思い出の向こう側

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丁寧に暮らす?

いつの日からだろう、丁寧な暮らしに憧れていた。

私はせっかちな人間で、何も考えずに生きていると焦りで空転し始め、制御できなくなってしまう。何かに追われて必死に逃げているような感覚を抱いてしまう。今まで遠回りしてきた分、時間の余裕のなさを思ってしまうのかもしれない。本当は多分まだまだ大丈夫で、もう一回遠回りをするくらいは全然平気なんだと思う。でも焦ってしまう。その焦りが嫌で、だから丁寧な暮らしがしたいと思う。日常生活を流れる時間をゆったりさせて、それで自分の中を流れる時間もゆっくりにしたい。

流れていく時間に圧倒されてしまっているのかもしれない。本当にあっという間に過ぎていっている。入学から2ヶ月が経ったこと、もうすぐで退職してから半年が経つこともだし、もうすぐで29になってしまうことも。本当は時間に縛られたくなくて、それでも流れていってしまう時間を意識してしまう。縛られたくないと思えば思うほど、どんどん息ができなくなっていく。せめてもの抵抗として、丁寧に暮らしていたい。時間を止めていたい。ちゃんと息をついていたい。

 

そんなことを思いながらも、現実には杜撰な生活を送っている。自炊することは減り、スーパーで半額弁当を物色する日々。でも、半額弁当に群がっているときは生の実感が確かにある。周りの客の逞しさのようなものに引っ張られるのかもしれない。

対照的にというか、丁寧な暮らしの時間が止まっている感じには、死を少し感じてしまう。ぼんやりと思い描く死後の世界のような。何にも煩わされることなく、ただ暮らす。現実から離れているということをそう感じてしまうのだろうか。

現実から逃げ出したいし、背負っている色々なものや気持ちを全部投げ出してしまいたい衝動もあるけれど、そうできない自分がいることも知っている。生きている以上現実からは逃げられないし、流れていく時間からも自由にはなれない。死にたいわけじゃない。ちゃんと生きていたい。息をしていたい。

息がしやすい生活を送れるようになればいい。それだけなんだから、それは丁寧でも杜撰でもなんでも良くて、その時の自分がどうしたら息ができるようになるかを考えてあげるだけなのかもしれない。今、丁寧に暮らしたくなっている。きっと疲れているんだ。少しゆったりさせてあげよう。

 

今はレコードでHomecomingsの『WHALE LIVING』を流している。レコードをかけるという行為も、この音楽も、私の中の時間をゆったりしたものにしてくれている実感がある。多分これが私にとっての丁寧。なんだかどうにもならない焦りのようなものが渦巻いていたけれど、少し落ち着いてきた。今日はこれでいい。

 

課題とか、勉強とか、研究とか、諸々のやらなきゃいけないこと、やった方がいいことが溢れている日々。頑張りたくて、だから頑張ろうとしているけれど、息切れしちゃっていたみたい。それらを頑張ることは大事だけど、ちゃんと自分の心の声も聞いてあげたい。勉強とは関係なく読みたい本を読もう。観たい映画を観よう。聴きたい音楽を聴こう。回り回って何かに役立つこともあるだろうけれど、そんなことは意識せずに、ちゃんと自分の楽しみのために楽しみたいと思う。

 

(追記):

夕方になって気分が落ち着いたので、喫茶店に行って吉本ばななの『キッチン』を読み始めた。ずっと読みたかった本、けれど小説を読むことに心理的な負荷を強く感じてしまう私はなかなか手に取れずにいた。今なら読めるかも、と思った感覚は正しく、すっと心に届いた。なんて美しいんだろう。身体感覚に根ざした言葉たちと、それを包むやさしさ。胸に手を当て、その暖かさを感じながら読むのがとても心地よい。読むのが今日で良かったし、その日は今日だったんだなと思う。第1章の「キッチン」まで読み終えて外に出ると、空がとても綺麗だった。空を見上げること、最近は忘れていたんだな。なんだか生き返ったような気がして、そのことが嬉しくて幸せな気持ちになった。こういう気持ちもあんな風に書けるようになりたいな、と思う。それができるようになった時は、心をちゃんと感じ取れるようになった時だとも思うから。