思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

たまたま共鳴する

最近読んだ本について。あまりここで書いていなかったんですが、何冊か読み進めていたりしたのでちょっと書き残しておきます。

 

前回書いたときに買っていた7冊の中から読んだものもあれば、新たに買ってしまったものもあります。というか新しい方が多いかもしれない。まあそういうものですね。

 

村上春樹『村上ラヂオ3』

前回読んでいた『村上ラヂオ2』の続きというか、まあ同じような類のエッセイ集。2と同様に楽しく読み進められた。内容としてはまあ毒にも薬にもならないとも言えるようなエッセイだから、どんな内容だったかをあまり思い出せない。でも文章のリズム感とか諸々はとても好きだし、書いている内容も(忘れているとはいえ)好き。多分さらっとしているんでしょうね。

また繰り返し読むと思うし、そのうちに(あるいは気付かないうちに)何かが染み込んでくるような気がする。そんな感じ。なんかこう、日焼け止めクリームみたいだなと思いますね。塗ったことすら忘れているけれど、確かに自分を守ってくれている、そんなお守りのようなもの。

 

村上春樹『職業としての小説家』

村上春樹が小説を書くことについての自伝的なエッセイ。自伝というか、アドバイスというか、小説について考えていることをまとめたもの。村上春樹の文章を好きになったこと、小説を書いてみたいなと思ったことがきっかけで手に取った。どう書くか、みたいなことだったりはすごく参考になると思った。あとこれを読んで小説も読んでみたいと思って、『一人称単数』を読み始めた。それから『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も買った。今更のようにハルキストになりつつある。

加えて、最後の章で河合隼雄について語っているところがあり、それはやはり興味を惹かれるところだった。『村上春樹河合隼雄に会いにいく』という対談集があるくらい親交があった二人であり、そういえばこれは随分と前に読んでいたのだけれど、何か通ずるものがあったんでしょうね。

「僕がそのような深い共感を抱くことができた相手は、それまで河合先生以外には一人もいなかったし、実を言えば今でも一人もいません。」

 

くどうれいん『虎のたましい人魚の涙』

これもまた読んだのが結構前だということもあり、忘れてしまっていることが多い。すぐに書き留めておかないとダメですね。

例によってすごく好きです。前回のエッセイ集『うたうおばけ』では子供の頃から大学生の頃までが描かれていたのに対し、こちらは社会人になってからのことが描かれている。そのぶん、今の私との距離が近いことが多く、そこに共鳴できることが多かった。

「歌の丘」「耳朶の紫式部」「白鳥は夜でも白い」「うどんオーケストラ」「おめでとうございますさようなら」あたりが特に好きでした。「おめでとうございますさようなら」は退職日のことについて書かれていて、やはり人は仕事を辞めると空を見上げるものなのかもしれないと思った。

くどうれいんさんは同世代だ。同世代という言葉でまとめてしまうのも違う気はするのだけれど。生まれ育った場所も暮らしも性別も何もかも違うけれど、同じようなタイミングでこの社会の空気を吸って育った同士、のような感覚を勝手に覚えている。上手く言えないけど、一人じゃないってことを感じられるのかもしれないですね。

 

梨木香歩『やがて満ちてくる光の』

どこかまとまりのないような、それでいてそれらをまとめると何かが朧げに見えてくるような、そんなエッセイ集。 文章も、描かれている事柄も、そこに何かを見出す感受性も素敵だなと思う。その反面、正直なことを言えばリズム感が私にはあまり合わなくて、読むのが結構大変だった。言葉がするする入ってくる感じがしなくて……。別に批判しているとかではなく、こういうこともあるか、という感じ。合う合わないってどうしたってありますからね。まだ途中だけど、このまま一旦読むのをやめそうな気がしている。別にそれでもいいんですよね。結局、自分のために読んでいるだけなんですから。

西の魔女が死んだ』は小学生の頃に読んでいて、それはすごく良かったという印象があった。だから読んでみたんだけど、梨木香歩はエッセイよりも小説の方が読みやすいのかもしれない。あくまで私にとって。

 

永井玲衣『世界の適切な保存』

書店をふらふらしていたとき、目に入ってパラパラとめくってみたら私の好きそうな感じの文章だったから買ってみた。

あの、とても好きです。まだ読み始めたばかりだけれど、私の好きなもの、私の大切なものがここにあるような気がして。

哲学的なエッセイ集で、世界からぽろぽろと失われていってしまうようなものを書いている感じがあって(それがタイトルの『世界の適切な保存』というところに繋がるのだと思う)、こういう雰囲気を私は求めていた。あと詩や短歌の引用が多くて、それもまた好みでした。

例えば「たまたま配られる」では世界の偶然性の話をしていて、私もたまたま偶然性の話をここで書いていたものだから驚いてしまった。でもそういうものも全てたまたまであって、そこに意味のあるなしを見出そうとせずにその偶然性を偶然性としてそのままに受け取る文章がとても美しい。

この本に出会ったこともたまたまだし、これが何か私の持つものと共鳴したのもたまたま。それでいい。世界は偶然に満ちていて、だから美しい。出会えて良かったと(まだ全然読み終わっていないながらも)思う。

読んでいてHomecomingsの『US/アス』の歌詞、「あなたはたまたま美しい」が想起された。こうやって何かが繋がりを持つことも、たまたまなのだけれど。

 

買ったけれど読めていない本がまだまだある。気長に、いつか読んでいこうと思います。

 

(追記):

今日ふと思ったこと。私が求めているものってなんなのだろう?っていうことをずっと考えてきたのだけれど、それは「共鳴」なのかもしれない。

共感や理解でもなく、共鳴。ハーモニーと言っていいのかもしれないけれど、どこかニュアンスが違ってくるような気もしてしまうので、共鳴。

響き合うその感覚を私は欲していて、それは歩み寄りを必要としない。私がこうやって気ままに響かせている言葉に誰かが共鳴してくれれば嬉しいし、あるいは同じように誰かが響かせている言葉が私の中にある何かと共鳴したら、それが幸せな出会いなのだと思う。ここで書いた本たちのように。

コミュニケーションではないんですよね。共感や理解のような、あるいは友情や愛情のような、そういう繋がりももちろん欲していると思うのだけど、そんなことより根底にあるのはただただ共鳴への渇望であって、勝手に響き合う感覚の方がより魂レベルでの欲求な気がしてしまうんです。

だからなんだと言われると、まあなにもないんだけど。