頑張るってなんだろう。
優しさってなんだろう。
大人ってなんだろう。
正しさってなんだろう。
まともってなんだろう。
強さってなんだろう。
愛ってなんだろう。
幸せってなんだろう。
頑張って、優しくて、いつか大人になっていって、正しくて、まともで、強くて、愛し愛されて、幸せで ーーー 生きていく上で当たり前のように求められること。周りから求められ、そして自分でもそうありたいと願う。
でもふと考えるとそれらの言葉はなんだかわからなくなる。定義されてるの?って。考えれば考えるほど言葉は曖昧で形がなくなっていく。多分人によって形が違う。一体何が正しいのだろう。
感じ方は人それぞれで、誰かとそれを完全に共有はできないのだろう。だから自分の中の感覚、それ以外で定義できないような気がする。言葉にしたって無駄だろうか。その感覚を言葉では捉えきれない。
それなら私は出来るだけそれらの言葉から解放されたい。無意識のうちに縛り付けられているけれど、そんな曖昧なものに縛り付けられる理由が果たしてあるのだろうか。形のないものの影に怯えて生きる義務は果たしてあるのだろうか。
しかし私はこうも思うのだ。たとえそれが結局曖昧でよくわからないものだとしても、その自分の中の形を明らかにしていくーー自分なりの言葉として探し続けること、それが生きる上で大事なんじゃないかって。
わからないことが結論だとわかっててもわかろうとする姿勢はきっと尊い。
生きる意味もきっとそう。いつしか意味を追い求めてしまって、生きる理由なんてないんじゃないかなんて思ってしまうけど。生きることに意味なんてないと誰かが言う。いろんな人が言ってて、私もそう思ってしまう。そこに意味がないのにそれでも生きるの?
でもね、意味がないものだとしても意味を求め続けることーーそれこそが生きる意味だなんて考えちゃいけないのかな?
意味なんてないと悟るにはまだ早いよ。そこに意味があるって騙されて生きてみたらいいんだ。
騙されてみること。それは自分を信じてみることでもあるんだ。
騙されないように疑い深く生きてきたかもしれない。でも騙されても大丈夫だよ。自分を信じてみたらきっとなにかがそこにあるだろう。