思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

記憶

私には幼い頃の記憶があまりない。

 

親が撮ってくれていたビデオや写真は沢山残っている。

だけどそれは記録であって、記憶ではない。

記録を見てこんなことがあったんだというのを何回も認識するうちに、それがあたかもずっと覚えていた記憶であるかのように刷り込まれていく。それは記録からだけじゃなくて、親や周りの人たちからの伝聞も含まれる。

それらは多分事実ではあるし、それがあったということを今は”知っている”状態ではある。

でも”覚えていた”わけじゃない。だけど全く覚えていなかったわけでもないだろう。引き出しの中に微かに残っていたりするものなんだ。

どこまでを”覚えている”と言っていいかの判断は難しい。

 

誰かから語られた事もなく記録を通じて知ることもない、自分だけが覚えている事や風景。それらは何かしらの感情を伴ったものとして想起されることが多いのだけど、多分記憶と言っていいんじゃないかという気がしている。

 

そうやって記憶を辿っていくとき、私が今思い出せる一番昔のことは6歳の頃のことになる。保育園を卒業して小学校に入学するちょっと前の3月、保育園からの帰りの車で見た季節外れの雪景色と、その車中で漢字が読めたことを褒められたこと。もしかしたら4月かもしれないし、5歳の時かもしれない。だけどその光景だけは朧げながらちゃんと残っている。

これが私の中の最古の記憶。

 

それ以上前のことは本当に何も思い出せない。記録で見てはいるのに、それが感情を伴った記憶として全く想起されない。

母方の祖父が亡くなったのも6歳ごろだった。だけど色々な場所に連れて行ってもらったり一緒に遊んだりしていたはずの記憶が、悲しいことに全然ない。楽しかったはずなのに。もっと一緒に居たかったとか、大人になった今もっと色々なことを話したかったとかをこのごろは思ったりする。でも覚えていないんだ、どんな人だったかも。何をしてもらったかも。何を話したかも。

 

今これを書いていて思い出した、5歳ごろの記憶。両家の祖父母も合わせて家族で伊豆に行った正月、その帰り。スーパービュー踊り子新宿駅に降り立つときに隙間からホームの下に落ちた。幸い終点だったから大丈夫だったけど、怖かったような気がする。いや怖くなかったかもしれない。曖昧だ。もしかしたらこれも伝聞で補強されたものかもしれない。でも覚えていたような気がする。

ホームと電車の隙間に落ちた(落ちかけた)のは他にも数回あったような気がする。小4くらいの時に一回中央線に乗り込もうとして落ちかけたのが最後。これは覚えている。

 

小学校の頃のことや中高の頃のことは、断片的に記憶がある。恥ずかしさや罪悪感が伴うものが圧倒的に多い気がする。多分思い出しては悔いたりする時間が長かったから、記憶として定着したんだろうな。楽しかったこともいっぱいあったし、もちろんその中で覚えていることもたくさんある。だけどやっぱり負の方が強く想起される。そういうものなのかもしれない。

 

大学に入ってからTwitterを始めた。最初は情報収集が目的だったけど、そのうち日記がわりになっていった。覚えていたいけど、忘れないでいたいけど、色々なものを忘れていっちゃうから。それが怖くて、過去の自分が何をして何を思い何に感動していたのかを振り返れるようにと、毎日のように沢山呟いていった。

もう6年分くらいあるので結構振り返られるようになった。役立ったことも多い。

 

だけど悲しいかな、それはあくまで記録だ。記憶ではない。

何をしていたか、どんな感情が渦巻いていたかを、文字で、あるいはその時撮った写真で思い起こすことはできる。

だけど記憶として蘇ってくれはしない。その時確かに感じていた匂いや彩り、感情、鼓動、肌触り。全てが色褪せて、動きを伴ったものではなくて、断片的なエピソードでしかなくなる。画像としてイメージもできない。ただ、こういう事実があってこんなことを思いましたというのが残ってるだけ。それがあったことを知っているだけだ。映像や写真のように鮮明に記憶を保持できる人が羨ましくもある。私にはその能力がない。あやふやなものしか残らない。

 

それがとても悲しい。忘れちゃいたいことも、忘れたくなかったことも、大切なことも、全て失っていくような感じがしている。ずっと抱きしめていたかったものが、抱きしめていたはずなのにいつの間にか腕からすり抜けていく。

虚しさがある。どうせ覚えていられないんだ。忘れてしまうんだ。大切なのに。言葉にして残しても、写真で残しても、動画で残しても意味がない。記録としては価値があるけれど、記憶の助けにはちっともなってくれない。一瞬で色褪せていく。覚えている気になるだけだ。

何をしていても、この瞬間を絶対に忘れたくないと思っても、忘れてしまうんだろうなと諦めてしまう自分がいる。こんなに鮮やかなのに。

 

このブログも自分の中の思い出や感情をできるだけ残しておきたいと思って始めた。残すことに意味はあるけれど、やっぱり記憶の助けにはなってくれない。だってこの記事を書き始めた時の感情ですらもう覚えていない。書きたいから書こうとしたんだろうな、それだけだ。

 

ブログタイトル「思い出の向こう側」は本当になんとなくで決めた。「君が思い出になる前に」と「さよならの向う側」を掛け合わせたような気がする。

フィーリングで決めたものに意味を見出そうとするのはナンセンスだけど、思い出を超えて向こう側を見たい、記憶のさらに先に行きたい、色褪せた記憶を超越して色鮮やかな世界に行きたい。そんな感覚がある。だからなんとなく気に入っている。

 

 

人は忘れる生き物だ。それは変えられない。そして思い出として残しておくことにも限界がある。ポロポロと失っていく。

だから私は「今」を生きたいと思うようになった。思い出として残すことなど意識せずに、未来のことも意識せずに、ただ眼の前にあることに対して一生懸命に楽しみ、苦しみ、笑い、泣く。そこに渦巻く感情や身体感覚に身を任せる。

過去も未来も私にとっては見えないのだから。今眼の前に広がる鮮やかなものが一番尊いのだから。それが思い出になってしまう前に全てを抱きしめておきたい。すぐに失ってしまうとしても、失う悲しさも含めて尊いのだから。見失わずにいたい。「今」のかけがえのなさをようやくわかるようになってきたのかもしれない。

 

今生きている自分を大切にね。

 

 人間は忘れることを許されている、忘れる・忘れられるから人間でいられるんだというようなことを昔どこかで読んだ。忘れられることは人間の特権なんだ、と。人間に与えられた最大の能力は忘れること、だったかもしれない。

その言葉の細部も、どこで読んだか、あるいは誰から聴いたのかも忘れてしまった。

だけどずっと心の中に残っている。

そのことをこの記事を書き終えてから思い出したのでここに書いておきます。

 

(追記)この言葉、”死の恐怖を忘れて生きられることが人間の最大の能力”みたいな話だったような気もする。ちょっと記憶がごちゃ混ぜになっている。何回か調べてもみたけど細部がわからないので辿りつけていない。なので全くの出鱈目な言葉かもしれないけど、ありそうな言葉だし、実際両方あったような気がするのでまあいいか。わかる人がいたら教えて欲しい。多分めっちゃ古典的な文学じゃなかったかなぁという気がしているんだけど、これですら怪しい。ダンテの『神曲』のような気がしたけど見つからなかったので多分違う。