思い出の向こう側

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帰れない一人

帰りたいという思いをずっと抱いて生きている。

朝の通勤中はもちろん、仕事をしている時もずっと、片隅には帰りたいという思いがある。なんなら朝起きた瞬間から帰りたい。家にいる時だって帰りたい。布団に寝転がっている今でさえ、帰りたい気持ちがある。

 

私が帰る場所はどこなんだろう。どこに帰りたいんだろう。

実家かな?帰りたい場所であることは確かだ。でも、何かが違うような気がしている。帰ったら落ち着くし、居心地もいいし、ホッとするけれど、心の底からの帰りたいという欲求を満たしてくれているわけではないというか。かといって他に帰りたい場所が思い浮かぶでもないのだけれど。

 

居場所、なのかなと思ったりもする。自分という存在の全てを受け入れてくれる場所を欲しているのかもしれない。それは家族という場所でも満たしてくれるのだろうけれど、家族という存在はどうも近すぎて、強がったりしてしまう。なかなか心を全開放するのが難しい。このブログだって家族には一番読まれたくないし。そういうものだよね。

そういう居場所を家族以外に求めるなら、心を預けられる誰かを見つけなきゃいけないんだろうけど、それができないからずっと帰りたい気持ちだけが強くなっていく。帰りたいのに帰る場所はなく、ただ彷徨うだけ。故郷を探し続けている。

どこかにあるだろう故郷に帰りたいのかな、と考えていた時もあった。でも多分、どの土地に行ったって一緒で、結局は人なんだろうな。心を預けられる人。だから幻想の中の故郷を追い求めるのはもうあまりしないかもしれない。

 

ずっと1人だった。

1人で生きている、なんてのは思い上がりで、周りにいる人のことも見えていないただただ自己中心的な価値観でしかないから、そうは言わない。周りの人に助けられて私は生きている。私1人では生きていくことなんてできないし、周りの人の愛がなかったら生き続けられるわけもない。1人じゃないことくらい理解しているつもりだ。

だけど、ずっと1人だった。「孤独」という言葉で表してもいいのかもしれないけれど、感覚としては「1人」の方が合う気がしている。

1人でいることは嫌いではない。むしろ好きなんだと思う。だから1人でいた。1人でいることに慣れてしまった。

 

心の奥底まで私を知っている人なんているわけがない、という達観に似た諦めが存在する。開き直りと言ってもいい。どうせわかるわけはないのだから、理解を追い求めるのはやめようって。

誰にも知られない私だけの場所。そこに1人でいることが好きだ。独占欲に似たものがある。誰にも知られたくない。だからあまり心を開きたくないんでしょうね。

 

1人でいたいという思いと、帰りたいという思いは相反するものだ。

今のまま1人でいるならば帰る場所は多分ないままだ。1人でいることの心地よさと引き換えに、私は満たされない寂しさを抱えてしまった。

いつになったら帰れるのかな。