思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

空はいつでも

試験が終わってからというもの、空を見上げる回数が増えた。

9月になっても、まだ日差しは夏のままで強く眩しく、なかなか直視できないけれど、それでも眺めていたくなる。

今日も京阪電車の車窓から眺めた空が綺麗で、だから途中の樟葉で何の用もないのに降りて空を見つめていた。

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空を見上げると少しだけ心が軽くなってくれるような気がして、だから顔を上げる。その眩しさに心が痛む時もあって、自分の惨めさとかちっぽけさに泣きそうになるけれど、それでも。

 

真っ青な青空よりも、ちゃんと雲が広がっている空の方が好きだ。グラデーションの美しさと、同じ空は二度とないという尊さとがいい。どんな空であっても、それはもう見ることの出来ない刹那的なもので、私がそれを美しいと思うかに関わらずただそこに存在している。

誰の評価も関係なく、ただそこに在ること。揺蕩うこと。常に変わり続けていること。そしてそれが結局美しいということ。

私もそうありたい。

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松任谷由美ひこうき雲


"空に憧れて 空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲"

 

Every Little Thing「ソラアイ」

”晴れるわけでもない空を それでも僕は 今日を期待して生きてみる”

この前の記事のブックマークコメントにこの曲があって、久しぶりに聴いてみたらすごく刺さった。思い出させてくれてありがとうございます。思い出すというよりも、気づいていなかったという方が近いか。

大事なものにはもうすでに出会っているのかもしれない。ただ気づかないだけで。

 

あとELTでは「Lien」も。


”ただ空を見上げてた まだ強くなれるかな”

Every Little Thingは初期の力強さとか明るさも好きだけれど、後期の歌い方が変わってからの優しい曲もなんだかんだで好き。

 

空はどこまでも続いていて、だから遠くに想いを馳せることができるけれど、遠くで見る空はここで見ている空とは全く違っている。同じ空、でも違う空。違うのに、同じものを見ているかのように同じ想いを抱くことだってできる幻想感は、空が空であることを強くしている。

幻想でもいい。ただ祈ろう。世界は繋がっていて、空を通して人々の心も繋がって、そして愛で満たされることを。

そして私もまた、誰かと繋がって、人を愛せますようにと。

 

 

(追記):

一年前の秋に書いた下書きをここで供養しておきます。

きっと空を見上げる余裕のなかった頃に書いていた一文。空を見ている方がきっと私らしくいられる。

 

 金木犀の香りにふと顔を上げ、空の青さを知る