桜は散るから美しい。散っていくのが美しい。これは古くから言われていることである。
私も古来からの伝統に漏れず、散っていくのを見るのが好きだ。
もちろん満開の桜はとても美しい。だけど、その満開の桜が風に揺られ、耐えきれずに舞っていく花びらはさらに美しい。桜ほど風が似合う花もあまりないだろうと思う。花吹雪という言葉は桜のためにある。
散りゆく美しさ。終わりの切ない美しさ。
春は出会いと別れの季節だというけれど、桜を見ていると別れの季節だと思えてしまう。なんでだろう。すぐに散ってしまうからかな。出会い、始まりを感じるにはあまりにも呆気なく桜の季節は終わってしまう。
だけど、よく考えてみれば不思議だ。桜という植物からすれば、花びらが散ることはなんら終わりを意味しない。むしろ始まりである。なのに我々はいつだって終わりを連想する。
でもそれが春という季節なんだろう。別れが来て、そして始まりも同時にやってくる。もうあと10日もすれば、我々はそこに花が咲いていたことなど忘れてしまう。そこにある新緑の青々しさだけが残ることだろう。
だからこそ我々は春を、そして桜を愛するのだろう。終わりの切なさや寂しさと同時に始まりの喜びを。
これは昨日の吉野の桜。花吹雪は撮るのが難しいね。美しかった。