思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

いまのわたし

一つの記事として書くほどではないけれど……くらいの、取り留めのないものたち。最近はまとまりを欠くことが多くて、それは私自身に少しどこか混乱があるのかもしれない。いずれにせよそれが今の私なので、そのままにして出しておきます。

 


 

夏の空が好き。

f:id:GoodNightAngel:20240730172602j:image

空は季節によって顔を変える。夏の空は、どこか輪郭がくっきりとしていて潔くて、私はその潔さが好き。力強さに圧倒されるような感覚も(その半分くらいは日差しと暑さのせいだと思うけれど)あって、その堂々とした姿に心を奪われていく。動的な美しさみたいなものを感じますね。入道雲とか。

 

秋になると、空は遠くにいく感じがする。「天高く馬肥ゆる秋」という言葉があるけれど、それは本当にその通りだと思う。夏のような力強さではなく、寂しさがあり、これもまた好きです。夏から秋に変わったことに気づくとき、それは金木犀の香りや、あるいは空が遠くなったことだったりするのです。

 

冬の空はどうだろう?今は思い出せない。冬に何を思って空を見上げていたのかを。

春は?これもまた思い出せない。なぜか秋だけは思い出せる。私の心に強く残るのは秋と夏だけなのかもしれない。

 

雲が流れていくのを見るのが好き。ふと空を見上げた時、そこにある雲はでんと居座って動かないように見えてしまうけれど、じっと眺めているとそのうちに動きが見えてきて、すごくダイナミックな感覚が呼び起こされていく。あの瞬間が好きです。だんだんと自分がその動きの中に取り込まれていって、地球と一体化するような、その流れていく時間が共有されるような感覚が好きです。私の頬を撫でる風と、雲を押し流している風が一致しているような、雲と一緒になって流されていくような、そんな感覚。そういうことを本当はずっとしていたい。

 


 

海が好き。あるいは、川が好き。

私は水の近くにいないと落ち着かないみたいで、私の心はずっとそれを求めている。京都では川が近くにあったし、香川には(それほど近くではないとはいえ)海がある。心に何かがあったとき、大抵私は海か川に救われている。

不思議なことに、故郷の東京小平にはそのような水がなく、せいぜい玉川上水があったくらい。それもほとんど水は流れていなかったんじゃないかな。そういう意味では、海や川に行くのは郷愁からではなく、別の何かがあるのだと思う。

 

海、あるいは川。そこにあるのは透明感なのかなと思う。私は癖のように、透明感のあるものを渇望している。私はいつだって渇いていて、私を潤してくれるものを常に求めているのかもしれない。満たされない何かがあるっていつでも思っているのだけれど、それはそういうものかもしれないですね。

 

思い返してみれば、中学生の頃、最初に好きになったアーティストはZARD岡村孝子だった。どちらも澄んだ綺麗な歌声に惹かれ、繰り返しずっと聴いていた。透明感への執着のようなものはおそらくこの辺りから始まったのだと思う。あるいはもっと前に遡ってみれば何かがあるのかもしれないけれど、今となっては何もわからない。

 

透明なものにはどこか壊れやすさ、脆さみたいなイメージを抱いてしまうのだけれど、それはZARDのイメージから来ている。出会った時にはもうすでに亡くなられていたので、ZARDにはそういうfragileなイメージだけでなく、相反するようだけど加えて永遠性を感じてしまう。だからなんだと言われるとわからないのだけど、透明なものに対して私はその両面を感じ取ってしまっているような気もします。それが故にこんなにも渇望してしまうのかな。

 

それから、世界がもっと透明であればいいのにな、なんてことを思ったりもします。大人と呼ばれる年齢になった今では、清濁併せ呑むことの意味もわかるし、そこに濁りが必要なこともわかる。水清ければ魚棲まずということも、なんとなくわかっているつもり。とはいえもっと透明であれば生きやすいのになという思いはやはりどこかに残っていて。透明な人が透明なまま生きていられる世の中であったらいいのにな、なんてことをよく思う。疲れちまったよ。あの、別に私が透明であるということではないんですが。

 


 

焦り。じりじりと心が内側から焦がされていく。どうすればいい?頑張る。それだけ。でもまた私は逃げ出したくなっている。全てを捨ててしまいたい。そんなことをずっと繰り返している。自分の出来ていなさ、進まなさ、駄目さ、色々なものが胸を締め付けてくる。それを埋めるための努力を出来ていないことも。

 

一年前から何も変わっていない。わたしはいま、何をしているのだろう。

 


 

最近はきのこ帝国をまた聴くようになった。いろいろなところに行きつつ、結局いつものところへと戻ってくる感じ。

アルバムで言えば『フェイクワールドワンダーランド』『猫とアレルギー』『タイム・ラプス』あたりを聴いていることが以前は多かったんだけど、最近は『eureka』や『渦になる』『ロンググッドバイ』あたりの初期のものを聴くことが増えた。なんかどんどん暗闇へと向かっている気がする。抱えきれないなにかが溢れ出してきているような、そんな感覚がある。それを止めるために海や空を眺めているのかもしれないですね。

結局いつまでも色褪せず、『海と花束』に救われ続けています。