暗い言葉たちを打ち消すように、少し明るい言葉たちを。
ふくろうずを少しずつ聴き始めている。変わらず「ループする」はすごく好き。
そして「ごめんね」と「うららのLa」が加えて好きです。
良すぎませんか。こんなにも素敵な音楽を私は知らなかったということ、知らないまま解散してしまっていたということが少し悔しいけれど、そんなことよりも今出会えたことの喜びが勝つ。「ごめんね」のリフレイン、「うららのLa」の転がるようなメロディー。どちらもとてもいいっすねぇ。
他に何か明るいこと……ありましたっけ。まあ別に毎日のように明るいことが起きるわけではないのが人生だし、逆も然りで、暗いことばかりなわけでもない。今はたまたま暗い気持ちになっているだけなのだとも思う。無理して明るくする必要はないと思いつつ、暗いままなのも嫌なので無理をしてでも明るくしていたいというのが今の気持ち。
喫茶店で頼んでみたチョコジンジャーケーキがなんというか不思議な味で、ちょっと失敗したなと思ったこととか。冷蔵庫の中に残っていた消費期限を1日過ぎた牛乳を飲んだけどなんともなかったこととか。茄子の煮浸しがちゃんと美味しく作れたこととか。なんとなくの勢いでまた本を買ってしまったこととか。1冊また読み終えたこととか。人と色々な話をしたこととか。
日常は些細な喜びやほろ苦さで溢れている。それらを味わうくらいでいいのかもしれない。だって人生ってそういうものでしょう。
ああ、それと。思い出したかのように書いてしまうのは違うと思いつつ、でも今書くことだと思うので書きます。
いつも読んでくれてありがとうございます。読みたいと思って読んでくれている人、気が向いた時だけ読もうと思ってくれている人、読まないけど安否確認的に訪れてくれる人、あるいはトップページとかで紹介されてなんとなく読んだって人もいるだろうし、まあ色々な人がいると思うんですけど、少なからず私のことを(人としてなのか文章としてなのかはわかりませんが)気にかけてくれている人なのかなと思って受け取っています。その存在が私の支えになっています。
人数どうこうではなく、読んでくれている人がいるという事実が、そして私のことをちょっとだけだとしても気にかけてくれている人たちがいるということがとても嬉しいです。
今でも自分のために書いていることが多く、誰かに伝えるための文章になっていないことが多くて、すごく読みにくく分かりにくくなっているんじゃないかって思っています。仮に誰かのために綴ったとしても、その言葉はすごく下手で辿々しくなったりしているんじゃないかとも思います。だから申し訳なさも当然あるし、読んでくれとまでは言えない。
でも、もしも私のことを気にかけてくれている人がいるなら、定期的に覗きに来てくれると嬉しいです。それだけで私は少しずつ救われていきます。ちゃんとこの世界に私は繋がっているんだ、ひとりぼっちじゃないんだってわかるから。ほんとうに感謝しているんです。ありがとうございます。
ごめんねよりもありがとうを言う人生でありたい、みたいなことを思う。ーーちゃんと繋がったね。