思い出の向こう側

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三日月とネコ

瓦町にある映画館、ソレイユで『三日月とネコ』を観てきました。

 

恋人でも家族でもない、境遇もバラバラな猫好き男女3人暮らし。
書店で働く40代お一人様女性の灯(あかり)、30代精神科医師の鹿乃子(かのこ)、20代のアパレルショップ勤務の仁(じん)は、みんなの愛猫のミカヅキと仲良く暮らしている。熊本でごく普通の人生を歩んできた灯にとって、人生で一番【普通ではない生活】をしているものの、その生活はとても楽しくて……。
三日月の様に満ちていく途中の、迷えるオトナ3人と愛おしいネコの共同生活物語。

 

観に行ったきっかけは、Homecomings「Moon Shaped」が主題歌っていう、本当にただそれだけではあったけれど、観てよかった。

 

自分を縛っているものを少しずつ解いてくれた感じの映画だった。色々な愛の形、それは性的指向とかそういうことだけでもなく、もっと広いもの。他人のそういう形も大事にするし、自分のそういう形も大事にする。多分私たちは知らず知らずのうちに「普通」に囚われてしまって、「普通」じゃないことをすごく後ろめたく思ってしまうのだけれど、そんなことに縛られなくていい、もっと素直でいいんだっていう感じの映画だった。暖かくて、寂しくて、優しくて、だから飲み込んでしまうようなものを、ふっと吐き出させてくれるような。3人が離れそうになる時、「大人っぽいね」と言っていたのが、最後で「大人じゃなくていいんだね」みたいになるあたりがなんか好きだった。きっと私たちはこうやってすれ違っていくし、こうやって愛を知る。

あと鹿乃子さんの寂しそうな顔がすごく印象に残った。この映画だと多分あの人が一番飲み込んでしまう人だったんだなって。

劇中で色々な人を通して語られるメッセージ的な言葉については、もっと溶け込ませてもよかったんじゃないかというか、わかりやすい置き方があまり好みではなかったなとも思ってしまったところはあった。「ここ大事ですよ」みたいな感じで言わせている感があって、浮き出てしまっているというか。なんかもっと何気ない感じで散りばめてくれる方が好みで、それは多分去年観た『街の上で』とかのニュアンスなんだと思う。

 

エンドロールで「Moon Shaped」が流れた時、泣いてしまった。自分を縛っていたものが解かれたせいなのかな。映画を見た上でこの歌を聴くのは解像度がすごく上がって、さらに好きな曲になった。

耳をすませば胸をたたく はなればなれのよわい予感 それも抱いて眠る部屋で 欠けたかたちは寄り添い合っていく」

綺麗すぎる。あとはなんていうんでしょうね、Homecomingsとこの映画(あるいは原作)、合いすぎじゃない?Homecomingsの持つやさしさとこの映画のやさしさが共鳴しあっている感じがすごくした。

このインタビューでも、

福富 あとは「三日月とネコ」という作品に、これまでのタイアップの中でも一番共感できたことが大きかったです。具体的に言うと、独自の視点で何かを描こうとあまり思わなかった。例えば「愛がなんだ」に「Cakes」を書き下ろしたときは、自分なりに恋愛について考えて「男女ではない組み合わせの恋愛もあるから」という思いがあったんです。それに対して、今回は「三日月とネコ」の物語から受け取ったものをそのまま音楽にする感覚でした。

 

──なぜ「三日月とネコ」にそこまで共感したんだと思います?

 

福富 恋愛や友情でつながってるわけじゃないバラバラの3人が同じ家に住んで、ある意味隣人として手を取り合っていて。それが閉鎖的ではないところがすごくいいなと思ったんです。それは「カギはかけない小さな世界」という歌詞につながるんですけど、周りの人や社会とつながりながらそれぞれが自分の選択をしていく。社会に対する疑問や怒りが表現されているところにもシンパシーを感じていて、例えばジェンダーのことを登場人物が完全に理解しているとかじゃなくて、配慮を欠いていたり無知な部分があったりするんだけど、それをお互いに補い合ったりケアをしていく。それはある意味Homecomingsがやりたいことと重なると思ったんです。

と言っていた。こうやって共鳴して、つながって、続いていく。素敵な世界だなと思う。

 

福富さんの書くことばが好き。もう少し、この映画とこの楽曲の世界に身を浸らせていたいな。