思い出の向こう側

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眠れないこと

眠いのに、あまりにも眠れなくてもう3時。なんでこんなことになってしまっているんだろう。

明日も朝から授業がある。もうこの時点でまともに受けられる気がしないでいる。今週はずっとこんな感じで眠れなくて、寝不足だし体調も悪いしで散々だった。だから明日はちゃんとした体調で行きたかったのに、心と体は言うことを聞いてくれなかった。色々なものが崩れていってしまっているような、歯車が噛み合わなくなってしまったような、それでいてどこがズレているのかが分からないような。どうすればいいんだろう。うまくいっていた時のことをもう忘れてしまった。私はずっとこんな感じで、噛み合わないのがデフォなような気がしてくる。

思い返せば、おそらく高校生の頃、10年以上前からこんな感じの人生だった。あの頃、体調がすごく良くて元気、なんて日は数えるほどしかなかった。だいたいいつもどこかしらが悪かった。細かいことなんてもはや何も覚えていないが、確かにその感覚はずっと持っていて、ある種の諦めと共にそれを受け入れていたことを覚えている。もしかしたらその頃は、そういう気だるさのようなものをかっこいいものとして認識していたのかもしれないし、だからそのことで悩んだりはあまりしていなかったような気がしている。

が、社会人になって(今はまた学生に戻っているが)、こういう慢性的な体調の悪さがのしかかってくるようになった。休むということが今までと比べて重たくなったというか、休みづらいというか。走り続けなければいけないというような、強迫的な感覚を抱いていて、それがまた自分を苦しめ、余計に悪化させていく。本当は少しくらい休んだっていいのに、体調の悪さを受け入れたっていいのに。どうしたらこの魂は救われるんだろう。

 

振り返ると、眠れないという話を去年もこの時期に書いていた。

本当にほぼ一年前で笑ってしまうが、ということは季節性のものなのかもしれないね。

多分去年の方がしんどかったんじゃないかな。この時私は、本当は眠りたくないなんて書いていた。今の私はどうなんだろう。眠りたくないんだろうか。問いかける。

どう考えても今は眠りたがっているような気がする。なのに眠れないのはどうしてなんだろう。本当に不思議。

去年との違いは、眠れない原因の違いで。去年は不安から。今は、多分自分が揺さぶられたことへの怖さから。そう、去年は多分自分という軸がある程度固まっていた。院試という明確な目標があり、未来へ向かって頑張る、その中での不安だった。今はもうズタボロ。なんだかよく分からなくなってしまっている。何を目指すのか、何がしたいのか、何ができるのか。

周りの人たちは私よりも若いのにもっとちゃんと考えていて、目指すものをちゃんと見据えて生きているような気がしている。翻って私はというと、本当に何も考えていない。別にそれがいいとか悪いとか単純に決められるものではないと思いつつ、そこにバツの悪さやら不安やらを覚えてしまう。将来への軸がないことによる揺らぎと、授業内での揺さぶられが共振的に働き、こんなことになってしまったのかなと思う。

しんどいね。でも、揺らぎも揺さぶられも、どちらも否定したくないというか、それがあっての私だしそれを押さえつけたいとも思えない。揺らぐこと、揺蕩うことは私の一つのアイデンティティになっているようでもあるし(ここまでの人生でどれだけ揺らいできたことか)、揺さぶられることも自分を知るために必要なことで、それを求めて今私は勉強しているのだから。このしんどさの先に何かが見つかると信じて、少しこのしんどさをしんどさのまま抱えてみたいなとも思う。無理のない範囲で、少しこの無理さを味わえたらきっと何かの糧になるんじゃないかな。

そうやって自分に言い聞かせて、もう4時。少しだけ楽になったような、あまり変わっていないようなこの感覚も、きっと大事なもの。眠れない自分も受け入れつつ、現実的には授業をちゃんと受けるために少し眠ってみようと思います。