思い出の向こう側

好きなものや思い出について書いたりしています

夢の中へ

8/9

吉祥寺へ。Hommヨのアルバム『coldfinger』を買いたくて、「ライカ」が入っているやつ。Apple MusicにはHommヨがないんですよね、なのでCDを。

とりあえずdisk unionに行って探したけれど見つからず、その足でココナッツディスクに向かう。初めて訪れたけど、なんかすごく好みと合う感じのレコード屋だった。家主、ラッキーオールドサン、わがつまあたりのNEW FOLK勢の棚があったり、その横にはHomecomingsが置いてあったり。でも探しているものはなかった。

そのあともHMVに行ったりRAREに行ったりしたけど、そもそもHommヨを見つけることすらできなかった。最後にBOOKOFFでようやくHommヨのアルバムに出会えた。それは欲しかった『coldfinger』ではないけれど、まあいいか、ここで出会ったのも何かの縁だしと思って買うことにした。まだ聴いていない。でもそのうち聴く。

 

こうやって、あるかどうかもわからないものをフラフラと探しに行くのが好き。多分通販とかで探せばもっと簡単に手に入るのだろうけど、それじゃ面白くないじゃないですか。

それは旅に出る時も同じで、私は事前に行きたいところを調べて行くよりは、フラフラと歩いて(あるいは自転車を漕いで)何かを探すことが好き。結局調べて行った場合と同じ場所ばかり巡ることになったとしても、そっちの方が私には合う。

私は多分、偶然性を大事にしている。タイパが声高に叫ばれ市民権を持ちつつある世の中ではあるけれど、タイパって突き詰めると偶然性の排除というか、失敗とか徒労とか無駄とかそういうものを許さない感じで、その行き着く先は必然性になるんじゃないかと思っている。必然なこと、わかりきった結果が出ることだけしか許容されないなら、人生はもの凄くつまらなくなりませんか。

私がこの日やったことは、吉祥寺まで出向いてフラフラと歩いた挙句、欲しいものに出会えなかった、ということだけになる。タイパの観点で言えばネットで10分で探して購入してそのうち届くっていうことの方がはるかに価値を持つのだろうけど、私はそうは思えない。あのフラフラしていた時間に私は大きな価値を見出している。それがどんな価値なのか、正面切って問われると答えに詰まってしまうのだけど、まあ開き直って答えるなら「楽しい」ということになる。損得とか、無駄か無駄じゃないかとか、タイパだとかコスパだとか、そういった価値観ではなく、楽しいかどうかだけで生きてみてもいいんじゃないかと思う。偶然性に身を任せる方がワクワクできるんじゃないかな。

 

そんなことを考えながら吉祥寺の街を歩く。吉祥寺の街は好き。別に行きつけの店があるわけでもないけど、高校生の頃によく来ていた(主に予備校に通うため)この街は今でも波長が合う。人は多いしごちゃごちゃしてるんだけど、渋谷とか新宿とかよりも全然気持ちがいい。

少し疲れて、武蔵野文庫で一息つく。こうやって落ち着くことも今の私には必要。最近は喫茶店に行って本を読むことが増えていて、その分支出も増えてしまっている。でもやめない。

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アイスコーヒーはコーヒーカップに細かい氷が入っていて、なんだか不思議な感じ。美味しかった。冷やしうどんみたいですね。

 


 

あ〜した元気にな〜れって靴を飛ばしながら眠りにつく夜。夢の中では靴が上向きになるといいな。

 


 

 

「探し物は何ですか?」

ふとした瞬間にこの曲が心に問いかけてくる。MVがあったのを今知った。井上陽水は「傘がない」「新しいラプソディー」「氷の世界」あたりが好きです。あと共作だけど「ありがとう」とか「夏の終わりのハーモニー」とか。