思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

休息

3日おきくらいで何かをここに書くような日々が続いていたが、今はあまり余裕がなく、そしてもう8月が終わる。

日常が忙しくそちらで心を使うことが増えると、私はあまり書けなくなってしまうようだ。今必要なのは心を外側に向けておくこと。誰かのために心を使うこと。方向性が逆なのもあり、自分のことを考えることができないでいた。

 

今、それが一段落し(厳密に言えば終わってはいない)、何かを書く余裕ができた。けれどいざ書こうとすると、書けないことに気づく。手が動かない。言葉が体から溢れてこない。内側へと目を向けていくためのリハビリが必要なのかもしれないと思う。まあ日常の中のことは書けないことが多い、っていうそれだけなのかもしれないですけどね。

 

ぽつぽつと、何かを書いていきます。

 


 

一人暮らし11年目にして初めて皿を割った。皿は洗ったまま炊飯器の釜の下敷きになっていて、釜を持ち上げた時に皿もくっついて持ち上がり、そのまま落ちて割れていった。メラミン皿というとても割れにくい皿だったのに。反省も後悔もあるが、とはいえ寿命かなとも思う。それくらいで割れるような皿じゃなかったはずだ。

その皿は家を出た時に実家から持ってきたもので、親に聞くと私が生まれる頃に買ったものだという。30年近くが経ち、もう脆くなっていたのだろう。しかしその時がこんなに呆気なく来るとは思ってもいなかった。愛着があったからそれなりに悲しく、割れた皿をぼんやりと眺めていた。

私の心も割れたような気がした、なんて言えれば詩的だなと思うけれど、実際は何もそんなことはなく、日常が続く。私も今は何も思わずに暮らしている。ただ、あの皿はもう私の家にはないという事実が残る。実家にはまだ何枚か残っている。それら全てが割れたら流石に何かを思うだろうけれど、なかなかそんなことはないでしょうね。

 

やらなきゃいけないことがたくさん残っている。勉強も、授業の準備も、研究の進捗も。色々な人に連絡を取らないといけないことも。書かないといけない書類も。積極的に動いていかないといけないのに、どうにも体の動きが鈍い。

夏。臆病さをいい加減なんとかしたいと思う。

投げ出したい気持ちはある。全てを捨ててどこかへ行ってしまいたい気持ち。でもまあやります。どうせやらなきゃいけないし。

 

働く感覚が少し蘇ったような期間があった。働くということの空気感には覚えがあり、場所は違えどどことなく懐かしさを感じていた。一度学生に戻ったことでもう社会人に戻れないような気もしていたけれど、なんとかやっていけるのかもしれないな、と少し安心を覚える。まだあと1年半ほど先の未来。私はどこにいるのだろうか。

 

何もやる気が起こらない。今日1日だけは何もせず休んでもいいことにしておこうか。怠惰さに自分を責めたくなるが、とはいえここ数日は頑張っていたのだし、許す方が多分いいのだと思う。自分を責めすぎている部分があるのではないか、みたいなことを言われる日々でもあった。少し肩の力を抜いてもっと素直に生きていたいと思う。

なんにせよ、明日からまた頑張ります。それが今日の免罪符になるだろうから。