思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

心の置き場所

どうにも心が落ち着かない。

こんなこと前も書いているし、変わり映えしなくてアレだけど、でも書くことでしか落ち着かせられないような気がしているので書く。

 

この数日、ずっと心がふわふわしているというか、重たいというか。ふわふわと重たいは相容れないような気もするけれど、両方ともが私の中にある。それくらい、多分心の置き場所がわからなくなってしまっている。

足先は震え、感覚がないような感じになっているし、心臓は体から飛び出てしまいそうなバクバクを抱えている。でもそれは恐怖感ではないし、ワクワクでもない。恋のようなものにしてはあまりにも沈んでいる。緊張、と言ってしまうのが一番近いんだろうけど、その緊張がどこへつながっているのかはよくわからないままだ。ぼんやりと寝ていたいけれど、寝るに寝られず、じゃあ頑張って勉強でもしようかというと、それも身が入らない。どうすればいいのかもわからず、ただ苛立ちのようなものが募っていく。叫び出したい。逃げ出したい。全てを壊してしまいたい。

 

原因はなんとなくわかっている。数日前に受験のこと、そして辞める可能性があることを会社に伝え、今の居場所を失う選択を前に進めてしまったのがそれなんだろう。もう後戻りはできず、かといって前が開けているわけでもない。自分で選んだにも関わらず、霧の中に一人ポツンと取り残されたような感覚になっている。

焦りに身を焦がされている。腹に力を入れて、グッと踏ん張って、その焦りを、苛立ちを、衝動を、前進するためのエネルギーに変えていかないと。胆力、それが今の私に足りていないものだろう。

 

今が頑張る時で、頑張れる自分がいることを証明したくてこの選択をしているわけだから、それはもう頑張らないといけない。誰のためでもない、ただ自分のためだけの選択なのだから。迷う暇もない。でもふっと迷いが胸にくる。それが足先の震えや感覚のなさにつながっている。そうか、私は今立ちすくんでいるんだな。私はずっと高所恐怖症だった。小さい頃に登山や東京タワーの上で覚えた感覚は、多分今のこの感覚と同じだ。

あの怖さが今やってきているのか。ああそうか、怖いんだな。怖いよな。それが人生を選択するってことなんだ。恐怖感はないって書いてたけど、あれはただの強がりだったんだろう。本当はとても怖い。

 

怖さを自覚したことで、少し震えは止まったような気がする。何かわからないものへの震えが、怖さという形を持って見えるようになったら、あとはそれに立ち向かうだけだ。大丈夫。怖さを知って飲み下すことが強さだ。

 

ふと「バッテリー」を思い出した。

『バッターに感じた怖れを胸の底まで呑み下す。

呑み下せ。畏怖も怯えも迷いも惑いも、飲み下し溶解させ、ボールに託す力に変える。それが、球を投げるということだ。それができるから、ピッチャーなのだ。』

(バッテリーⅥ より)

今までバッターに怖れを抱いたことがなかった巧が、豪を打席に迎えて初めて怖いと思い、そしてその対戦を経て一つ強くなった名シーン。

怖れを認め、飲み下し、それを力に変える。それは「バッテリー」で読んで昔から知っていたことだったはずだけれど、今、ようやく身体でわかったかもしれない。また「バッテリー」に教えてもらっちゃったな。

 

受け入れて飲み下せ。そうすればきっと霧は晴れる。そして前へ。