思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

春だというのに

すっかり春がきたと思ったら、ここ数日はまた少し寒くなってしまった。数日もすれば暖かくなって今度こそ春が訪れるみたいだけれど、季節の変わり目はやはりどこか不安定で落ち着かない。ふと、6歳の頃の春に地元で見た季節外れの雪を思い出す。それは今の私に残っている最古の記憶でもある。多分、季節が巡るたびに思い出すんだろう。

 

もう少し長く冬でも良かったな、なんて思うのは、田中ヤコブの「遠乗り」を聴いているからだろうか。”長い長い冬さえ 終わりは切ないものさ”ですからね。

”すきま風が吹こうが肌を刺す事はない”を感じようと思って窓を開けてみたけれど、まだ夜は冬の空気だった。もう少しかな。

 

そして、以前より春を待ち望んでいない自分がいることに気づく。なんだか心に余裕がないみたいだ。

 

仕事は先月からずっとバタバタしていて、ようやく一息ついたという感じ。でももう少しバタバタしそうな雰囲気もある。そんな中で季節の移ろいに目と心を向ける余裕があまりなかった。

終業後の空がだんだんと明るくなっていったりとか、暖房を切ったりとか、帰り道の河原に咲き始めた花とか、そういったことで変化を感じてはいたけれど、それが情緒と結びつく前に疲れが押し寄せてくる毎日だった。顔を思わず顰めてしまうような事案がいくつも降ってきて、本当にいい加減にしてくれという感じ。疲れましたね。

そしてそのあおりを受けてというか、あまり勉強は進んでいない。心ここに在らずという感じになってしまっている。季節が変わるということはそれだけ時が経ってしまっているということで、残された時間の少なさに焦りを感じてしまう。時計を止めていたいから、もう少し冬が続いていて欲しかった。

 

季節が変わっていくのを立ち止まって見送っていくだけになりそうな日々。でもそれではいけない事はわかっている。季節とともに歩き出していかなきゃ。そうね、春が来たんだから動き出しましょう。動く理由はそれだけで十分なはずだ。きっと動き出したら春も楽しみになるだろう。

 

焦りを覚えないようにちゃんと頑張りつつ、春の情緒を心と体で取り込んでいきたいな。花粉は取り込みたくないけど。

 

とりあえず深呼吸を。冬の空気を吸い込んで、春の陽気の中を走り出していこう。歩くのには慣れているけれど、今はもう走らないといけない時期だ。頑張れ自分。