思い出の向こう側

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Homecomings New Neighbors FOUR Won't You Be My Neighbor?

2/10。

京都のKBSホールで行われたHomecomingsのライブに参加してきました。

 

このライブをもってドラムの石田さんが卒業することもあり、現体制でのラストライブ、集大成的な要素のあるライブになることがわかっていた。ゲストも、最初ライブが発表された時はシークレットだったけど、くるりであることが後に発表されていた。まあ最初から予想はしていたんだけど。

 

現体制ラストライブ、そして初めて見るくるり。楽しみと寂しさを抱えながらのライブはとても素敵なものでした。

 

まずくるりくるりに関しては今まで全然聴いていなくて、「ばらの花」は好きだけど他はよくわからないな、みたいな状態だった。予習もせずに臨んだんだけど、まあ最高でしたね。とてもかっこよかった。

ブレーメン」から始まった。ここでもう心を掴まれた。本当に、「うわすげぇ」って一発で。聴いたこともなかったのにね、今では大好きな曲。

これはオーケストラVerだけど。

 

「春風」「飴色の部屋」がなんかいいなって思った。「琥珀色の街、上海蟹の朝」ではゲストボーカルとしてHomecomingsの畳野さんを迎えていて、これもまたとてもよかった。「everybody feels the same」とか、もう楽しくてしょうがなかった。音が楽しいと書いて音楽、それを体現しているかのような曲たちが続いていた。

MCではHomecomingsのことが大好きなんだと語っていて、そのことがすごく嬉しかった。あと、客席に向かって「どうかHomecomingsを紅白に連れて行ってください」というようなことを言っていて、それは本当にそうなるといいなと思う。この音楽をもっと広めたいな。

そしてラスト、「Remember me」。

この選曲、くるりからHomecomingsへのメッセージでしょ。

 

続いてHomecomingsのステージ。

普段は最後に持ってこられることの多い「Songbirds」から始まって、新鮮だったしアガった。そしてそのコーラスの美しさに、石田さんの卒業の寂しさを感じていた。「Cakes」「ラプス」と近年の良曲を続けたあと、英語詞の「PAINFUL」「LIGHTS」。集大成的なというか、満遍なくこの10年の歩みを振り返るようなセットリストになっていた。どの曲も好きで、とても美しい時間だった。特に「LIGHTS」が好きです。

そして「光の庭と魚の夢」。音源ではくるりの岸田さんがストリングスで参加していた曲だったからステージでも見れるかなと思ったけど、そんなことはなかった。でもこの曲を岸田さんの前で演奏することに意味があるのだと思う。

euphoria/ユーフォリア」「Here」「Shadow Boxer」と続く。「Shadow Boxer」では照明の演出で白い横の壁に演奏するメンバーの影が映っていたのだけれど、これがとても美しかった。特にドラムの石田さんのシルエット。これがもう見られないなんて……。そして曲の最後に全員ドラムのところに集まっての畳みかけ、もうとても綺麗な空間だった。

 

そして「大好きな曲です」という紹介で始まったのが、くるりの「ハローグッバイ」のカバー。「Remember me」へのアンサーのようでもあり、でもそれはなんだか悲しい気がするから考えすぎかな。いずれにせよこの日が一つの別れの日だから、それはやはり「ハローグッバイ」なのかな。とても素晴らしい演奏でした。

そのあと、「新曲です」と言いながら披露された次の曲(「Moon Shaped」)もまた素晴らしく、Homecomingsの未来の明るさに期待を抱かずにはいられなかった。しかしその新曲でも石田さんが当然のようにドラムを叩いているものだから、辞めない未来を思い描いてしまうね。

「Corridor(to blue hour)」からの「blue hour」、そして「US/アス」で本編ラスト。とても美しかったな。終わりには石田さんがずっと泣いていたように見えた。

アンコールでは「I WANT YOU BACK」。Homecomingsの始まりの曲で、だからすごく物語を感じるし、卒業のタイミングでこの曲なのめっちゃいいなと思う。卒業してしまうけれど、いつかまた戻ってきてくれるといいなって思いも。アンコールでは舞台脇のスペースでくるりの岸田さんが見ていて、本当にこの人はHomecomingsのことが好きなんだなって思った。

 

そしてラストが「HURTS」。ステージの後ろにかけられていた布が取り払われ、KBSホールの美しいステンドグラスをバックにして演奏される「HURTS」、もう最高以外の言葉が見つからない。急遽この曲だけ撮影可にしてくれたんだけど、楽しむことを優先させたので結局撮らなかった。後悔は全くない。最後に燃え尽きた。

 

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改めて、石田さん卒業おめでとうございます。とにかく美しいドラムでした。またいつの日か。

五島での2週間の島暮らし

1月の後半から2週間ほど、五島列島福江島に滞在していた。

目的は免許を取るためで、いわゆる合宿免許ってやつ。そしてなんとか卒業し、久しぶりに島の外に帰ってきた。

教習は慣れない運転に苦労し、自分の運転センスの無さに落ち込んだりもしていたけれど、案外慣れるもので最後の方はなんとか運転できるようになっていた。第一段階(仮免許のための教習)のところでみきわめに落ちて2日延泊したものの、他は危ないながらもクリアできた。車を買う予定もないし、免許を取得してすぐに運転するかというとまあそんなことはないと思うんだけど、定期的に走らせないと体が忘れてしまうような気がするのでレンタカーを借りたりして少しはドライブするかな。

とりあえず18日間の寮生活を終えて少しホッとしている。教員の人も丁寧に教えてくれていたし、友達もできたし、楽しんでいる間にあっという間に終わった気がしているが、それでも慣れない生活にだいぶ疲れが溜まっている。京都に帰ったら少しゆっくりしようかな。

 

とりあえず五島は綺麗でいいところでした。以下綺麗な写真を載せておきます。

自動車学校の目の前の海、大浜。すごく綺麗で、教習の合間によく見にいっていた。曇り空の時でも色が綺麗だったから本当に綺麗なところなのだと思う。

大浜で潮が引いたときに現れる苔。波の形に削られた砂浜もなんだか面白い

曇り空が広がることが多かったけれど、雲の隙間から天使の梯子が見えることもよくあった

自動車学校から1キロくらいのところにひっそりと、とても雄大に広がっていた菜の花畑。
友達に教えてもらったこの場所は隠れた名所だと思う

雪が降った日。五島では色々なところで椿が咲いていて、春なのかなと思っていたけれど、でも確かにまだ冬なのだと知らされた日でもあった

鬼岳からの景色。これは昼間だけど、夜に鬼岳まで教習で車で来たときの夜空はとても綺麗だった。降ってくるかと思うくらい、星がたくさんあった。写真に残せなくて残念

堂崎の海と、堂崎教会。日曜は教習所が休みだったので、自転車を借りて観光していた

高浜海水浴場。有名なところ。1枚目と2枚目はほぼ同じ場所からの眺め(2時間差)で、
潮の満ち引きがわかる。3枚目はなんかいい感じに水鏡ができたのでお気に入り

 

福江島をサイクリングしていて出会った、色々な海。どこもかしこも綺麗で困ってしまう。なんで五島の海はこんなにも綺麗なのだろうか

辞本涯という、三井楽半島の北端に位置するところからの海。他の海と違い荒々しく、動的な美しさに感動していた。この感動は写真では伝えきれないから是非行ってみてほしい

大瀬崎にも行きたかったのだけれど遠すぎて断念したし、他の島にも結局行けず仕舞い。まだまだ五島で回りたいところがたくさんあるので多分また来ると思います。その時はレンタカーを借りて、かな。

家主「石のような自由」

去年の暮れにリリースされた家主の新譜「石のような自由」。これがとても良い。

 

家主 - 石のような自由

各配信サイトで配信されているので是非。CD版は3/6発売とのことです。

 

全11曲で、なんというか全体的にいい意味での開き直りが表現されている。家主の以前の曲で言えば、「オープンカー」での「僕たちの金なんだ どう使っても構わないだろう」みたいな。誰からどう言われようとこれが家主なんだ、っていうのを感じている。あとその開き直りは孤独でいることの開き直りでもあるような感じがあって、「ひとり」でいることを歌っているアルバムであるような気がしている。

 

1.「SHOZEN」

「悄然」という感情を歌っていて、それはこのアルバムを通してのテーマなのかもしれないななんて。「僕は僕を責めるのやめよう」「僕が蒔いた絶望の種が 希望という名の花をつけるかもしれないし」なんて歌うのに、「悄然」という気持ちを別に解消しようとするわけではない、という言葉の使い方が好きですね。

 

2.「きかいにおまかせ」

「時間通りに起きるのがツラくなってきたんだ」から始まって、「今はなんだかそんな日々の渦の中で なんとなく平泳ぎ」ってフレーズが好き。なんとなく平泳ぎ。

 

3.「庭と雨」

イントロのギターフレーズから好きです。なんかかっこいいねこの曲。間奏とかでもかっこいい。

 

4.「歩き方から」

なんかめっちゃ暗めの曲。「今持つべきものは自信で」と言い聞かせる曲で、そのフレーズが繰り返されるだけにその根深さを感じ取れるというか。「器用に不器用やるクセがほら とっくにバレているのに」というような言葉がたまらないですね。こういう言葉を身体から生み出していきたいなと思ったりする。

 

5.「部会」

「例えば僕らが意味のない生き物だとしても 関係ない 関係ないのさ」「例えばあなたが僕らを遠ざけても 気にしない 気にしないのさ」

ノスタルジックな響きの中で、開き直って生きていく歌。私にはどうも意味を追い求めてしまう癖があるし、誰かの目もどこか気になってしまう部分があるけれど、そんなものを笑い飛ばしてしまえるような感じがして、すごく好きです。笑い飛ばすというよりは、どこ吹く風というべきかな。もっと俗世から離れていて達観しているような曲に聴こえるが、それは諦観なのかもしれない。

 

6.「ひとりとひとり」

3年前に発表されていた曲。そして私が家主を知って、好きになった曲でもある。

「自分の弱さを他人に見せられたら 自分の力をテラわず歩けるか」「人はいつでもどこにいても ひとりとひとりが集まっているだけだろ? へい、気にしないでくれ へい、俺は楽しんでるよ 気にしないでくれ 風に葉が揺れているよ」

会社への道でよくこの曲を口ずさんでいた。自分の弱さを認められるようになったのはこの曲のおかげでもあると思っている。間奏も含めて全てが好き。

「部会」と同じく、やはり諦観からの開き直りというか、他の誰の物差しでもない自分の物差しで生きていこうとするようなイメージがある。他人から理解され得ないとなった時に、踏み潰していくぞという感じではなく、まあいいやって感じで。

 

7.「オープンエンド」

王道感がある。「Where do I wanna go?  Do I want ?」と問いかけながら我々は生きている。本当にやりたいこと、本当に行きたい場所、歩みたい人生。そういったものへの渇望というか、叫びが伝わってくるような気がして、すごく好き。

 

8.「耐えることに慣れ過ぎている!」

「ここを離れて向かう場所はあるのかい?まぶたを閉じて深く息を吸うことしか」あたりの音がすごく好き。あと間奏。

 

9.「free as a stone」

始まりのコーラスから心を掴まれる。「オープンエンド」では「意味はまだあるさ」と希望を見出していたけれど、そこからの答えとして「僕には何が出来るのだろうか 僕には何が見えるのだろうか 下らない毎日があるだけだろ」「僕を自由にしたいよ やるべきことなど、生きる理由のひとつ見つからなくても」と。あと「下らない毎日」から始まって「下ることのない日々があるだけ」と結ぶの、言葉遊びのようだけれどいいですね。

 

10.「Dreamy」

結構前に発表されてた曲の新録。心地よい響きの曲で、結構好き。

 

11.「今日はひとりでいようね」

締めの曲というべき感じで、孤独というか、結局「ひとり」なんだというこのアルバムに通底するものを体現している。「誰とも会わない記録を伸ばす」というフレーズが好きです。最後、「クズばかりが報われる世の中でも僕は君を信じているよ!」と歌った直後に「今日はひとりでいようね」で終わるのがなんかひねくれ感あっていい。

 

以上11曲。もっと音楽的なことを語れるとこのアルバムの良さをちゃんと伝えられるような気がするんだけど、私には素養がなさすぎて辛い。でもとにかくいいです。「ひとり」でいることを肯定してくれるこの曲たちが私は好きで、多分ずっと聴き続けると思う。2021年発表のアルバム「DOOM」も素晴らしかったけど、その上をいったと思う。今年はツアーに何回か参戦できると思うし、今からそれが楽しみで仕方ない。本当にいい音楽を作るんですよね。家主にはブレイクして欲しいような気持ちもあるし、今のまま「草野球」(本人たちがインタビューで言っていた)を続けて欲しいような気持ちもあるが、とにかく変わらずいい音楽を作り奏でていって欲しいな。

最近のこと

最近は書くことといえば何らかの出来事について書くことが多くて、思考を書き残しておけていないような気がしている。その方が書きやすいというか、あまり自分の感情を揺さぶることなく書けてしまうからついそちらに流れてしまう。

今は働いているわけでもなく、試験前で追い込まれるでもなく、そんなに精神的に大変なこともないから内面的なことを書く必要性がそもそもないのかもしれない。

私がここで内面的なことを書いているときは、大抵自己治療のために書いている。フォーカシング的な、あるいはカタルシスのような役割を書くことに持たせている。でもその治療を今は必要としていない。それは多分幸せなことで、それでいいのだと思う。そんな自分になってしまっていることには少し寂しさを覚えるのだけれどね。もっと不幸であれ、苦しめ、その方が色々考えて自分というものを深く見つめられるようになる、いい文章も書けるようになる、なんて考えてしまうのは不健全極まりない態度で、だからそれを肯定することはないのだけれど、否定もできない。ただ、今がその時ではないというだけ。きっとそのうちにそういうタイミングがやってくるから、その時に考えればいいし、書けばいいのだと思う。

 

1月ってこんなに寒かったんだな、と思う日々が続いている。新宮に行った日なんかは16℃とかあったからもう春のような気持ちでいたのだけれど、今はもう冬。風の冷たさに顔を顰めながら、でもこの冷たさを楽しみたいなとも思う。

夕暮れ時に空が綺麗だったから、なんとなくずっと眺めていたくて、西日を追って自転車を走らせた。浮かんでいたのは2日目の月で、最終出社から1ヶ月が経ったことを知る。もう働かなくなってからそんなに経ったということをいまだに信じられずにいる。

その前の週には手続きのために会社に行った。とても久しぶりに会う人たち。少し気まずい気持ちを抱えながら、すれ違う人に「お疲れ様です」と挨拶をしたら「こんにちは」と返され、ああもうここは私の居場所ではないんだな、と寂しさを強く感じた。そういうものなんだろうな。仲良い人たちと少し喋ったりした後、後輩たちと一緒に昼飯を食べに行った。あの頃の日々が少し戻ってきたような、それでいてもう戻れないことを強く感じるような、そんな時間だった。

何人かの人からは、今日ちょうどあなたのことを考えていた、なんて言われ(行くことは別に伝えていなかった)、みんなの心の中に私が残っているならそれはとても嬉しいことだなと思った。怖い、って返しちゃったけど、嬉しかったんだよ。

 

 

引越し先の家を決めた。来月には京都を離れる。10年間住んだ京都、そこからの離別が私にとってどんなものなのかは今はまだ想像がつかない。新幹線を京都駅で降りるとか、京阪を中書島で降りるとか、そういう体に染みついた感覚を引き離すことに多分痛みを感じるような気がしている。京都駅で降りない、という痛み。

鴨川や宇治川の景色、聳え立つ京都タワー、なんでもないような風景、お気に入りの店、お気に入りの寺、そういった京都のいろいろな要素が私を構成している。10年という年月は長く、その分だけ深く刻み込まれてしまったのだろう。きっと忘れられないし、忘れる必要もない。それでも私はここを離れる。

青春というには程遠いような曇り空が広がっていた10年ではあったけれど、それでも京都は青春の街だったんだと思う。子供から大人になるモラトリアムを過ごした街で、モラトリアムを許容し続ける街でもあった。

私はこの街にモラトリアムを置いていきたい。覚悟を持って新しい道に踏み出す、そのために私はここを離れるんだ。そういう意味を持たせることで、私はもう一歩だけ踏み込めるようになる。そしてまたいつか戻ってくればいい。

 

やっぱり心への踏み込みが足りないな。もっと孤独に自分の心と向き合う時間を作らなきゃ、納得のいくことが書けない。幸い時間はある。3月までの間にもう少し沈み込んでおきたいな。

紀伊半島一周の旅

1/6~7で、18きっぷを使って紀伊半島一周してきました。

 

1/4。

そろそろ旅したいな、と思っていた。この日は飲み会が京橋であり、待ち合わせの少し前に着いた私はふらっと金券ショップに寄った。するとそこには18きっぷが1枚だけ、2日分残っているやつがあった。6000円はまあ妥当かな、と思って即購入した。支払いをしている間に後ろからおっちゃんが「18きっぷある?」って尋ねていたから、本当にタイミングがギリだった。

 

別にどこに行くかを決めていたわけではなかった。温泉に入りたいな、というのが一番大きくて、それで下呂温泉と迷った末に紀伊半島に行くことに決めた。白浜温泉とか、まあその辺に入れればいいかなって。

 

1/6。

旅立ちの日はあまり眠れないことが多くて、この日も結局徹夜をしてしまった。まだ暗い朝5時半に家を出て、奈良線で木津、関西本線で加茂経由亀山、そこから紀勢本線で新宮へ。つまり三重県側からです。

夜明け前の木津駅。いい色をしている

新宮に着いたのは13時20分とかで、家を出てから8時間。いくらなんでも長すぎるし、遠すぎる。列車内ではほとんど寝ていたと思う。あと朝飯を食べていなかったので、途中の紀伊長島での30分停車の際にスーパーに寄り、おにぎりを1つ買って食べた。

新宮到着後、何も考えていなかったのでとりあえずバスセンターに寄ってバスの時間を確認すると、すぐに熊野本宮大社前行きが出るという。急いで飛び乗り、1時間ほど揺られて本宮へ。

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参拝したのち、渡瀬温泉に入りたかったのでバスで少し戻ることに。途中、請川柿というバス停で降りて、そこから熊野川大塔川沿いを4キロほど歩いて向かった。そのまま渡瀬温泉まで乗っても良かったんだけど、5年前に来た時にこの川の美しさに感動したのを思い出したから、歩くことにした。

熊野川。バスからはもっと綺麗な色の川面も見られる

大塔川。5年前に感動した色、でも日が翳り始めていて輝きが弱かった……

途中、川湯温泉を通る。この時期は仙人風呂と言って川の中に温泉ができていて、川の水と沸いている温泉を混ぜ合わせることでちょうどいい湯加減にすることができる。5年前は入ったのだけれど、今回は水着を持ってきていなかったので泣く泣く断念した。

そして渡瀬温泉に入り、露天風呂でさっぱりした後はバスで新宮に戻り、紀勢本線にちょっと乗って紀伊勝浦で宿泊。

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これは晩御飯のまぐろ定食1650円。三浦で食べたのより美味しかった。

 

1/7。

翌朝は6時前に宿を出た。日の出を綺麗なところで見たくて色々調べた結果、那智の浜がいいんじゃないかと思い、40分ほど歩いて向かった。途中、空の色がどんどん変わっていっていて、もっと早く出れば良かったなと少し後悔していた。でも読みは当たり、最高の日の出を見れたので良かった。とりあえずいい感じに撮れたやつを並べておきます。マジックアワー。

日の出を見届けたのちは那智駅から紀勢本線に乗り、白浜へ。

白浜は1年ちょっと前に来ていて、とても良かったのを覚えている。

今回は白良浜を散策し、崎の湯で絶景露天風呂に入り、とれとれの湯で再度温泉に浸かって帰るという、本当に少しだけの滞在だったけど、変わらず良かったな。この日は風が強く、崎の湯の脱衣所がもう寒くて寒くてしょうがなかった。温泉入っていても寒さを感じるくらい。でも不思議とあまり湯冷めはしなかった。

白良浜。この写真には写っていないけど、なんか柵っぽいものがたくさん植えられていた。

白浜を出たのは12時で、そこから紀勢本線で和歌山、阪和線天王寺環状線で京橋まで行ったのが17時ごろだったか。御坊で途中下車し、地元のスーパーでみかんをたくさん買った。ついでに学門駅の入場券でも買おうかと思っていたが、少し遠かったので断念。まあもう入学決まっているしええか、って。

 

紀伊半島は広すぎて、1泊2日の旅程の大体は移動に費やされていた。長すぎて疲れたしもうやらないとは思うが、変わらず良かったのでまた来たいなとも思ってしまう。多分今度来るときは特急か、飛行機かな。