思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

昨日と今日

この年末年始は実家で過ごした。2週間くらい。

子供の頃から今まで、年末年始はだいたい親戚の家で過ごすか家族旅行でどこか行くかが我が家だったから、実家で過ごす正月はとても久しぶりだった。多分中学受験の頃以来。

 

実家の布団はよく眠れる。安心感とかの問題なのか、布団の質が良いからなのかはわからないけど、下宿よりも遥かに眠れる。とはいっても眠れない夜もあったりする。多分精神的なところなんだろう。

 

今回の帰省ではだいたい簡単に眠れたような気がする。良かった。

だけど、実家から帰る前日になって眠れなくなった。2週間という長い期間を家族と一緒に過ごしていたから、翌日から1人になることが少し不安になったんだろうか。寂しさもあった。

 

久しぶりの眠れない夜。眠れないから眠りについて考えることにした。眠れる夜にはこんなことは考えなくていいのだから、こんな時にこそ考えるのがいいんだろう。

 

その時考えていたのは、昨日と今日、あるいは明日への意識の持ち方だった。

私は0時に日付が切り替わる意識で生きている。0時を過ぎたら、それ以前は昨日。そして0時以降の今はもう今日。そんな意識でいた。

だけど、その意識でいることが眠れない理由のような気がしてきた。なんとなくでしかないけど。

この意識の持ち方だと、眠りにつこうとするタイミングではもう既に今日が始まってしまっている。始まってしまった今日という1日に対する焦りもあるし、眠りという「1日を終わらせる行動」に対して「始まり」の意識をぶつけてしまっては心と体がバラバラになってしまうような気もしている。

だからこれからは、起きた時に日付が切り替わるような意識にしていこうかなと思っている。この意識なら、眠りにつくタイミングではまだ今日が終わっていなくて、明日もまだ来ていない。行動と意識がともに1日を終わらせる方向を向いていけるような、そんな安心感がある。まだ明日という1日が始まっていないのだから焦りも感じずに済むかもしれない。

 

眠れなかった夜。こんなことを考えていて、まだ今日が終わっていないんだ、起きたら明日がやってくるんだ、と自分に言い聞かせていたらいつの間にか眠りについていた。

そして今、京都へ帰る新幹線の中で、その時の思考を書き起こしている。きっとこの思考が今の自分にはあっているから。