思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

描く夢がすべて叶うわけなどないけど

9/4。

1つ目の大学院の合格発表があった。

HPに貼り出された合格者の番号の中に、私のものはなかった。

一番可能性がある手応えのところだったから、結構ショックで、見間違えじゃないかとか、他のところに番号があったりしないかとか何度も探したけれど、何回見てもそこにあってほしい数字はなかった。

受験者は15人くらいいて、合格者は4人だった。定員は10人くらいだと思っていたけれど、厳密には他のコースとの合計で10人で、とはいえもう少し合格者がいるものだと思っていた。4人では厳しい。しかしそれを嘆いたところで実力不足だったことには変わりがなく、不合格だったという事実ももう動かないものだ。受け入れるしかない。そもそも定員限界まで合格にしたわけではなく、合格基準に達していたのが4人だけだった、という可能性すらある。その場合、実力不足は動かないものになる。

発表があったのは昼休み終わりの13時だった。午後は仕事が全然手につかず、何をしていたのかを何も思い出せない。途中で眩暈がしてきて動けなくなってもいたから、相当ダメージは大きかったのだろう。

仕事終わりはもうどうしようもなく疲れていて、しんどいけれど泣けなくて、一人で居酒屋で飲んだ。飲んでも泣けなかった。多分、まだ希望を持っていたから。他の大学院は受かっているかもしれないって。

居酒屋を出ると外はまだ不快な暑さだった。公園に寄って、ブランコを一人漕いだ。酔っていたからすぐに気持ち悪くなってしまった。頭がくらくらした。それでも漕いだ。

 

9/5。

2つ目の合格発表があった。発表は前日と同じ13時。

あまり期待をせずに開いたHPには、やはり私の番号はなかった。

こちらは筆記の手応えはなんともいえず、面接はまあまあだった。少しだけ期待はしていたけれど、そんなに甘くなかった。30人強受けていて合格が10人で、つまり上位1/3には入れていなかったということ。それはそんなものかもしれない。

これで3つ受けたうちの2つが不合格で、残りの1つは手応えが一番悪いから、もう絶望的。

流石にだいぶショックで、前日以上に仕事にならなかった。

帰りはただひたすら川原を歩いた。人のいないところまで行って、寝転んで空を眺めた。どこまでも綺麗だった。こんなに空が綺麗で広いことを私は長いこと忘れていた。

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人がいないのをいいことに歌ったりもした。少しだけ泣いた。

 

YUIの「fight」や木村カエラの「リルラリルハ」、けやき坂46の「抱きしめてやる」、BUMP OF CHICKENの「窓の中から」、中島みゆきの「蕎麦屋」……。

 

”描く夢がすべて 叶うわけなどないけど あなただってわかっているはずよ”

”頑張れ頑張れ 勝ち負けだって本当は大事なことなんだね 頑張れ頑張れ そうさ人生は引き返せない”( YUI「fight」)

 

”忘れないで見つめることを 今できるでしょう? 今しかないこの時間を あなた次第で”( 木村カエラ「リルラリルハ」)

 

”世界じゅうが 誰もかも 偉い奴に思えてきて まるで自分一人だけが いらないような気がする時”( 中島みゆき蕎麦屋」)

 

そのうちに夜がやってきて、それでもまっすぐに帰る気にならず、焼鳥屋に寄って飲んだ。飲んだからといって何かが変わるわけでもなく、沈んだ気持ちのまま、今日が終わる。明日からもまた仕事で、私は何もなかったかのようににこやかに働けるのだろうか。寝たら変わるのだろうか。

 

まだ1つ結果が出ていないとはいえ、もうほとんどの確率で全落ちだろう。受かりたかったな。大学院、行きたかったな。

もっと頑張らなきゃいけなかった。勉強は明らかに努力不足の面があって、もっと実力というか、知識を身につけていかなきゃいけなかった。研究計画ももっとしっかり練って、いいものにしなきゃいけなかった。ただただ実力不足で、準備不足。

結果が伴わなかった以上、その頑張りは全然十分ではなかったわけだけれど、頑張った日々はちゃんと存在したのだから、それだけは否定せずに大事に持っておきたい。

頑張ったこと、本気で向き合っていたこと、苦しんだこと、精一杯生きていたこと、そして届かなかったこと。それら全てを誰にも否定させはしない。

 

これで何度目の挫折だろうか。すごく挫折ばかりの人生を送っている気がする。疲れたな。報われなさを呪いたくもなるけれど、誰が悪いというのであればそれは私自身でしかないことなので、呪えない。だから余計に気持ちが落ち込む。自分を全否定されてしまった気がしてくる。実際にはそんなことはなくて、試験の点数で合否判定されているだけなんだけれど、それを飲み込むのは難しい。

 

そして今、今後どうやって生きていくかをずっと考えている。落ちた時からずっと。いや、その前からかもしれない。

私はこれからの人生をどうやって歩めばいいのだろう。社会のどこに自分を置いたらいいのだろう。

心理の道に置くという選択をして、それで大学院を受けたわけだけれど、それを突き返された今、私にはまた選択が突きつけられている。もう一度頑張るか、他の選択肢を探すか、あるいは今の道を全うするか。悩む、というよりも何もかもがわからなくて途方に暮れてしまう。

自分というものがわからなくなってしまう。自分の置き場所は本当に見つからなくて、ずっとそれを探してもがいている。不合格が続くということは、心理の道は適切な置き場所じゃなかったってことなんじゃないか。じゃあどこなんだ。どこにもないじゃないか。どこにも、誰にも受け入れられずにいる人生に思えてきてしまう。どうすればいいんだろう。生きていることは許されるのだろうか、なんて気持ちにもなってしまう。これはネガティブで被害妄想的な状態だから、もう少し元気になったら多分大丈夫なんだろうけど、だとしても置き場所はわからないままな気がする。さて、本当にどうしよう。

 

 

大学を卒業するとき、私は大学院を受験しなかった。今の自分には無理だと思って諦めて、心理士になりたいという思いに蓋をしていた。

今回受験したのは、あの頃の未練に決着をつけるためでもあった。挑戦して玉砕することさえできなかったあの頃の自分を、今の自分は超えられたと思う。ちゃんと頑張れて、挑戦できるくらいの力もつけて、そして玉砕して、こんなにも悔しい思いを抱いている。そのどれもが、あの頃の自分ができなかったことであり、だから結果がどうであれそういう意味では満足するのかもしれないと思っていた。

でも、いくらなんでも悔しい。悔しいという気持ちを抱けるくらいには頑張っていた、という事実は誇りに思うけれど、満足できるわけがなかった。

これだけ頑張って、辛い思いもして、周りに迷惑もかけて、これですんなり諦められるなら、そもそも最初からこんな苦しい道をわざわざ選ぼうとしなかった。

 

もう少し頑張ってみようと思う。迷いも悩みも苦しみもあるけれど、立ち止まりたくもなるけれど、この悔しさを無駄にはしたくないし、この気持ちに蓋をしたくもない。多分それが今の私の意志だ。