思い出の向こう側

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中島みゆき「生きていてもいいですか」はただの絶望じゃない

中島みゆきのアルバム、「生きていてもいいですか」。

1980年に発表されたこのアルバムは、暗いと言われがちな中島みゆき作品の中でも特に暗くて聴くのに体力を必要とするアルバムだと思う。

 

収録曲は以下の通り。

  1. うらみ・ます
  2. 泣きたい夜に
  3. キツネ狩りの歌
  4. 蕎麦屋
  5. 船を出すのなら九月
  6. 無題(instrumental)
  7. エレーン
  8. 異国

 

このアルバムを通して聴くとただひたすらに絶望を味わう感覚に陥る。

 

「うらみ・ます」でいきなりどん底に落とされる感じ。”うらみます”と何度も何度も、時折嗚咽も混じりながら叫び、”振られたての女くらい落としやすいものはないんだってね”と歌い捨てている。遊ばれ裏切られた女が男のことを死ぬまでうらむと叫ぶこの曲で受けたショックは、その後の「泣きたい夜に」でも癒されない。

 

「泣きたい夜に」自体は弾き語りで優しい歌声の、それこそ泣きたい夜に優しく包み込み寄り添ってくれる、単体で見れば絶望から救い出してくれるはずの曲なのだが、「うらみ・ます」の絶望を引きずったまま癒されきれない魂を感じてしまう。

 

キツネ狩りの歌」は一点明るいポップス調の曲になる。この曲で歌っているのは、仲間だと思っていたものは敵かもしれないよ(学生紛争のことを指しているらしい?)という皮肉めいた物語である。楽しく過ごしている裏に裏切りが潜んでいるかもよと投げかけてくる感じは、明るい曲調と楽しげなキツネ狩りの風景とミスマッチしてくる。楽しいだけの世界には戻れないのだ。ここにも「うらみ・ます」が影を落としてくる。

 

蕎麦屋」は個人的に大好きな曲で、この曲があるからこのアルバムを聴こうとしたのである。「泣きたい夜に」同様、優しく寄り添う弾き語りの曲である。これも単体で聴くと魂が救われ泣けてくる歌であり、ここまでくると少し「うらみ・ます」は薄れてきて絶望は癒されてくるのだが、それでも頭の奥底にはちらついてくる。まだ絶望を忘れきれないのである。

 

しかしここから「船を出すのなら九月」に入ると状況は一変する。ハードロック調の曲で歌われている詞は、ここまでの4曲が具体的な場面の存在する物語であったのとは違い抽象的になる。何を歌っているのかはわからない。しかし”船を出すのなら”、”人を捨てるのなら”、”夢をとばすなら”、”海へ逃げるなら”、それは”誰も見ていない星の”「九月」なのである。

 

そして無題のインスト曲(これも暗い)で繋がれ、始まるのが「エレーン」である。

ホテルで殺された外国人娼婦のことを歌っているとされているこの曲は、表題の「生きていてもいいですか」の元になっている。

”エレーン 生きていてもいいですかと 誰も問いたい エレーン その答えを誰もが知ってるから 誰も問えない”

もうサビのこのフレーズに尽きると思うのだが、ここで「うらみ・ます」から続いてきた絶望が押し寄せてくる。「生きていてもいいですか」、なんて苦しい響きだろうか。そしてこの問いに対して肯定する言葉などないと歌うのだから救いがない。

 

エレーンでとびっきりの絶望を味わった後、最後の曲が「異国」である。この曲は「エレーン」とはまた違う絶望、孤独を歌っている。

誰もが持っているふるさと、それは暖かくて、”忘れたふりを装いながらも靴をぬぐ場所があけてある”ような結局は帰れる場所なのである。

しかしこの歌の主人公は”二度と来るなと唾を吐く町 私がそこで生きてたことさえ覚えもないねと町が云うなら 臨終の際にもそこは異国だ” と町から拒絶され、どこにもふるさとと呼べる場所がない。死んだとしても、そこに「私」が存在していたことはなかったことにされてしまう。

この曲での主人公は「エレーン」で歌われていた娼婦と捉えられもするが、となれば「エレーン」で”生きていてもいいですか”と歌っていること、そして「異国」で”百年してもあたしは死ねない あたしを埋める場所などないから”と歌っていることが結びついてくるかもしれない。

ふるさとという帰り場所、死に場所がないという孤独。そしてそれは曲の中で解決されない。ただただ

”百年してもあたしは死ねない あたしを埋める場所などないから 百億粒の灰になってもあたし 帰り支度をしつづける”というリフレインが響くばかりである。

この曲でこのアルバムが終わるのだから救いがない。

 

 

ここまでこのアルバムを通して見ていくと、「うらみ・ます」から「異国」までひたすら絶望の中にいるように思える。しかしその裏側にある種の絶望し切れていない、「死に切れない」という思いが感じ取れてくる。

 

「うらみ・ます」では ”うらみますうらみます あんたのこと死ぬまで

「エレーン」では ”生きていてもいいですか

「異国」では ”百年してもあたしは死ねない

 

深い絶望を味わい、希望を完全に失っていたら、辛く悲しいこの世からの解放として死を選ぶこともきっとあるだろう。完全な絶望下では生きていることに何も意味を見出せないのではないか。

しかしこのアルバムを通して主人公は自ら死を選ばない。むしろ生きていたいと切望さえしている。うらむにしたって死ぬまでずっとだし、そして死に場所がないから死ねない。本当は希望を抱いていたいのだ。希望を捨てられないのだ。諦め切れないのだ。幸せを、生きていた証を、ふるさとを。その僅かな希望への救いとなるのがきっと「泣きたい夜に」だったり「蕎麦屋」だったりするのだろう。

 

だからこそ言いたい。このアルバムは希望の詰まった一枚だ。