが一番重要かもしれない)。

一般的な会話として「繊細だよね」とか「感受性が強いよね」とか、「HSPっぽいよね」は言えても、医師の診断として「あなたはHSPです」はあり得ない。「あなたは鬱です」「あなたはADHDです」は診断できても、HSPにはそれができない。なぜならちゃんとした診断基準がないから。

そして、こういう曖昧な概念からは、それを利用した適当なデマや、不安につけいる形で高価な薬を買わされるような詐欺めいたことも生じてくる。土台が不安定というのはそういうことでもあります。

 

また、”繊細さ”は誰もが(程度は違えど)持っているもの。私も繊細な方で、多分HSP的な部分を結構持っていると思う。HSP的、という認識くらいは別に持っておいてもいいかな、と思う。それを踏まえて、個々が抱えている生きづらさだったり苦しさだったりを乗り越える術が見つかったりするわけだし。

例えば占いにしても御神籤にしても自己啓発にしても、バーナム効果的なものが多いわけですよ。でもそれで生活を改めたりして結果いい人生を送れる、生きやすくなるのならそれを否定することはない。HSPという概念もそういう類のものだと思ったら多分いい。

ただ、「私はHSPなんです!」みたいな態度は違うと思いますよ。多分その方が生きづらくなってしまう。というか診断できないんだし。あとこの概念にどっぷり浸かるのは色々と危険です。

 

というかさ、別にHSPなんて横文字を使わなくても、「繊細な人」「感受性が強い人」くらいで受け止めりゃいいんじゃないのなんて思ってしまうね。HSPなんて概念を持ち込まなくてもそれで十分じゃないだろうか。

*1:

HSP研究者のサイトを貼っておきます。心理学をちゃんと修めた人のものなので、まだ信用できるはずです(ちゃんとエビデンスを見て判断しないといけないけど)。

デマをデマと言っているあたりは一応信用できるかなと言ったところ。このページでいろいろなデマを否定しているので軽く一読くらいはしてもいいと思います。

HSPの功罪 | 研究にもとづくHSP情報サイト