思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

夏の始まり

この何日かで色々なものに触れて、それが溢れてしまったのか、どうにもこのさまざまな感情をまとめられる気がしない。もう、まとめるのを諦めた。そもそもまとまるはずもないのだ。一旦全てを垂れ流しにしておきます。あとで振り返るときにまとめたらいい。

 


7/5(金)、6(土)

暑い。暇だったので街で買い物をしたりして、ふらふらと港へ。

夏。

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ちょうど良い時間の船があれば多分どこかへ渡っていた。でもなかった。それで良かったのかもしれない。

 

夜。

名古屋へライブを観に行くため、夜行バスに乗っている。案の定よく眠れない。ウトウトはしていて、だからいつの間にか4時間くらいが経ってはいるものの、眠った感じではない。目を瞑っているだけでも休息にはなると言い聞かせてはいるが、眠れなさに落ち込む。

ーーもう3時をすぎた。一旦眠りを諦め、車内のトイレへ向かう。用を足して席へ戻ろうとすると、携帯の明かりがちらほら見える。安心する。私たちは皆、眠れなくて、眠れないまま朝を迎える。一人じゃない。

 

名古屋の朝6時、セルフカフェの客層に中島みゆきの「狼になりたい」を重ねる。終わったような朝。嫌いじゃないよ。

 

8時ごろ、ニューポピーへ行く。

開店時間ちょっと前に行ったらもうそれなりに並んでいて、入った後に来た人たちは整理券対応になっていた。人気ですね。でもわかるかもしれない。モーニングセットは美味しかった。落ち着く雰囲気。もう少し長くいても良かったな。

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名古屋でのライブについてはまた別で書くかもしれない。ライブ後は先輩の家に一泊。ありがとうございました。

 

7/7(日)

名古屋から近鉄特急ひのとりで大阪へ。津の次が鶴橋なのすごいなぁと思う。速い。

席は快適。リクライニングの背もたれと背面のテーブルが分離しているので、後ろの人に気兼ねなくリクライニングを倒せる設計はとても素晴らしいと思う。

よく晴れた日で、景色がとても綺麗だった。木曽三川のあたりが特に。

途中、父親の故郷のあたりを通る。父方も母方もどちらもあのあたりにゆかりがある。だからなのか、榛原のあたりの景色にすごく心がギュッとなった。特段その景色に何かがあるわけでもないけれど、私の魂がずっとこの山間の田園風景に閉じ込められているような、そんな感覚だった。結局のところ私はああいう場所へ帰らなくてはいけないんだ……というような。不思議。

 

大阪は相変わらず人が多い。どこか、少し大阪に親しみを持てるようになった気がする。ここ最近くることが増えたから?

ーーそれだけじゃない気がする。まだ、香川に心を置ききれていないんだと思う。もっと、親しみではない感情を抱くようになるべきなのかもしれない。よくわからないけど。

 

中島みゆき展を見る。これについてもまた別で書くかもしれない。中島みゆきはやはり良い。

 

茶屋町タワーレコードに寄ってレコードを見る。羊文学の「12 hugs」を買おうかなと思うも、その気にならずに結局買わず。

1枚のアルバムをレコード化するのであればA面とB面で終わらせてほしいというか、2枚組(A~D面)にしないでほしいというような、そういう気持ちがあるんですよね。最初からレコードにするつもりで、A面B面前提でアルバムを作ってほしい、みたいな。だって昔はそうだったじゃないですか。たった3曲でひっくり返さなきゃいけない仕様はなんか違うんじゃないか、レコードにしたら売れるって後から考えたんでしょなんて思って、だから買わなかった。

めんどくさいオタクでしょう。自分でもそう思う。

 

この日もライブ。良かったんだけど、終バスの関係で途中で抜ける羽目になったのはとても悲しかった。世知辛い。けどしょうがない。それが現実というもの。

 

日常に戻るのが難しい。家に帰った今も少しふわふわしていて、まだどこか逃げた心のままでいる。あまり眠りたくなくて、それで今もこうしている。もう少し逃避行を続けていたい。

 

7/8(月)

授業中、蝉の鳴き声が聞こえ出した。夏。

 

ふと、あ、ダメになりそう、って思う瞬間がたまにある。今日はそれがやってきた。

帰り道に「今幸せじゃないな」ってふっと頭をよぎってしまったのがいけない。一度そのマインドに入ってしまうとなかなか抜け出せなくなり、それで結局ダメになってしまう。

心の空洞に吸い込まれてしまうような。魅入られてしまうような。何もかもがわからなくなって、本当に突然どこかに消えてしまうような気持ちになる。寂しさとか虚しさとか、そんな単純な言葉で言い表せないような、そんなもの。

夕暮れ時がいけない。あるいはブルーアワーと呼ばれるような、そんな青も。夜の帳が下りるその隙間に、忍び込んでくる。気付かぬうちに、そっと。

見上げた空には2日目の月。こういう気持ちになるとき、よく2日目の月が浮かんでいる。退職した時の月がそれだったからか、それ以後ずっと何かに囚われているような気がする。

 

これは下書きに残っていた、おそらくひと月前に2日目の月を見た時の言葉。

 

2日目の月/あれからいくつ回って/見上げる私をひっそりと凛と照らす

私はあれから何をなしただろうか/問われている/答えはない/そのことをとうに知っている

 

1年前と比べると、今の私はとても平穏で楽で幸せに暮らせていると思う。あの頃と比べれば全然大丈夫、だから頑張らなきゃって思ってしまうけれど、それは今の私を無視しているような感覚で。今には今の苦しさがあり、それを飲み込むべきでもないのに、知らず知らずのうちにどこか平気な顔をしてしまっていた。ちゃんと今の私も見てあげないといけないのかもしれない。

 

(追記):あ、ダメになりそう、って書いたじゃないですか。あれから数日後、コロナが発覚しました。あの感覚は普通に体調不良の前兆だったみたい。それにしても、ちゃんと心と体は連動しているんだなぁ。心がおかしい時は体もおかしくなるし、体がおかしくなれば心も弱る。自分の体の声に耳を傾けないといけないですね。