思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

時折やってくる眠れない夜

あまりにも眠れないので最近考えていたことを脈絡もなく書いて精神を落ち着かせてから寝ます。暗いです。

 

 

何も失いたくないからいっそ失う前に人生を終わらせてしまった方が、みたいなことを考えたことがないと言ったら嘘になる。綺麗なまま終わらせてしまいたい、みたいなね。数年前にそういう理由で終わりを選んだ高校生のニュースがあったような気がするけれど、正直その感覚はわかってしまう。

死ぬことは私にとっては当然怖いから、それを選びはしない。だけど同時に、生きることだって怖い。ものすごく怖い。どちらからも逃げてしまいたいけれど、生きることを選んだらその怖さや苦しみはずっと続く。時間が経てばいろいろなことが変わるだろうし、今がずっと続くわけじゃない。苦しみもずっとは続かないはずだ。でも、苦しいときは、それがずっと続くような気がしてしまうし、人生は苦しいものだって思い込んでしまう。生きている限り逃げられないような錯覚に陥ることもある。そんな時にふっと彼方へと進んでしまうことは、事故のようなものであって、それを責める言葉を私は発することができない。

私自身はちゃんと生を選ぶ。”ちゃんと”なんて言ったら生が正しい感じがしてしまって、それはそれで何か違うんじゃないかという気もするんだけれど、結局のところこの社会は生が正しいんだ。その世界で生きている以上は、ひとまず思考停止して”ちゃんと”って言っていた方が多分幸せだ。むしろそこを疑うことで境界線に迷い込んじゃうんだろうな、と感じている。

”ちゃんと”胸を張って生を選ぶだけの自信はない。私はそこまで社会に適応的な人間ではない。

ただ、少なくとも生を選び続けなければ、周りの人が悲しむだろうことだけはわかっている。周りの人が悲しむのは嫌だ。みんな好きだから。

だから私は悲しませないように生きる。ずっと生きていたい。

 


 

人生は思っていたよりも短いから、やりたいと思ったことはどんどんやりなさいって言葉を目にすることが結構ある。その通りだと思う。でも、それは生き急いでいるような気がして、その生き方を私は選べない。ダラダラと時間を浪費してしまう癖がある。遠回りしたりすることも多い。

なんとなく怖いから本能的に避けているのかもしれない。生き急ぐという事に対して、死に向かって走っているようなイメージがあって、その死というゴールを近づけていく行為をしたくないと思ってしまう。未練とかが全て解消されちゃったらゴールなんじゃないかって思ってしまうから、私はあえて未練を残したりしているし。

現実的なことを言えば、体と心に無理をさせない限り、やりたいことをどんどんやることでは別にゴールは近づかないだろう。ダラダラとしてたら目の前にゴールが来てしまう、なんてこともあるわけで。

多分だけど私はゴールに怯えている。ゴールを意識したくないから、見ないようにして生きている。生き急ぐ行為はゴールを見つめているような気がして、そんな強さは私にはないから立ち止まっている。走れない。

弱いんだなぁ。

 

悲しませないために生きるだけじゃなく、喜びのために生きられるようになりたい。

 

そろそろ寝れそうです。おやすみなさい。